鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

今田・鯖神社

2014-04-11 | サバ神社



久し振りに今田の鯖神社に参詣しました。
周辺の開発が進み、社殿の裏手が以前よりも明るくなりました。



社殿前の左手に、漫画家ビッグ錠が奉納した絵馬の写真が展示してありました。

高倉・七ッ木神社の石碑

2014-03-09 | サバ神社



高倉・七ッ木神社の境内には、山岳信仰が盛んだった頃の名残の石碑が残っています。
中央が木曾御嶽山神社(3067m)、左が七合目の三笠山神社、右が五合目の八海山神社を祀ってあります。
その昔、ここからはるかな木曾の御嶽山を目指したのだから驚きです。



少し離れたところに清滝不動明王の石碑もありました。
これも御嶽山の3合目にある滝神社です。



神楽殿の右手にある石造物の中にも、御嶽山の石碑が1つありました。
ひたすら御嶽山を信仰した人の石碑のようで、「一山行者」「一心行者」という文字が刻まれていました。

高倉・七ッ木神社

2014-03-08 | サバ神社



4年ぶりにサバ神社の1つ、高倉の七ッ木神社に立ち寄りました。



境内の様子はあまり変わっていませんでした。



神殿に近づいて、左手前に新しい掲示があるのに気がつきました。



サバ神社12社めぐりの案内図でした。
サバ神社めぐりをする人が増えたのかも知れません。

境川段丘散歩⑥上和田左馬神社

2013-11-15 | サバ神社



境川沿いの自転車道を宮久保橋まで歩き、左折してまた段丘を上り上和田左馬神社に着きました。



鳥居の上に大きく被さっているのはタブの大木です。



上和田左馬神社の社殿です。
社殿の左手で先客が昼食休憩中でした。



再訪ですが、改めて由来の掲示を読み直しました。
このサバ神社の祭神は左馬頭義朝となっています。



帰り際に境内を振り返りました。
大イチョウの黄葉が楽しめそうな神社です。

境川段丘散歩②下和田左馬神社

2013-11-11 | サバ神社



「下和田のケヤキ」を見た後、木立の中の坂を上り、下和田左馬神社に参詣しました。
今回の散歩の目的の1つは、大和市に2つあるサバ神社を再訪することでした。



前回訪ねた時は、境内でゲートボールを楽しんでいる人達がいましたが、今回は誰も居ませんでした。



境内中央正面の建物は、神楽殿のような形で、神社の本殿はこの建物の裏にあります。



赤い手すり沿ってスロープを上り参拝しました。



今回はゆっくり境内をめぐり、鐘楼の鐘の「左馬神社」の文字も確かめました。



石川・佐波大明神再訪

2012-03-26 | サバ神社


薄曇り空の下、石川大明神に立ち寄りました。
杉木立等に覆われた長い参道を歩きながら、ちょっと違和感を感じました。
曇り日にも関わらず、参道が明るく感じたからです。


どうやら昨年の台風で杉が沢山倒されたようです。
すっかり整理はされていましたが、一部の杉は長いベンチになっていました。
出来立てなので、座る面はまだ白木のままでした。


社殿の周辺はは以前のままですが、一昨年2月に訪ねた時と同じように梅が咲いていました。
今年の梅はずいぶん遅かったのがよく分かりました。

今田・鯖神社

2010-04-13 | サバ神社

サバ神社探訪の第12号は今田の鯖神社です。
湘南台の図書館と中学校の間の道を境川に向って下り、畑地に出たところで左に行くと、
左側に鳥居がありました。
今回が最後のサバ神社ですが、全部廻って分かったことは、
正面に「鯖神社」の神社名があるのはここだけでした。


鳥居から境内に向う参道は、舗装された緩やかな道です。車止めがありました。


境内に入ると、社殿が一段高くなっています。裏山が明るくなっていますが、宅地化の影響でしょう。


社殿も周りの石垣も、まだ新しい感じがします。


社殿正面の「鯖神社」の額も輝いていました。その横には監視カメラがありました。


境内右手には、社務所、神楽殿、神輿倉がありました。


境内左手には、由来の掲示がありました。
祭神は源義朝、創建は元禄15年(1702)、
文政9年(1826)再建、昭和8年(1933)社殿等改築と記されていました。


社殿に上がる石段の左に、由来以降の再建の記念碑がありました。
鯖神社は、平成8年の放火で焼失、平成9年3月再建、
平成13年3月不審火で焼失、平成14年6月再建、と記されていました。
きびしい歴史のある神社です。


もうひとつ面白い掲示がありました。境内の地下に遊水地があるのです。
これは推論ですが、度重なる火災の結果、
監視カメラの設置され、消火用の貯水槽と車が入れる舗装された参道が作られたのでしょう。


下和田・左馬神社(元鯖大明神)

2010-04-12 | サバ神社

サバ神社探訪第11号は大和市・下和田の左馬神社です。
国道467号線と東海道新幹線が交差する地点から、東側に入った段丘の境目にありました。


道に迷って一度段丘を下り、坂道を上って木立の中の階段を見つけました。


参道の石段から境内を見たところです。


石段を上った左手の石灯籠です。「鯖大明神」の名前が刻んでありました。


右手には鐘楼がありました。宝暦4年(1754)に鯖宮山真福寺から寄進されたようですが、
真福寺は大正末期に廃寺となったので、詳細は不明のようです。


境内に入って、先ず驚くのは正面の建物が社殿でないことです。


近づいて見ると、がらんとした神楽殿のような造りで、
この日はゲートボールに興じる人達の荷物置き場になっていました。


社殿は、この建物の裏手にありました。
参詣する人は建物の右手を廻って、社殿の前に出るようになっていました。
新編相模風土記稿に、「寛文10年(1670)の棟札あり」と記されているようです。


これは社殿の正面から、建物越しに境内を眺めたところです。



上和田・左馬神社

2010-04-09 | サバ神社

サバ神社探訪第10号は大和市・上和田の左馬神社です。
中原街道を東から西に進んで、境川の新道大橋を渡りました。
右岸の段丘を上る坂道を少し進み、信号の一つ手前の道を左折しました。


すぐ左手に境内が見えるようになりましたが、入口がわかりません。
左に曲がる細い道の角に、庚申塔がありました。
「高座郡上和田村施主神谷平兵衛」と刻んでありました。


細道を進むと、左脇に石碑・石仏が並んでいました。


やっと鳥居の前に出ましたが、鳥居とその左にあるタブの大木が大きすぎました。
鳥居正面の道をかなり戻って、ようやく写真を撮ることができました。


めずらしく、ここには神社の由来を説明する案内板がありました。
祭神は左馬頭源義朝で、建立は宝暦14年(1764)とありました。


木立に囲まれた社殿です。


社殿の梁にある額には「左馬社」とありましたが、
ここでは案内板に敬意をはらい、「左馬神社」として扱うことにしました。


境内右手の神楽殿と神輿倉です。境内に大きな影を落としているのはタブの木です。


境内入口右手の鐘楼です。
案内板によれば、文化3年(1806)に上和田信法寺から寄進されたとあります。

瀬谷・左馬社

2010-04-03 | サバ神社

サバ神社探訪第9号は横浜・瀬谷の左馬社です。
厚木街道の南側、橋戸3丁目に、西福寺と並んで左馬社がありました。


西福寺の前を通り過ぎ、大きなケヤキに驚いていると、そこが左馬社でした。


鳥居をくぐって広い境内に入ると、左手に鉄筋コンクリート製の社殿がありました。


社殿に参拝し、内部を見ることが出来ました。内部はきちんと整備され、宮司によって守られている様子でした。


境内には、社殿、社務所、神楽殿、氏子集会所などの建物がならんでいました。


境内の真ん中に、大ケヤキがのびのびと枝を広げていました。


ここにも鐘楼がありました。


鐘楼のそばにあった掲示です。
「七サバ参り」の紹介、神社に鐘楼がある理由、戦時中の鐘の供出等が記されていました。

上飯田・飯田神社(鯖明神社)

2010-03-29 | サバ神社

サバ神社探訪第8号は横浜・上飯田町の飯田神社です。
長後街道を境川の高鎌橋で藤沢から横浜に渡り、団地入口の交差点を左折、
しばらく北に進むと、バス停飯田神社前に着きました。


飯田神社は道路の右側にありました。バス停前で、最初に目に入ったのは地蔵堂でした。
地蔵の大きさは様々で、地蔵は6つありましたが、台座は7つありました。
この地蔵堂とは別に外側にも1体だけの地蔵堂がありました。
地域の地蔵がここに集約されたように見えました。


地蔵堂の隣には、石仏・石碑が並んでいました。これもここに集められたものでしょう。


サバ神社にしてはめずらしく、案内板がありました。


たまたま境内の修理中で工事の車などが入り込んでいたので、
社殿の写真に工事の車が並んでしまいました。
修復が終わった頃、もう一度参詣しようと思います。


ここにも神楽殿があり、よく見ると神楽囃子保存会のメンバー募集の掲示が出ていました。
案内板によると、明治20年頃、ここで飯田学校が開かれていたようです。


工事作業中の場所にあった由来を伝える石碑です。
勧進年代は不明ですが、延応元年(1239)に地頭の飯田三郎能信が参拝して奉幣した、
とあるので、それ以前の創建です。
新編相模風土記稿には「飯田明神社、鯖明神とも言う」とあるようです。


飯田神社には鐘楼があり、立派な鐘がありました。
鐘の表面の記述によると、古い鐘は太平洋戦争に供出され、
20年以上の間鐘の音を聞くことが出来なかった、とあります。


周辺の開発が進み、氏子達の共有地を処分して、鐘を新調し、鐘楼を整備したとあります。
昭和46年のことです。

下飯田・左馬神社

2010-03-26 | サバ神社

サバ神社探訪第7号は横浜・下飯田町の左馬神社です。
この神社は今年の1月にも訪ねたのですが、当時はサバ神社12社の存在を知らなかったので、
もう一度初心に戻って参詣しました。


境川の渡戸橋の左岸から東に進み、自動車道路を横切るとすぐ境内に入るのですが、
今回は古い参道から訪ねることにしました。


自動車道路を右折して進むと、左手にちょうど花盛りのハクモクレンがありました。
花を撮るため少し先まで進んで振り返りました。
このハクモクレンの左に、今は殆ど使われない古い石段があります。


ハクモクレンは見事に咲いていました。


古い石段を上って、古い参道を進むと古い鳥居がありました。
川向こうの七ッ木神社と同じ形式の鳥居です。
大分痛んでいますが、このままになるのでしょう。


古い鳥居から少し進むと新しい鳥居が出迎えてくれました。
現在はここからが境内となるのかも知れません。


木立に囲まれた左馬神社の社殿です。由来等を説明する掲示等は見当たりませんでした。
ネット情報では、ここの祭神は源義朝となっています。


社殿には右から横書きで「社神馬左」の額が架かっていました。


境内の中央右寄りにイチョウの大木がありました。
黄葉を楽しむため、秋に再訪したいと思いました。


帰りは、渡戸橋まで戻り、境川左岸を北に向かいました。




下和泉・鯖大明神

2010-03-19 | サバ神社

サバ神社探訪第6号は横浜・和泉町の鯖大明神です。
地下鉄下飯田駅から南に真っ直ぐ下って、鍋屋橋を渡り、
和泉川の左岸の丘陵の裾を少し北に戻った右手の住宅の奥にありました。
和泉町には合計3社のサバ神社があり、いずれも祭神は源満仲となっています。


住宅の間の道を入っていくと、鳥居があり、石段の向こうに社殿の屋根が見えました。


こじんまりした境内で、社殿も、神社と言うよりは祠に近い感じでした。
慶長年間(1596-1614)に地元の清水家と鈴木家が氏神として勧進したものだと伝わっています。
左手奥の道を行くと、そこには集落の墓地がありました。


社殿の正面には、正月の行事の名残でしょうか、提灯や飾りがかかげてありました。
社殿の額は天保7年(1836)に神衹管領の占部朝臣吉良長が参詣の時に納めたものです。


境内は整然としていて、伐採した樹木などが、きちんと整理されて置いてありました。
行事のときの焚き火の材料かも知れません。

中和泉・中之宮左馬神社

2010-03-16 | サバ神社

サバ神社探訪第5号も横浜・和泉町の左馬神社です。
相鉄いずみ野線いずみ中央駅から、和泉川沿いに南に下り、
右手にある桜川公園の裏手の丘にありました。


桜川公園を抜けて、左側から丘の道を少し上ると、神社の石段がありました。
階段の下からは、空が見えるだけで、境内の様子はわかりません。


階段を上ると、和泉地区の神社で最大と言われる境内が広がっていました。
残念なことに、ここも社殿の背後に相鉄いずみ野線の高架が見え、
その手前も住宅開発が進められていました。



ここの社殿もよく手入れがされていました。
賽銭箱の文字が遠くからもはっきり見える様子が可笑しかったです。
社殿の右奥のシラカシは横浜市の名木古木に指定されています。


社殿の掲額によると、正式な名称は「中之宮左馬神社」でした。
ここも祭神は源満仲とのことです。
源満仲は源氏の始祖で、源頼光の父とのことです。
武家としての源氏のご先祖ということで、祭神になっているのでしょう。


境内の右手には、大きな神楽殿もありました。お祭りなどには格好な境内です。

和泉神田・佐婆神社

2010-03-13 | サバ神社

サバ神社探訪第4号は、横浜・和泉町の佐婆神社です。
相鉄いずみ野線のいずみ中央駅から川沿いに北へ歩いて、
神田橋の少し先を左に入ったところでした。


川沿いの道から、奥に鳥居が見えたので住宅街の中の道を進みました。
鳥居をくぐって、石段に近づくと、新しい佐波神社の碑がありました。


境内は広いのですが、神社の背後に相鉄いずみ野線の高架が出来た影響で、
社殿のまわりがが明るく、ちょっと重みが感じられないのが残念でした。
その昔は、社殿が「へっつい」のような土塁に囲まれ
「へっついさま」といわれた神社だと伝わっています。


社殿に掲げてあった名前の額です。建物は比較的新しいものでした。
ネット情報によると、祭神は源義朝ではなく源満仲といわれています。


境内には、大きなタブの木が茂っていました。横浜市の名木古木に指定されています。


タブの木の真下から見上げてみました。
このタブは佐波神社の長い歴史を見つめてきたのでしょう。