境川を越える横須賀水道みち 2015-06-24 | 横須賀水道みち 大清水のアジサイを楽しんだ後、大清水橋から上流の水道橋を見に行きました。 これは横須賀水道が境川を越えるために架けた水道橋です。 ここは境川の右岸の地中から水道管が立ち上がって水道橋になる場所です。 宮ケ瀬ダムの近く愛川町半原から横須賀まで通じる上水道で、明治初期に造られたものです。 (注:カテゴリー「横須賀水道みち」に記録がまとめてあります。)
西富の横須賀水道みち 2013-06-20 | 横須賀水道みち 遊行寺坂上の交差点から北西に進み、西富の横須賀水道を下りました。 両側に草の茂る素朴な坂道です。 この坂の舗装の下を横須賀水道が下から上に流れています。 坂の終点に近づくと、前方に善行の立石を真っ直ぐ通る横須賀水道みちが見えました。 その手前に見えるのは、境川を越える白い水道橋です。 坂下から振り返った西富の横須賀水道みちです。 この道は藤沢地区景観ベストテンに選ばれた場所です。
海老名・横須賀水道みち④ 2010-12-28 | 横須賀水道みち 海老名総合病院を通り抜けると、水田を斜めに横切る道になりました。 車道を横切ると、背まである草むらに突き当たりました。 左手は日通の物流センターですが、水道みちの通る場所はまだ未整備でした。 なるべく直行する初心を大切にして草むらに入り、右側にある金網にそって進みました。 足下に「波と海」の標石が横になっていました。 抜いたものの、処分に困ったのかも知れません。 犬に吼えられながら草むらを抜け出し、 県道40号線と相模線の踏切を越えると水田地帯を横切る道になりました。 右手に水田に囲まれた旧家と思われる大きな農家が見えました。 遠方に見える白いビルはリコーです。 水田を抜け左手が畑地、右手が住宅地の道になりました。 大型車の乗り入れを注意するコンクリートの柱が立っていました。 いよいよ今回のゴールに近づきました。相模川に架かる横須賀水道橋の袂です。 相模川沿いの遊歩道を左に進んで、横須賀水道橋の全景を撮りました。 これで相模川の東側30kmの横須賀水道みちの探索を終わりました。 来年は西側の23kmに挑戦します。
海老名・横須賀水道みち③ 2010-12-27 | 横須賀水道みち バス停「水道路」を過ぎると、未舗装のような道になりました。 これから整備するのかも知れません。 左側に水田が広がっていました。 ここからも遠く大山に続く丹沢の山並みが見えました。 そのまま進むと、右手に白い建物が見えて来ました。 アツギの工場でした。その昔、アツギナイロン工業として有名だった会社です。 今でも「すべての女性の味方」を社是にしているようです。 住宅団地の脇を通る道になりました。 両側にクリスマスの飾り付けが出来上がっていました。 海老名消防署の横を通る道になりました。 歩行者に優しい道になっていました。 次は海老名市役所の脇を通る道でした。 ここも歩行者専用道路でした。 左手に海老名総合病院が見えて来ました。 水道みちの上に病院があるような感じなので、 ちょっと行先が心配になりました。 「案ずるより産むは易し」でした。 病院の通用門を入り、そのまま向こう側に通り抜けられました。
海老名・横須賀水道みち② 2010-12-26 | 横須賀水道みち 東名高速を越え、大谷地区に入りました。 左手が少し低くなった境目のような道をしばらく進みました。 またのどかな水道みち風景が現れました。 右手の日当たりの良い草地に、「波と海」の標石がありました。 少し進んで、車道を横切った右手に、派手な消防団の建物がありました。 またまた気持ちのよい道が続きました。 高齢者にも安心して歩ける道です。 農家の庭先を横切るような道になりました。 坂を下って、先方に平野の広がりが見えるようになって来ました。 のどかな水道みちに分かれる場所にあった道祖神です。
海老名・横須賀水道みち① 2010-12-25 | 横須賀水道みち 県道406号線を横切って海老名に入りました。 右手は国分寺台の住宅街でした。 水道みちは両側に歩道の整備中でした。 住宅街の開発が進み、歩道が必要になったのでしょう。 と言っても、左手は一面の畑です。 左側の歩道は少し幅が広く出来ています。 この下に送水管がありそうです。 道より高くなった畑の端に、「波と海」の標石がありました。 残念ながら逆光なので画像では「波と海」が見えません。 左手の杉久保地区を眺めました。遠くに大山に連なる山なみが見えました。 道はゆるやかな坂を下り、また上りになりました。 坂の上は東名高速道路を越える橋でした。 大型車は通れないようでした。 橋の手前に横須賀水道のマンホールがあり、 橋の上にももう1つのマンホールがありました。 この橋も横須賀水道みちでした。
綾瀬・横須賀水道みち② 2010-12-24 | 横須賀水道みち 気持良く水道みちを歩いて行くと、突然坂を下る回り道の標識がありました。 よく見ると、徒歩ならば何とかなりそうな様子なので、直進を選択しました。 そのまま進むと、向こう側から来た水道みちが坂に突き当たった状態になっていました。 徒歩の強みを生かし、そのまま下りました。 目久尻川を渡る堀之内橋に着きました。 橋の左側の土手道から送水管を確認しました。 右手の養鶏場を過ぎて進むと、民家の竹垣の下に標石を見つけました。 坂を上って行くと道は少し右に曲がっていましたが、 水道みちは左手の草地をそのまま通っているようでした。 右手に小さな公園がありました。「水道みち公園」でした。 この坂で綾瀬市は終わりでした。
綾瀬・横須賀水道みち① 2010-12-23 | 横須賀水道みち 藤沢の北西に向って延びる横須賀水道みちの探索開始です。 綾瀬市と海老名市が今回の対象地区です。 中原街道と横須賀水道みちの交差点がスタート地点です。 この交差点を左折して進みました。 左折してすぐ右手の塀の下に、「波形と海」の標石が迎えてくれました。 しばらく右手の横浜乳業の生垣の沿って進みました。 右手が吉岡東地区の工場地帯になり、左手に綾瀬浄水所を見ながら進みました。 右手の工場地帯が終わると、水道みちらしい風景が現れました。 快晴の下、先行きに期待が持てる道でした。 道がゆるやかな下り坂になると、その先の上り坂が見え、 一直線の水道みちが確認できました。 車が殆ど通らないので、歩行者にはありがたい道です。
逗子・横須賀水道みち③ 2010-12-14 | 横須賀水道みち 東逗子駅前を抜けて、水道みちを逗子駅に向って歩きました。 田越川を越える橋の左手に送水管が見えました。 青い送水管が普通でが、最近修復したのでしょうかステンレスのように見えました。 しばらく車の少ない水道みちらしい通りをのんびり歩きました。 右手の塀の下に、またまた波形の標石がありました。 塀のある家を眺めるとかなり年季の入った風情でした。 おかげで標石が残っているのでしょう。 少し進んだ、生垣の続く家の端にも、標石がありました。 これは波形の下に「海」も見える標石でした。 逗子駅に近づいたところで、また田越川を渡り、ここでも橋の左側に青い送水管が見えました。 逗子駅に着きました。 写真は県道24号線の終点近くから撮った1枚です。 水道みちは見えている駅舎のすぐ前を抜けて、池田通り交差点を横切って県道311号線に入りました。 日も傾きはじめ、歩き続けた疲れで多少カメラも重く感じるようになりました。 県道311号線を撮ったこの1枚はピンボケでした。 なんとか本日のゴール、逗子側の名越送水管路ずい道の入口に着きました。 遠くから金網に囲まれ、近くに接近できません。 金網近くの土手から無理な姿勢で撮った画像です。 これで、藤沢から東側の横須賀水道みちは探索を完了しました。 これからは、海老名から相模川を遡って半原水源地を目指すことになります。
逗子・横須賀水道みち② 2010-12-13 | 横須賀水道みち 盛福寺管路ずい道の逗子側から県道24号線まで戻る途中、 小さな橋の左手に青い送水管が見えました。 水路の系統名を読むと、これらは本命の半原系統とは違うようでした。 半原系統の送水管が特定出来ないので、送水管の上で輝くカラスウリを撮りました。 県道24号線を横切って、横須賀線の北側の道を東逗子駅の方向に進みました。 この道が横須賀水道みちと考えたからです。 しばらく道を進むと、右手の畑の中に波形の標石がありました。 大正解でした。 東逗子駅までの途中で横須賀水道は横須賀線の南側に移るのですが、 残念ながらそのポイントは特定出来ませんでした。 途中の踏切を渡って、南側の県道24号線に出ました。 東逗子駅に向って歩いていると、小さな喫茶店(?)の角に波形の標石を見つけました。 この店の人が、横須賀水道の標石と知りながら保全しているのでしょうか。 横須賀水道みちは東逗子駅の少し手前で、県道24号線から分かれて駅前を通る道に入ります。 ここが東逗子駅前です。 この駅前を通る水道みちは、県道24号線と平行しながら、逗子駅前まで続いています。
逗子・横須賀水道みち① 2010-12-12 | 横須賀水道みち 横須賀側の盛福寺管路ずい道入口から逗子へ向う県道24号線に出るのが大変でした。 すぐ近くに新しいトンネルがあったので、ここから行けそうだと考え、前に進みました。 トンネルの向こうは広々とした港が丘の新しい住宅地でした。 方向の分からない住宅地をぐるぐる歩き回ってたどり着いたのが船越神社の裏手でした。 神社の階段を下りたところが国道16号線で、すぐ先の船越町交差点を左折すると県道24号線でした。 しばらく県道24号線の坂道を上ると、逗子の標識が出てきて、すぐ先の沼間トンネルに入りました。 沼間トンネルを抜けて坂を下ると、横浜横須賀道路の下を通り、横須賀線を跨ぐ場所に出ました。 その手前を左に折れて、イチョウの黄葉のきれいな道を進みました。 左手に横須賀市水道局田浦配水場がありました。 配水場前を通り過ぎて更に山道を進むと、逗子側の盛福寺管路ずい道入口がありました。 トンネルの向こうへ行くためのこの大迂回はちょっと大変でした。
横須賀・横須賀水道みち② 2010-12-11 | 横須賀水道みち 逸見浄水場から国道16号に戻り、汀橋から田浦方面に向って歩きました。 そばを自動車が沢山走り抜け、しかも途中で5つのトンネルを抜けるという、 ウオーキングには最悪の道でした。 ようやく5つのトンネルを抜けると、横須賀線のガードが見えました。 ガードの先を左に向うのが、今日のルートです。 左折して、静かな街の道を進みました。 多少道が心配でしたが、右脇に波形の標石を発見、安心しました。 少し先で、もっとはっきりした標石も見つけました。 京浜急行のガードの下をくぐり、緑の濃い地域に入りました。 右手にメルクマークの盛福寺が見えました。 小さなトンネルを抜けると、目的地に着きました。 横須賀水道「盛福寺管路ずい道」です。 このトンネルの反対側は逗子です。
横須賀・横須賀水道みち① 2010-12-10 | 横須賀水道みち しばらく中断していた横須賀水道みちの探索を再開しました。 今回は、横須賀の逸見浄水場から逗子トンネルの手前までの区間が対象です。 結果として、横須賀線の横須賀駅から鎌倉駅までを徒歩で歩くことになりました。 先ず国道16号線の汀橋交差点を南西に折れて逸見浄水場を目指しました。 横須賀水道みちの終着点です。 しばらく道なりに進むと、京浜急行のガードをくぐりました。 そのまま道は急坂になりました。 道路の右脇に「逸見浄水場」の文字が見えます。 左側の草地の斜面に、横須賀水道の標石がありました。お馴染みの標石です。 更に上ると、浄水場のゲートに着きました。 たまたま通過した自動車のおかげでゲートが開きましたが、 部外者立入禁止で入ることは出来ません。 これはゲート横の表札です。 直接目にできないので、グーグルを使って、鳥の目で浄水場の全体を眺めました。 右上に建物に向う道が見えますが、ゲートから入ると、この道をたどるようです。 ここが終点であることを確認して、今来た道を戻りました。
鎌倉・横須賀水道みち③ 2010-05-27 | 横須賀水道みち 海岸橋を渡るとすぐ左折出来る道がありました。 地元の方が作ったらしい「野畑細道」という面白い標識が立っていました。 細道はすぐに突き当たって右折、古い町並みの中を西へ真っ直ぐ進む道でした。 しばらく進むと、「水道路」という交差点がありました。 横須賀水道みちの探索者には、心強い交差点でした。 通りの右手に「海」の標石がありました。 背景の垣根に馴染んで、落ち着いた絵になっていました。 通りの左手にも、「海」の標石がありました。 この辺りから、不思議なことに、標石の背丈が少しずつ高くなり始めました。 前方に名越の切通しのある山なみがはっきり見えて来ました。 長勝寺の先で、鎌倉葉山線と合流しました。 左手の民家の壁の前にあった「海」の標石です。 何故か急に胸を張った様子が可笑しかったです。 名越トンネルの手前左手の崖の擁護壁の下にあった「海」の標石です。 ついに横須賀水道みちの専用トンネルの前に出ました。 このトンネルの先は逗子市になります。
鎌倉・横須賀水道みち② 2010-05-26 | 横須賀水道みち 新大仏坂トンネルを抜けて、長谷地区に入りました。 大仏前交差点です。左手が高徳院・鎌倉大仏で、観光客で混み合う場所です。 少し進むと、長谷観音前交差点です。ここで左折して、由比ガ浜大通りに入りました。 塩大福の旗が目に入りましたが、ひたすら水道みちの痕跡を探しながら前に進みました。 何も手掛かりがないまま、文学館入口交差点に着きました。 ここで由比ガ浜大通りに分かれて、Y字路の右側に入りました。 屋敷街の中を真っ直ぐ抜ける道で、ここには水道みちの感じがありました。 前方の踏切を江ノ電が横切って行きました。 和田塚入口の交差点で、道がなだらかな下りになりました。 ここでやっと横須賀水道みちの証拠物件に出会いました。 空気弁のマンホールです。下りに入る手前で余分な空気を抜く仕掛けのようです。 ついに若宮大路を横切る海岸橋交差点に来ました。 前方に真っ直ぐに進む道があるので、そのまま進みましたが、これは間違いでした。 真っ直ぐ進んで、滑川(なめりがわ)に架かる海岸橋を渡りながら左手を見ると、 青い水道橋が見えました。 海岸橋交差点で横須賀水道みちは斜め左に方向を変えていたのです。