江ノ電鵠沼駅西口前に「鵠沼地区NO.1」の藤沢市安全・安心ステーションが出来ました。ここは昭和45年まで県警の交番があったのですが、その後空き交番になり、町内会が防犯活動の拠点に使用していました。今回5つの町内会が共同して運営する防犯のためのセンターに格上げされたようです。「民間交番」として期待されています。
先日昭和34年造立の道祖神に出会いましたが、今度は昭和46年造立です。鵠沼海岸7丁目の道端にある道祖神です。簡素な石塔ですが、背後の木立が不気味な感じで、守り神らしくありません。ここには1773(安永12)年造立の道祖神があったようですが、行方不明になったため、昭和46年に、鵠沼納屋(なんや)地区の人たちが奉納したようです。
かながわ花の名所100選の1つ、宝戒寺の梅を見ようと思ったのですが、目当てのしだれ梅は盛りをすぎていました。
境内の奥の梅はまだよく咲いていましたが、木の姿が気に入らなかったので、写真はアップでごまかしました。
何か面白いものはないかと、本堂の柱の上部を眺めていて、怪獣の彫物に気が付きました。よく見ると、これは象と獅子で、魔よけとして飾り付けたもののようですが、多少コミカルで、あまり魔物よけにはなりそうもありません。
家に戻って、パリのノートルダム寺院で撮った怪獣の写真を探し出して眺めました。これも魔よけの効用を期待して飾りつけてあるのでしょうが、これは、これ自身が悪魔のように見えるので、「目には目」の流儀なのでしょう。梅見物が脱線しました。
境内の奥の梅はまだよく咲いていましたが、木の姿が気に入らなかったので、写真はアップでごまかしました。
何か面白いものはないかと、本堂の柱の上部を眺めていて、怪獣の彫物に気が付きました。よく見ると、これは象と獅子で、魔よけとして飾り付けたもののようですが、多少コミカルで、あまり魔物よけにはなりそうもありません。
家に戻って、パリのノートルダム寺院で撮った怪獣の写真を探し出して眺めました。これも魔よけの効用を期待して飾りつけてあるのでしょうが、これは、これ自身が悪魔のように見えるので、「目には目」の流儀なのでしょう。梅見物が脱線しました。
店は閉まっていますが、店の軒下に面白いものを見つけました。1つは日本郵便(JT)のポストです。もう1つは日本たばこ(JT)の自販機です。それぞれ安泰な立場から、きびしい競争社会に追い出され、似たようなロゴをつけて頑張っています。この様子では、少しは応援が必要なようにも見えます。
江ノ電石上駅近くの危険標識です。ここは地元の一部の人たちに便利に利用されている古くからある小さな踏み切りです。古い道路が線路に突き当たり、線路を跨いで手前の道に出ると、すぐに石上駅に着きます。住宅化が進んで、ここを渡る人が多少増えたのかも知れませんが、通行禁止には出来ないので、こうして危険標識を3つも並べたようです。
本鵠沼1丁目の大東地区で見かけたお稲荷さんです。古い集落の雰囲気が残っている道や広場があって、ほっとする場所です。初午の縁日で立てた幟旗がはためいていました。旗をよく見ると、大正5年奉納とありました。93年前のものです。
鵠沼新道入口近くの東側に園芸センターがあります。よく通ったお店です。久し振りに前を通り、何気なく裏手を見ると、ここにも大きなタブノキがあることに気づきました。家人がご主人に話を聞くと、近隣の日照のため、近いうちに切ることになった、との話でした。タブノキは大木になるので、住宅化が進むと居場所がなくなります。残念です。
本鵠沼4丁目の南寄りに広々とした「みどりの広場」があります。昔は農地だったのでしょうが、今は子供たちの遊び場として開放されています。周辺には現役の畑も残り、昔の雰囲気も残っています。中央の木立がなかなか立派です。