鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

カトマンズからポカラへ

2008-06-30 | 回想のネパール
カトマンズからポカラへの移動は西へ200kmのバスの旅でした。未舗装の道もあり、土砂崩れで一時通行止めの箇所では、修理中の道を歩いて通過した場所もありました。車窓から急斜面の畑を眺めながら、段々畑は狭い日本の独創ではなく、農民にとっては普遍的な方策なのだ、と妙に感心しました。


途中の休憩場の近くの、野菜の市場です。並べてある野菜は、比較的馴染みのあるものでした。旅行前に、水の注意があり、飲料水はボトルで支給されていたので、気軽に買い物は出来ませんでした。
(ネパール 2001年2月)

江ノ島駅と片瀬江ノ島駅

2008-06-29 | 藤沢
江ノ島電鉄に「江ノ島」駅があり、小田急電鉄に「片瀬江ノ島」駅がありますが、最近ウイキペディアで面白い情報を発見しました。小田急電鉄の江ノ島線は昭和4年4月に開業しましたが、駅名は「江ノ島」の予定だったようです。ところが開業1ヶ月前に、江ノ島電鉄がそれまでの「片瀬」駅を「江ノ島」駅に改名したため、小田急電鉄の駅は「片瀬江ノ島」駅になった、ということです。駅名にもいろいろ事情があるようです。

カトマンズ市街風景②

2008-06-28 | 回想のネパール
カトマンズ旧王宮近くのジャガナート寺院です。この寺院の右手後方に旧王宮入り口ハヌマン門があります。


旧王宮入り口の左手に、奇妙な像が立っています。猿神ハヌマン・ド・カの像です。見ただけでは、なかなか理解の難しい神様のようです。


ジャヴァ寺院の近くで見かけた恐怖の神カーラ・バイラブです。この神様はジャヴァ神の化身と言われています。生贄の血が塗られているようで、階段まで赤く染まっていました。
(ネパール 2001年2月) 

時が流れて

2008-06-27 | 藤沢
海沿いの国道134号線の風景です、海に面した3軒の店が、面白いコントラストを示しています。中央の「マイアミ貝新・磯料理」の店は、仲間が少なくなった中で、伝統を守って頑張っています。右手の「ランボン湘南」はサーファーのための用品販売店です。左手の「ダイビング・センター」はダイビングやボートのライセンス取得のための講習などをやっているようです。確かに「時の流れ」を感じます。

カトマンズ市街風景①

2008-06-26 | 回想のネパール
カトマンズのダウンタウン(?)の風景です。道路工事中のような場所で、物売りが店を広げていました。女性は数少なく、ほとんどが男性で、のんびりと話し合っているのが目立ちました。


突然夕立になって、それぞれ近くの店に一時雨やどりしました。輪タクが一生懸命走っています。その向こうは観光案内所です。


(ネパール 2001年2月)

鎌倉の新聞販売店

2008-06-25 | 鎌倉
由比ガ浜大通を西から東に歩きながら、途中の右側の面白い建物に気がつきました。何度も歩きながら、今まで気がつかなかったのですが、右隣が空き地になったので、家の構造が良く見えるようになったのです。


正面から見ると、毎日新聞の販売店でした。古くからある建物をそのまま利用しています。それにしても、この2階の形式では、かなり目立った家だったように思います。

カトマンズ・スヤンブナート

2008-06-24 | 回想のネパール
カトマンズ観光ツアーで訪れた、小高い丘の上の、スヤンブナートのストーパです。チベット仏教と同じ流れと思いますが、境内には経典の入った経車が沢山あって、これをくるくる回すと、お経を唱えたのと同じ効果があるということでした。


丘の上から眺めた近くの町の様子です。緑もあって、のどかな雰囲気が感じられました。カトマンズの中心街が雑然としていたので、ちょっと落ち着きました。
(ネパール 2001年2月)

田村隆一展・鎌倉文学館

2008-06-23 | 鎌倉
江ノ電の車内ツルシ広告にあった「あばよ、カバよ、アリゲーター!」という詩の1行に感心したので、鎌倉文学館の田村隆一展に出かけました。若い頃「四千の日と夜」という田村隆一の詩集を愛読しました。


江ノ電由比ガ浜駅から山側に進むと、落ち着いた住宅街を抜けて、緑豊かな坂道に入ります。


入場料400円を払って、さらに進むと、招鶴洞というトンネルがあり、その先が鎌倉文学館です。


旧前田侯爵の別邸が現在の鎌倉文学館です。常設展と田村隆一展と両方見ても、2時間はかかりませんでした。詩人の生涯と作品を振り返る展示は、詩のように簡潔にまとめてあり、なかなか良かったです。


魚網の小山

2008-06-21 | 藤沢
片瀬漁港で見かけた魚網の小山です。この漁港には釣り船が多く、大勢の釣り客で賑わっていますが、ちゃんとした漁業もやっている証しでしょうか、いろいろな漁具も整理してありました。ここで水揚げした新鮮な魚や、近隣の野菜などを扱う朝市が定期的に開かれています。人が集まるので、最初に整理券を配ると聞いたので、まだ行ったことはありません。

カトマンズ・パシュパティナート寺院

2008-06-20 | 回想のネパール
午前中の自由時間を利用して、ヒンズー教のパシュパティナート寺院を訪ねました。これは東門の真上の飾りです。参詣する人で混み合っていましたが、この寺院は一般観光客は入場禁止なので、寺院周辺をゆっくりと見て歩きました。


寺院の西側を流れる川を渡って、小高い丘の上から寺院の西門を見下ろしたところです。西門を出てすぐ右側の建物は、終末の近づいた人と家族がひと時過ごす場所だそうです。


西門を出て川岸まで下りると、そこが火葬場アルエガードです。川岸に作られた石の台の上で火葬が行われていました。ここは庶民用の火葬場で、この右手には、少し大型の富裕者用の火葬場もありました。遺灰はそのまま川に流されるようです。
観光気分で見る場所ではありません。
(ネパール 2001年2月)

遠藤・宝泉寺のお地蔵さん

2008-06-19 | 藤沢
あじさい見物の帰り、近くの宝泉寺を訪ねました。だいぶ以前に何回か参詣したことがありますが、建物や境内がすっかり整備され、立派な寺院になっていました。昨年末住職が亡くなったため、山門に「山内不幸」の掲示がでていました。


山門の左手に6体の地蔵さんが並んでいましたが、これをじっと見ていて、何かに似ていることに気がつきました。信者に怒られそうですが、テレビで見た南アフリカの砂漠に住んでいるミーアキャットにそっくりです。太陽に向かって2本足で立って、お腹を暖めている姿によく似ているのです。

カトマンズ・パタン散歩

2008-06-18 | 回想のネパール
夕方カトマンズのホテルに着き、夕食まで時間があったので、地図を片手にパタンまで出かけました。ここは旧王宮があった町です。英語でGOLDEN TEMPLEと書いてある寺院があったので、入場料を払って参詣しました。よく分かりませんが。雰囲気はゴールデンでした。


人の流れについて行くとダルバール広場に出ました。広場にはいろいろな物売りの店が出ているのですが、夕方なのでもう片付けが始まっていました。とりあえず、広場をぐるぐる歩き回って、最初にくぐったパタンゲートを見つけ、ホテルに戻りました。
(ネパール 2001年2月)

遠藤・あじさいまつり

2008-06-17 | 藤沢
遠藤あじさいまつりが開かれるというので、混雑をさけるため前日にあじさい見物に出かけました。辻堂駅からバスに乗り、慶応大学で降りた所から、すぐの場所でした。


遠藤地区の農地の中を流れる小出川のえびす橋から大黒橋までの500mがあじさいまつりの会場です。


小出川をきれいに保つために、農家の人達が、それぞれ担当のあじさいを育てたようです、あじさいの根元に、担当者の名札があります。


少し離れた丘から眺めた小出川とあじさいです。手作りのあじさいという感じが伝わってきます。

突然イスラマバード

2008-06-16 | 回想のネパール
ヒマラヤの山を見ようということで、突然ネパールへ行くツアーに参加しました。パキスタン航空利用のため、先ずパキスタンのイスラマバードに着きました。1泊して、乗り継ぎ便を待つ間、バスで市内観光です。これはバスの中から見た乗合バスの様子です。


これもバスからみた超新型のフェイサルモスクです。この周辺には大統領官邸、国会議事堂など首都機能が集中しているところです。数時間の覗き見ですから、コメントはなしです。
(ネパール 2001年2月)