鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

朝比奈切通し④

2008-10-31 | 鎌倉
ようやく切通しの峠に近づきました。


右手の崖には切削の跡がそのまま残り、下部に仏像が刻まれていました。


仏像の由来は分かりませんでした。この先を進むと、横浜に入り、六浦に至る道ですが、今来た道を戻ることにしました。

朝比奈切通し③

2008-10-30 | 鎌倉
峠に近づくと、道が多少険しくなり、足元に気をつけながら登るようになりました。そこで石仏に出会いました。


これは左手の崖の下にあった供養塔です。磨耗もあって、文字はよく読めませんでした。


崖を削った岩室の中に、「道造供養塔」が祀られていました。名前も形も簡素な塔でした。

朝比奈切通し②

2008-10-29 | 鎌倉
峠に向かって登る道は、鎌倉らしい柔らかな岩の道から始まりました。


しばらく進むと、道が狭くなり、道に水が流れて、油断すると滑りそうな場所になりました。


また広い道に変わり、岩に苔もついていて、ゆっくり楽しみながら登りました。

朝比奈切通し①

2008-10-28 | 鎌倉
鎌倉に7つある切通しの中で、最も昔の雰囲気を残していると言われる朝比奈切通しを訪ねました。十二所神社バス停から、滑川沿いにしばらく北に歩き、支流の太刀洗川に沿って東に進むと、朝比奈切通し入り口に着きました。小さな滝があり、側に石碑が立っていました。


昭和16年建立の石碑です。朝比奈三郎義秀がその強力で一夜で切り開いたという伝説があり、朝比奈切通しという名前がついたようです。実際は、鎌倉幕府が延応19年に新道造営を決め、翌年難工事を北条泰時が指揮して1年で完成した、とあります。

小鳥を待つ赤い実

2008-10-27 | 小さな庭
クロガネモチの実が赤くなりました。温暖化がこの木には向いていたのかも知れません。今年は実が沢山つきました。まだ小鳥たちは食べにやって来ません。もう少し寒くなると、群れでやって来るでしょう。「赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」という童謡がありますが、この庭に赤い鳥がやって来たことはありません。

カラスの残した柿

2008-10-26 | 小さな庭
今年は庭の柿の実の受難の年でした。カラスが毎日やって来て、まだ実が熟さない頃から、せっせと突いていました。カラスが枝に止まって、突くことができない実だけが残りました。甘い柿ですが、小さな庭の季節の景色として、食べずに眺めることにしました。

冠水時注意

2008-10-25 | 藤沢
戸塚茅ヶ崎線道路が小田急線高架下を通る場所は、集中豪雨などが発生すると、水が溜まって車の通行に支障が起きることがあるようです。手前の交差点に「冠水時注意」の表示が掲げられていました。ここから高架下の水はよく見えないと思いますが、さてどうしたものでしょう。

家族で釣り

2008-10-23 | 藤沢
片瀬漁港の釣り場です。最近は女性の釣りが増えましたが、この日は休日だったので、家族で釣りを楽しむ人が沢山いました。


お父さんもお母さんも子供の釣りの面倒見で大変ですが、いい思い出が作れそうです。


根岸森林公園

2008-10-21 | 横浜
根岸競馬場の馬場は、戦後米軍に接収され主にゴルフ場として利用されたいましたが、昭和44年に返還され、47年から公園づくりを始め、昭和52年10月に根岸森林公園として開園されました。広大な芝生広場と良く茂った樹木に周りを囲まれ、すばらしい公園になっていました。根岸競馬場もこの公園の一部になっています。
土曜日の昼間、大勢の人達が公園を楽しんでいました。
















根岸競馬場

2008-10-20 | 横浜
これは父の残した古いアルバムにあった、文寿堂印刷の昭和28年の労働争議解決の記念写真の一部です。後方は根岸競馬場の建物で、当時は印刷所として使われていました。多分、昭和25~27頃だと思いますが、競馬場の敷地の一部を利用して、父がサツマイモやジャガイモなどを作っていました。休日には、自転車にリヤカーをつけて、戸部から根岸まで通った記憶があります。






記憶の確認のために訪ねた現在の根岸競馬場の建物(廃墟)です。中には入れないので、周りから撮りました。




この競馬場は、幕末の慶応3年に最初は外国人居留地の娯楽施設として開設され、昭和5年(1930)に本格的な競馬場の建物が出来上がったようです。現在残っているのは、一等馬見所だけです。横須賀軍港が丸見えなことと、無線通信所に使うために、昭和18年6月に競馬場は閉鎖され、日本海軍に徴用されました。

上村神社

2008-10-19 | 藤沢
以前、鵠沼本村地区で上村(かむら)神社を探して見つからなかったことがあります。今回はなんとかたどり着きました。周りが新しい住宅で囲まれたため、神社が見えにくくなっていたのです。鳥居が2つ並んでいました。


赤い鳥居のある方は、上野森(かみのもり)稲荷神社でした。この神社は、社殿が2重になっていて、外側を格子で囲んであります。


稲荷神社の由来です。


もう1つの白木の鳥居のある方が、探していた上村神社でした。この社殿も2重造りでした。「おしゃもじさま」という別名があり、村人の健康祈願に応える神社だったようです。


上村神社の由来です。


境内の入り口近くの、双体道祖神です。昭和58年奉納ですから、新しい道祖神です。左右の石碑は、磨耗した昔の双体道祖神のようです。

内田の辻

2008-10-18 | 藤沢
藤沢第一中学の敷地に接した小さな一画に、小さな庚申供養塔が祀られています。
ここは、その昔、内田の辻と呼ばれた場所で、古い道が通っていたようです。供養塔の後ろに白い天幕が張ってあるのは、現在藤沢第一中の改築が進行中だからです。

高校と中学の間の切通し

2008-10-17 | 藤沢
湘南高校と藤沢第一中学の間の切通しです。多分、ここも昔は砂丘だったのでしょう、切通しの両側が玉石垣になっています。この風景をいつまでも残したいものです。人通りが少ない道なので、安全パトロールの旗が立っているのが残念です。