鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

旧龍口明神社

2012-01-31 | 鎌倉

龍口明神社の旧社が残っているというので、訪ねました。


旧社は片瀬の龍口寺の西隣でした。
立派な鳥居があるのに、今まで気がつかずに通り過ぎていました。
安政2年(1773)に龍口地区が片瀬村(現藤沢市片瀬)に編入された時、
神社の境内地だけ津村の飛び地として残ったので、現在も鎌倉市津1番地のままです。


社殿に近づく石段は、さすがに時代を感じさせるものでした。
階段から上は立入禁止になっていました。


金網越しに撮った社殿です。
関東大震災で全壊した社殿を昭和8年(1933)に改築したものです。


龍口明神社の概要と移転先の案内がありました。
簡明で分かりやすい説明でした。

経六稲荷と庚申塔

2012-01-30 | 鎌倉


龍口明神社の左隣、駐車場の奥に経六稲荷の社がありました。
由来等の説明がなく、「経六」の意味も分かりませんでした。


稲荷社の右手前に庚申供養塔が並んでいました。
県道腰越大船線の拡幅に伴って移設されたもののようです。
左から4基は庚申供養塔、次の1基は石の祠、一番右は山王台権現と刻まれた丸い石柱です。

八方塞がりの厄年

2012-01-29 | 鎌倉


龍口明神社の境内で、珍しい看板を見かけました。
「八方塞がりの厄年」の説明看板です。
高齢者は厄年から解放されていると信じていたのでが、73歳は八方塞がりの厄年だというのです。
幸いにも、すでに後期高齢者の資格があるので「セーフ」ですが、油断出来ないものです。

腰越・津の龍口明神社

2012-01-28 | 鎌倉

理髪店の主人が西鎌倉の「龍口明神」に初詣に行った話をしたので、地図を見ながら出掛けました。


龍口明神社は津村(腰越・津)という地域で、新鎌倉住宅地の中にあります。
創建は欽明13年(552)と伝わり、最初は龍口寺の西隣に建っていた神社ですが、昭和53年(1978)に現在地に移転しました。
鎌倉で現存する一番古い神社ですが、建物としては一番新しい神社かも知れません。


今年は辰年なので、初詣は賑わったようですが、この日の境内は閑散としていました。
龍も昼寝中といった雰囲気です。


毎年10月上旬の土日に例祭が行われ、神輿を江ノ島まで運ぶ「神輿渡御」という行事が行われるようです。
ここから江ノ島は大分離れているので、どうやって運ぶのか、一度見たいものです。




憲法9条を世界の宝に

2012-01-27 | 鎌倉


腰越・津にあるモンタナ修道院の生垣です。
「憲法9条を世界の宝に」という文字が墨書された木板が掲げてあります。
風雨に晒され色あせていますが、平和を願う気持ちは伝わって来ます。
記憶では、もっと元気で派手な掲示だったように思いました。


家に戻って、2005年4月に撮った古い写真を探し出しました。
「憲法9条を世界の宝に」の大きな看板が、希望にあふれて輝いていました。
多分月日が経ち、この看板が色あせたので、もっと長く耐える材料として、木版の墨書に代えたのでしょう。
その後、「九条の会」の活動や太田光の「憲法9条を世界遺産に」という呼びかけもありますが、
元祖として胸を張り、是非頑張ってもらいたいと思います。

庭のような車庫

2012-01-26 | 鎌倉


腰越の神戸川沿いで見かけた庭のような車庫です。
川沿いに建っている車庫の側面は花の鉢がきれいに並んでいます。
その下には花キャベツの鉢が沢山ありました。
屋根の上にも木枠があり出番を待つ鉢が沢山見えました。

腰越・神戸川沿いの道祖神

2012-01-25 | 鎌倉


江ノ電腰越駅から神戸川沿いに北に進むと、民家の塀の窪みに道祖神がまとめて祀られていました。
中央に不動明王、左に双体道祖神2基、右に道祖神2基です。
場所が狭いので縦に並んでいるので正面からは3基しか見えません。
折鶴の飾りや花が供えてあって、人々から大事にされているようです。

善光山法照寺

2012-01-24 | 藤沢


鵠沼皇大神宮参詣の帰り、近くの善光山法照寺に寄りました。
古道「くげぬまみち」沿いお寺で、山門はなく、いきなり境内に入ります。


入口の左手に杉山検校の江の島道道標がありますが、もう少し東を通る江ノ島裏街道沿いにあったものが、
日本精工等の進出により、ここに移設されたようです。


以前の本堂は関東大震災で焼失し、現在の本堂は平成2年の再建です。
中の「おかんのんさま」秘仏十一面観音は毎年8月9日に開帳されるようです。
本堂右手には宿庭町内会館があり、裏側にはハウス栽培の建屋が見えます。


本堂の掲額には「善光山法照寺」と本堂を再建した「義円上人」の署名がありました。


法照寺の通りの真向かいにはシクラメン栽培のハウスがならんでいますが、出荷を終わった時期なので、中は空でした。

恵比寿様への供え物

2012-01-23 | 藤沢


鵠沼皇大神宮境内の恵比寿の宮は七福神めぐりで社殿の扉が開いていました。
よく見ると、豊漁の神様の前には果物と野菜、そしてお神酒が供えてありました。
尾頭付きの鯛は恵比寿様が抱えているので、省略されたのでしょう。

ついでの参詣②

2012-01-22 | 藤沢


山王社です。


恵比寿の宮です。正月は七福神めぐりがあるので、ここだけはお宮の戸が開いていました。


豊受の宮です。


水神社です。


厳島神社です。

八百万の神々のシステムは、なかなか優れた仕組みです。
参詣者の要望に応えるため、それぞれ分野別の担当になっているようです。

ついでの参詣①

2012-01-21 | 藤沢

鵠沼皇大神宮の境内には沢山の神社が祀られています。
この機会にゆっくりと参拝しました。


石楯尾神社です。大同3年(808)にここに創建されたと伝わっているので、
皇大神宮の社殿造立が天長9年(832)なので、それより古いことになります。


伊勢の宮です。


稲荷神社です。


石の神社です。


豊受稲荷神社です。

鵠沼皇大神宮参詣

2012-01-20 | 藤沢


今年も少し落ち着いた冬晴れの日を選び、正月の鵠沼皇大神宮に参詣しました。
一の鳥居から参道を眺めたところです。


一の鳥居の左手にある記念碑は、現在の一の鳥居が昭和36年(1961)1月に改築された時の碑です。
その左の道陸神は、以前の道陸神が摩耗したので、平成12年(2000)に新しく建立されました。


前庭の広場から石段を上がり、三の鳥居をくぐって社殿に向かいました。


参詣者も少なく、ゆっくりと参拝することが出来ました。

時刻の見にくい大時計

2012-01-19 | あちらこちら


JR東戸塚駅東口を出ると、そのまま歩道橋を渡ってオーロラモールに通じています。
その正面に大時計が見えますが、この時計は時刻が見にくいのが難点です。


よく東口のバスターミナルを利用するのですが、「あと何分?」が分かりにくい表示になっています。
長針が指す場所に5分刻みの線がなく、「あと何分」の推定が難しいのです。
時計を見ながらいつも首を傾げています。

一中美術部の作品

2012-01-18 | 藤沢


冬晴れの伊勢山公園まで散歩の足を延ばしました。
桜の名所ですが、葉の落ちた冬は明るい公園です。
その明るい公園でひときわ輝いている建物がありました。
よく見ると公衆便所でした。


建物をひと回りすると、外壁に絵を描いた作者が分かりました。
「藤沢市立第一中学校美術部」です。
正直に言って「いい仕事しています」が私の感想です。

飴になった麗子像

2012-01-17 | 藤沢


家人が友人から手に入れた、岸田劉生の麗子像の麗子が入った飴です。
袋の中の飴には少女の横顔があり、裏側にも左右が入れ替わった顔があります。
何処を切っても同じ顔が出て来る、いわゆる金太郎飴の製法で作られています。


昨年11月に大阪市立美術館まで行き手に入れた画集の麗子象と比べてみました。
飴としてはかなり真面目に取り組んだ作品だと思います。
とりあえず小さな箱に入れて眺めています。