鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

片瀬・馬喰橋(うまくらいばし)

2010-02-28 | 藤沢


境川の新屋敷橋から左岸を上流に向かって少し歩くと、右手に馬喰橋の欄干があります。
片瀬山から流れて来た片瀬川が境川に合流する場所に架かる橋です。


橋から川をのぞくと、小川がちょろちょろ流れているだけです。
最近住宅開発が進んだので、右側がコンクリートの壁になってしまい、趣もなくなりました。


掲示されている橋の由来から考えると、昔はかなりの川だったようです。
片瀬山が現在のように大規模な住宅地に開発され、下水道が構築される以前は、
片瀬山に降った雨の多くは片瀬川に集まって境川に流れ込んだのでしょう。
それにしても、「馬喰らい橋」とは大げさな橋の名前です。

石川・山王神社

2010-02-27 | 藤沢


権現庭の森に沿って農道を北に進み、石川ポンプ場の十字路で右に曲がりました。
ここもまだ森の中を上る坂道でした。


しばらく上ると、左手に山王神社の石碑と階段が見えて来ました。


階段を上ったところに鳥居があり、社殿まで参道が続いていました。


森の中の神社を期待していたのですが、
社殿の左手は畑地で、裏手には農家の建物がありました。
神社創建の時は多分森の中だったのでしょう、
開発が進み周辺が畑地になったと思われます。

石川・権現庭の森

2010-02-26 | 藤沢


権現庭の森の周辺は、藤沢市の引地川緑地保全地域に指定されています。
熊野権現堂の帰り、森に沿って農道を北に向いました。


農道のすぐ脇に、大きな木が倒れていました。
倒れてからかなり経つのでしょう、先の方の大きな枝が起き上がっていました。
これも緑地保全の1つの方法なのかも知れません。


しばらく歩くと面白いものを発見しました。
この辺りは森の水が集中して、農道まで土砂が流れて来そうな場所です。
農道の右手の上部に浅い井戸のようなものが作ってあり、
そこに溜まった水をパイプで農道脇の小川に流していました。


久し振りに森の匂いと田園風景を楽しみました。
振り返った森の右手に見えるのは、横浜水道引地川水道橋です。

石川・熊野権現堂

2010-02-25 | 藤沢


引地川の石川橋から東側に広がる畑と水田、その向こうの森を眺めました。
森の右手は権現庭と呼ばれ、何処かに熊野権現堂がある筈です。


石川橋から森に近づき、森に沿った農道を北に向いました。
小川に架かる小さな石橋がありました。
標識はありませんが、この橋を渡って森に入りました。


枯葉の中の苔むした小さな石段を上りました。
あまり人訪れた気配が残っていませんでした。


上り詰めた場所は、森の中の小さな広場でした。
お堂と石碑がありました。


石碑には権現堂の由来が記してありました。
小栗判官満重の子・小次郎助重がここで強盗に毒を飲まされ
財宝を奪われようとしたのを遊女照手に助けられ、遊行寺に助けを求め、
時衆2人と一緒に三河まで逃れたようです。
その後、永享年間(1429-41)頃、ここで強盗を討ち、
照手に財宝を与えたと伝わっています。


上ってきた石段の脇にあった小さな石碑です。
よく見ると「大願成就」と彫ってありました。

これも石川の梅だ!

2010-02-23 | 藤沢


石川には「かながわの名木100選」に選ばれた樹齢300年を越す豊後梅がありました。
民家の庭にあったこの梅は、現在ではもう見ることが出来なくなりました。
地図の標識の辺りを歩いているうちに、ある民家の塀越しにすばらしい白梅を見つけました。
これも立派な石川の梅です。

石川・鬼子母神堂

2010-02-21 | 藤沢


石川4丁目の北側、43号線寄りの場所にある鬼子母神堂を訪ねました。
道路沿いの民家の庭と思われる場所にありました。


お堂の前は木立の中に細い道があるだけで、
正面から撮影するスペースはありませんでした。


鈴を鳴らす綱の上部に、鵠沼から来た人のお札が付けてありました。
この場所に度々通う人もいるようです。

石川・佐波大明神②

2010-02-20 | サバ神社


佐波大明神の境内です。
正面に社殿があり左手に鐘楼があります。


社殿はまだ建造間もない様子で、なかなか立派な佇まいです。


右手に神楽殿があります。瓦屋根の前の線が曲線になっています。


左手に社務所があります。
氏子が集会などに使う場所で、神主が常駐しているようには見えませんでした。


社殿正面に近づくと、佐波大明神の掲額や神殿の扉などが金色の金具等で輝いていました。


社務所右手に大きな石碑があり、社殿等の再建の経緯が記してありました。
平成9年9月に再建が終了したようです。


また細い参道を通って帰途につきました。

石川・佐波大明神①

2010-02-19 | サバ神社

サバ神社探訪第2号は石川の佐波大明神です。
この神社の祭神は源義朝、創立は慶長16年頃(1611)で当初は左馬頭神社でしたが、
文化3年(1808)鋳造の梵鐘には鯖神社と記されています。
文久2年(1862)の銘がある石碑には佐波大明神と刻まれています。
引地川の西側にあるサバ神社はこの1社だけです。


引地川の秋本橋を渡って西に向って坂を上ると、変形十字路の右手前が佐波大明神です。


鳥居の前に立つと、参道がはるか向こうに伸びています。


鳥居の右手前にある庚申塔です。
右側に「右あつぎ道」と刻んでありますが、移設されたものでしょう。


鳥居をくぐると、参道右手に石碑が並んでいます。


字が彫ってあっても、残念なことによく分かりません。


この2基は「佐波大明神」の名前があります。


更に参道を進むと、昼なお暗い木立の向こうに境内が見えます。

石川・自性院

2010-02-18 | 藤沢


天神町の天神社から西へ坂道を下り、引地川の秋本橋まで来ました。
橋の上から東側の川沿いに見える寺が自性院です。


入口に寺の由来が記されていますが、「自性院」という名前の由来がありません。
手持ちの資料によると、地頭の中根七左衛門が妻の菩提を弔うために現在の場所に中興したとあります。
「自性院」は妻の戒名のようです。


入口の両側に枝垂れ紅梅がありました。


この寺を訪ねたのは2度目ですが、前回も感じましたが、
境内の手入れがきちんとしていることに感心しました。


境内右手の地蔵達もしっかりとよだれかけを付けています。
残念なことに浮き彫りの地蔵はよだれかけがきちんと付きません。
半月形のようになっています。


帰りがけに気づいた入り口右手の水門です。
この辺りは引地川の河床で用水路や小川が流れています。
大雨の時はこうした水門を操作するのでしょう。

天神町の天神社

2010-02-17 | 藤沢


小田急線六会日大前から日大附属農場に沿った道を西に歩いて、
天神町にある天神社を目指しました。
これは日大附属農場に咲いていた梅です。


天神町2丁目にある天神社です。
旧社殿は寛保元年(1741)の造立されたと伝わっていますが、
現在の社殿は昭和48年の再建です。
この辺りは冨士、丹沢などの美しい夕焼けを楽しめる絶好の場所です。


天神社の祭神は菅原道真です。社殿には天満宮の額が掲げられています


天神町が住宅地として開発された時に整備されたのでしょう、
境内には庚申塔などの石碑が並んでいます。


この双体道祖神はなかなかモダンな様式です。


裏に廻って、建立時期を確かめました。昭和61年9月でした。



ボートの行方

2010-02-16 | 藤沢


境川の西浜橋から上流を眺めた景色です。
以前は両側にびっしりとプレジャー・ボートが係留されていましたが、
いくらか隙間が見えるようになりました。
不法係留規制が定められ、期限付きの係留許可などがありましたが、大分すっきりしました。


西浜橋から海に向う川辺からボートをのぞくと、「船売ります」の文字が目に入りました。


よく見ると「境川係留可」とも書いてありました。
規制掲示には、現在係留中でも新しいボートへの変更は認められないとありました。
持ち主の変更は問題ないのでしょうか?





下藤が谷公園の松と桜

2010-02-15 | 藤沢


境川沿いの下藤が谷公園近くの土手で、江ノ電の鉄橋とその向こうに片瀬山が見える場所です。
この公園の黒松はのびのびと育ち、鵠沼1番の黒松林になっています。


この公園に数年前から寒桜が植えられ、大事に育てられています。
まだ添え木に支えられた若木ですが、花が咲き土手を散歩する人々を楽しませています。

片瀬・常立寺の枝垂れ梅②

2010-02-14 | 藤沢


本堂右手の枝垂れ梅を入れて本堂と裏山を撮りました。
紅梅もあるのですが、白梅が主役です。


梅だけを撮るのはなかなか難しく、アップにするとさびしい画面になります。


どうにか枝垂れ梅らしい雰囲気の画面を撮りましたが、素人にはこの程度が限界です。


帰り際に通用門から振り返った景色です。白壁の塀越しに鐘楼が見えます。