花の光則寺 2013-03-31 | 鎌倉 花の光則寺にカイドウを見に行きました。 参道で満開の桜が迎えてくれました。 少し早めに着いたつもりでしたが、すでに先客がいました。 本堂右手のカイドウは満開でした。 カイドウの一枝です。 境内の木陰のツバキです。 ヤマブキも満開でした。 これはミツマタです。 帰りも桜に見送られました。
野毛大通りの桜 2013-03-30 | 横浜 図書館の食堂で休憩した後、野毛大通りを歩いて、桜木町に向かいました。 街並みがすっかり変わっているので、昔の記憶とは殆ど重なりませんでした。 「ちぇるる野毛ショッピングセンター」の前に満開の桜があったのが場違いで印象的でした。
ここは横浜中央図書館 2013-03-29 | 横浜 野毛山公園を抜けて、次に私の勉強部屋だった野毛山の図書館を目指しました。 昔のイメージを頼りに歩きましたが、記憶とつながる建物がありません。 突然大きな建物が目の前に出現し、そこを通り抜ける大きな階段に行き当たりました。 ここが横浜中央図書館(昔の野毛山図書館)でした。 1994年4月の開館で、現在では全国でも指折りの図書館なのだそうです。
野毛山のプールが見つからない 2013-03-27 | 横浜 関東学院の旧校舎を訪ねた後、思い出の道を辿って野毛山のプールを目指しました。 野毛山公園の南斜面に注目しながら歩き、展望台に上がって辺りを見回しましたが、プールはありませんでした。 展望台からいろいろ眺めていて、すぐ南の右下に長方形の草地が広がっているのに気がつきました。 家に戻って、グーグルの写真地図で確認し、ここが野毛山プールの跡地であることを確認しました。 私がはじめてを水泳を経験したプールはもうありません。 2009年に解体されたようです。
関東学院の旧中学校本館を訪ねる 2013-03-26 | 横浜 藤棚浦舟通りの霞橋の近くから3分咲きの桜を眺めました。 半世紀以上ご無沙汰の母校関東学院を訪ねようとしています。 戦後の復興期に中学・高校の6年間を過ごした場所です。 坂を下って、関東学院の正門に着きました。 ここから春らしいスロープをゆっくりと上りながら、なつかしい建物を目指しました。 暖かい日差しの中を、咲き始めた桜を楽しみながら近づきました。 屋上に八角の塔が4つある昭和4年(1929)建設の旧関東学院中学校本館が見えました。 当時は何も知りませんでしたが、この校舎はJ.H.モーガン設計で現在は横浜市認定歴史的建造物に認定されています。 昔も大きかったヒマラヤスギは、今では塔より高くなっていました。 枝に帽子を投げ上げて遊びましたが、今ではそれは出来そうもありません。 入学当時はこの建物にある礼拝堂で説教を聞き、讃美歌を歌っていました。 正面玄関です。 生徒はここから出入りしなかったので、はじめて見るような気分でした。 玄関右手に「人になれ、奉仕せよ」という校則を刻んだ石がありました。 簡明な言葉なので、これは今でも忘れていません。 目的の建物を近くから眺めたので、満足して今来た道を戻りました。 帰り際、入口の格子に大きな校章がついているのに気づきました。 格子越しに見える高台は霞ヶ丘です。 三春台の向う側の霞ヶ丘に上り、学校を振り返りました。 訪ねた旧校舎は木立の中に見えますが、三春台の高みの現在の中学、高校の建物が目立ち、時代の変化を実感しました。
烏森公園の桜 2013-03-25 | 藤沢 桜の開花が早まったという情報に、とりあえず烏森公園に出掛けました。 確かに桜が咲いていて、3分咲きといった感じです。 それでも、日差しの良い枝だけ見ると、満開の雰囲気でした。 遠目に見ると、もう2、3日待って出直した方が良いといった様子です。 ここは静かに桜を楽しむには良い場所です。
大庭台墓園・ケヤキとアセビ 2013-03-24 | 藤沢 春の彼岸、大庭台墓園の中央ロータリーの大ケヤキです。 よく見ると、細枝の先に芽吹きが始まっていました。 墓園の斜面では、アセビが満開でした。 山で見かける自然のアセビとは違い、庭のアセビは賑やかです。
鎌倉今小路通りのはちみつ屋 2013-03-23 | 鎌倉 鎌倉今小路通りの巽神社の向かいにあるはちみつ屋です。 はるか昔、学生時代の頃から、ここにはちみつ屋があることは知っていました。 今回初めて暖簾をくぐり、はちみつを買いました。 店の人に聞くと、戦後に開業したと言ってました。 鎌倉ではちみつを買った記念の写真です。
阿仏尼の墓と隠里稲荷 2013-03-22 | 鎌倉 5年振りに扇ヶ谷の道沿いにある阿仏尼の墓を訪ねました。 小さなやぐらに中に石塔があるだけですが、横に「阿仏尼を偲ぶ会」の布旗があるので分かります。 ついでと言っては失礼ですが、隣にあるやぐらの稲荷にも敬意を表しました。 5年前にも招き猫がありましたが、新しい大きな招き猫が前列に並んでいました。 やぐらの右手に英勝寺が立てた「隠里稲荷」の解説板がありました。
海蔵寺 2013-03-21 | 鎌倉 鎌倉扇ヶ谷の北奥にある海蔵寺山門前です。 応永元年(1394)足利氏満の命で上杉氏定が再建、開山は空外和尚と伝わっています。 山門を入ると、左手に仏殿、正面に本堂、右手に庫裏が見えます。 仏殿は薬師三尊、十二神将像、伽藍神像が安置され、薬師堂とも呼ばれています。 安永5年(1776)に浄智寺から移築されたようです。 本堂の内部には龍護殿の額が掲げてありました。 関東大震災で倒壊し、大正14年(1926)の再建です。 本堂左手のやぐらの1つに宇賀神の像が祀られています。 雨宝殿と呼ばれるもので、翁の体に蛇が巻きついていました。 境内左手の少し離れた場所にある「十六ノ井」です。 弘法大師によって掘られたと伝わっています。 山門右手前に、鎌倉十井の1つである「底抜ノ井」があります。 室町時代、尼が修行中に桶に水を汲んだ時、桶の底が抜け、心のわだかまりが解け悟りに至った、という話が伝わっています。
英勝寺 2013-03-20 | 鎌倉 鎌倉扇ヶ谷の寿福寺右隣にある英勝寺の山門(2011年に復興)です。 英勝寺は寛永13年(1636)建立、水戸徳川家にゆかりのある英勝院尼を開基とする鎌倉唯一の尼寺です。 本尊木造阿弥陀仏如来立像を祀る仏殿です。 間口、奥行ともに3間、寄棟の屋根、裳階(もこし)付きの建物です。 袴腰のある珍しい鐘楼です。 境内の隅にあった三霊社権現の入口です。 穴が狭いので入るのは遠慮しました。 少し離れたところで穴の出口を見つけました。 左手の暗がりの奥に小さな仏像などが安置されているようです。 帰り際、通りに面した大田道灌邸旧蹟の碑に気がつきました。 英勝院尼は太田道灌から4代目の太田康資の娘だったようです。
寿福寺 2013-03-19 | 鎌倉 鎌倉扇ヶ谷にある寿福金剛禅寺の総門です。 正治2年(1200)に源頼朝の妻北条政子が建立しました。 総門から中門までの参道です。 緑豊かな石畳の道が往時を偲ばせると言われています。 参道の行き止まりは中門です。 境内を見られるのはここまでで、この先は非公開になっています。 中門からのぞいた仏殿です。 仏殿の手前に伸びているのは鎌倉市天然記念物指定のビャクシンの枝です。 境内の左手を迂回すると、奥にある墓地は自由に入れます。 寿福寺開基の北条政子の墓です。 やぐら形式の墓地が沢山あります。 その中に高浜虚子の墓を見つけました。
本郷ふじやま公園・山路 2013-03-17 | 横浜 古民家から富士塚のみちを辿りました。 気持ちの良い里山散歩道です。 枯れ枝の落下に注意を促す見事な注意書きがありました。 ここがふじやま山頂です。 石碑が並んでいましたが、判読できませんでした。 富士講の記念碑のようです。 帰りは孟宗竹のみちを下りました。