葛原・皇子大神 2011-04-30 | 藤沢 滝不動の向かいに葛原地区の鎮守、皇子大神がありました。 鳥居の先に、鬱蒼とした木立の長い参道が伸びています。 祭神は葛原親王で、例大祭は9月18日です。 明治維新の神仏分離までは長盛寺の所管だったようです。 以前は皇子大権現と言われましたが、明治2年(1869)に現在の名称になったようです。
葛原・滝不動 2011-04-29 | 藤沢 公民館のすぐ近くに滝不動がありました。 入口の石碑は読みにくかったのですが、「滝出現不動尊」のようです。 滝不動は寛永元年(1624)創建の長盛寺の跡地にあるお堂で、 慶安5年(1652)村民の与右衛門が夢のお告げで、滝のそばで不動像を見つけたのが起源となっています。 社殿の額の前にある鰐口(享保11年銘)は戦時中の供出を免れたもので、 市内には3~4個しかない貴重品です。
葛原・公民館に立ち寄る 2011-04-28 | 藤沢 葛原公民館に立ち寄りました。 郷土資料があれば見学しようと思ったのですが、丁度地方選挙の投票日だったので遠慮しました。 いつも期日前投票をするので、気がつかなかったのです。 公民館の前に、葛原の起源を説明する掲示がありました。 1つは、葛原親王がこの地に居たので、高座郡となり、葛原となった、という説です。 もう1つは、葛原親王の子孫の長田氏の「垂木の御所」があったからだ、と言う説です。 伝説にしても、郡の名称や地名が残っているのは確かです。
葛原・塩井淵の辻 2011-04-27 | 藤沢 元の道に戻って、少し歩くと、南葛野の三叉路でした。 その昔、この辺りは「塩井淵の辻」とよばれた場所のようです。 三叉路の中央に安政10年(1864)の「出羽三山供養塔」が建っていました。 供養塔の左側面です。 長盛寺の僧をリーダーにして、はるばる出羽三山参詣に出掛けたとあります。 安政元年(1854)は安政東海地震M8.4、安政南海地震M8.4が発生し、翌年には安政江戸地震M6.9が発生しています。 安政時代は地震、津波、黒船、打ち壊しなどがあり、未曾有の転換期だったと言われます。 出羽三山詣でも、気楽な物見遊山ではなく、平安を祈る気持ちが強かったと思われます。
葛原・垂木の御所 2011-04-26 | 藤沢 新緑を楽しむため、藤沢北西部の葛原地区のぶらぶら散歩に出掛けました。 長後駅西口からバスで10分ほどでバス停「葛原」に着きました。 ここからぶらぶら散歩です。 しばらく西に歩いて、バス停「谷戸入口」で右に入ると、畑の中に鳥居がありました。 手元の平成12年の資料によると、ここには「垂木の御所」を表した祠があると書かれていましたが、 鳥居の向こうには小さな社が出来ていました。多分、この中に祠があるのでしょう。 社殿の額には「葛原親王」とありました。 伝説では親王は桓武天皇の第三皇子で、平安時代にその子孫坂東平氏の長田氏が葛原を領地にしました。 そのため、この辺りを「垂木の御所」と呼び、葛原の南にある菖蒲沢には「御所見塚」がありました。 御所見小学校、御所見中学校、御所見市民センターなど今も現役です。
55年前の山歩きの写真 2011-04-25 | 回想の山歩き 古い友人のHPを見ていて、55年前の山歩きの記事を見つけました。 一緒に歩いたことは確かですが、細部の記憶がありません。 友人は記憶力抜群なので、当時の資料があったら教えて欲しいと頼みました。 すぐに地図と記録、写真が届きました。 1956年5月、新宿発23:55の中央線の夜行を藤野駅で降り、2:30頃から歩き始め、陣馬山・景信山・高尾山を歩き、 夕方16:00頃高尾駅(当時は浅川駅)で電車に乗って帰途についた、ようです。 半世紀以前の山歩きということで、写真をブログに入れることにしました。 6人で出掛けたのですが、写真には5人しか写っていません。 カメラ持っている者が1人で、他の5人は撮られても撮ることを考えなかったようです。 友人の記憶だと、1人ずつの写真は景信山で撮ったものだと思う、とありました。
逗子・小坪の町を下る 2011-04-24 | あちらこちら 披露山庭園住宅地から離れ、細い石段を下って漁港のある小坪の町へ下りました。 坂の途中で「天照大神社」の石碑があり、左手に階段がありましたが、 見上げるとはるかに石段が続いていたので、その場の会釈だけにしました。 少し下ると、集落用の古井戸がありました。 水道が無かった時代、ここが共同の水場だったのでしょう。 今でも庭木の水やりなどには利用されているようでした。 傾斜がゆるくなり、家並みが混んできましたが、道は細いままで車などは通れません。 道路わきに置いてあったオートバイの座席でネコが昼寝をしていました。 さすがに漁港のネコです、近づいても逃げるでもなく、ちょっと顔だけ向けました。 漁港を見るには遅い時間でしたので、下り終わったところでぶらり散歩の終点としました。
逗子・披露山庭園住宅 2011-04-23 | あちらこちら 披露山公園から少し下って、披露山庭園住宅街に入りました。 この辺りは標高100mほどで、昔は小坪山と呼ばれた場所です。 1965年に開発が開始され、1戸約300坪で区画割された住宅地です。 一時期、日本のビバリーヒルズとも評されました。 宅地の境界線に塀などを建てることが制限されているので、 隣の庭先も自分の庭と錯覚出来るようになっています。 電線、電話等のインフラはすべて地中に埋設されているので、すっきりしています。 周囲に商業施設はありません。 大変立派な住宅地ですが、生涯一庶民には日々の居心地が想像出来ませんでした。
逗子・浪子不動から披露山へ 2011-04-22 | あちらこちら 逗子海水浴場の砂浜を横切って、134号線沿いの駐車場の先にある高養寺に着きました。 ここは蘆花の小説「不如帰」の舞台になった寺で、浪子不動とも呼ばれているところです。 寺の門前を自動車道路が横切っているので、当時の雰囲気を感じるのは難しいと思いました。 高養寺境内の左手から、山道に入り披露山へ向かいました。 春の山道は明るく、鶯の声があちこちで聞こえ、楽しい登り道でした。 途中の道沿いにあった満開のエニシダです。 頂上の披露山公園です。駐車場があるので、車でやって来た人でにぎわっていました。 披露山公園の展望台から、桜山とその右の葉山マリーナの方を眺めたところです。
逗子・太陽の季節 2011-04-21 | あちらこちら 田越川が海に入る場所に134号線の渚橋があります。 修理中の渚橋を渡って、逗子海岸の砂浜に下りる場所に海を背景に建っている記念碑があります。 先日、東京都知事4期目に当選した石原慎太郎の「太陽の季節ここに始まる」の碑です。 逗子海岸の砂浜を歩き、振り返ったところです。 左手に記念碑が小さく見え、後ろが修理中の渚橋です。 背後の山は蘆花記念公園があった桜山の山並みです。
逗子・蘆花記念公園 2011-04-20 | あちらこちら 次に桜山にある蘆花記念公園を目指しましたが、入り口を間違え住宅地をいろいろ歩きました。 どうにか公園らしい広場にたどり着き、そこからゆるやかな歩道を上りました。 歩道に居たネコが見送ってくれました。 道沿いに、蘆花の小文が書かれた木版がいくつも立ててあり、当時の景観と蘆花の印象が紹介されていました。 やがて道は郷土資料館の門前に着きました。 門を入り前庭から遠く西の方を望むと、霞んだ江ノ島が見えました。 遠景は昔も今もそんなに変わっていないのだろうと思いました。 郷土資料館は、徳川宗家の別荘だった建物で、ここで蘆花が過ごしたようです。 生憎なことに月曜日だったので、詳しい資料を見ることが出来ませんでした。 資料館の小さな庭も春の日差しの中で輝いていました。 まだ上に登れば、見晴らしの良い広場がありそうでしたが、 あやめがきれいに咲いている場所で、下りの道を選び田越川に戻りました。
逗子・六代御前の墓 2011-04-19 | あちらこちら 田越川沿いをしばらく進み、田越橋の交差点を越えると左側に「六代御前」の石碑がありました。 駐車場の中にあるので、期待外れの石碑だと思いましたが、よく見るとここは処刑の跡地でした。 道を左折して少し入ると、2本のケヤキの巨木がそびえる塚があり、そこが「六代御前の墓」でした。 六代御前とは、平の維盛の長男高清で、平家滅亡の際、処刑の直前で何とか生き延びましたが、 その後も時に運がなく、結局はこの田越川端で処刑されてしまったと伝わっています。 この掲示は、その伝説を格調高い文章で綴ってあります。
逗子・田越川の桜 2011-04-18 | あちらこちら 延命寺から田越川に戻り、川沿いに海へ向かいました。 桜と柳が川の両側を飾っていました。 川沿いの桜の向こうに、桜山の桜も見ることができました。 静かな川端をゆっくりと歩きました。
逗子・延命寺 2011-04-17 | あちらこちら 逗子海岸と周辺の丘のぶらり散歩です。 逗子駅から24号線を東に進み、田越川を渡った左手が延命寺です。 逗子大師とも呼ばれる寺で、昔は三浦氏や北条氏の祈願所だったようです。 境内右手の鐘楼の手前に、三浦道香とその家臣の墓といわれる7基の宝篋印塔がありました。 掲示によると、戦国時代、北条早雲が兄義同の平塚の岡崎城攻め落とし、義同は弟道香の小坪の住吉城まで逃れたが間もなく落城。 道香と家臣は田越川の近くで自害したと伝わっています。 兄義同の岡崎城は昨年「カイノキ」探索で何度か訪ねた場所です。
相模線寒川駅 2011-04-16 | あちらこちら さむかわ中央公園からの帰りは、相模線の寒川駅を利用しました。 ホームからも満開の桜がよく見えました。 自転車駐輪場の桜です。 ホームに向けた看板の1つに、新幹線新駅招致の看板がありました。 高座郡寒川町の倉見地区に新駅を作るプロジェクトです。