鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

大韓民国保寧市

2009-05-31 | 藤沢

これも市役所で見つけた記念碑です。
旧館の前庭にありますが、まだ建立されて2年未満の新しいものです。


説明によると、藤沢市は大韓民国の保寧市と2002年に姉妹都市になり、
その友好の標として2007年11月に保寧市長より贈られたものでした。
藤沢市民でありながら、初めてその事を知りました。

江ノ島弁財天道標2基

2009-05-30 | 藤沢

野暮用で市役所に行ったので、ついでに構内の江ノ島弁財天2基を撮って来ました。
藤沢宿から江ノ島に到る江ノ島道にあった道標です。


側の解説によると、現在12基が確認されていて、市指定重要文化財になっています。
その昔杉山検校が寄進したのは48基と伝わっていますから、
まだどこかに埋まっている道標があるかも知れません。

線路沿いにジャノメソウ満開

2009-05-29 | 藤沢

小田急線江ノ島駅と鵠沼海岸駅の途中の踏切の景色です。


右手は黄色の花でいっぱいです。


左手も黄色の花でいっぱいです。


この花はジャノメソウのようです。
念のためネット情報を調べると、ジャノメソウはもっと花の中央の模様が強烈で、
ちょっとイメージが違いますが、これも1種なのでしょう。

鳥よけの仕掛けだ!

2009-05-28 | 藤沢

ある日突然気がつきました。
ご近所の家の前を横切る電線に、黒い鳥のようなものが並んでいたのです。
鳥ならば動くはずですが、少しも動きません。


しばらく見てるうちに、ようやく気がつきました。
鳥のような形の頭の部分から細い線がのびて、隣の鳥の形につながっていました。
これは電線に鳥が止まれないようにした仕掛けです。
鳥の糞害対策のために、特別に設置された仕掛けのようです。

更なるムクドリ対策?

2009-05-27 | 藤沢

藤沢駅南口に通じるオークス通りのクスノキの並木が剪定されました。
昨年、ムクドリの大群に音をあげて、
南口広場のケヤキと一緒に2本のクスノキが大胆に剪定されました。
その先の5本ほどのクスノキが今回の対象です。
ムクドリ対策なのか、茂りすぎた枝の剪定なのか、目的はよく分かりません。
クスノキは大きくのびのびと育てたい樹なので、少しさびしい気分です。

大船駅の境界を探す

2009-05-26 | あちらこちら

藤沢駅の東隣の大船駅は、駅舎が鎌倉市と横浜市にまたがっています。
駅のどこかに境界線があるかと思い、探してみましたが分かりませんでした。


京浜東北線のホームから見た東側の小さな川(砂押川)です。
よく見ると、左手に横浜市の標識があったので、この川が境界のようです。


今度は東海道線のホームから、観音様側の川を探しました。
駐輪場の右側を流れている川があり、その先で柏尾川に合流していました。


ホームの上が大きな駅舎になっていて、横浜側から鎌倉側に中央通路があります。
写真は、中央通路の真ん中辺りで、ここが境界と思われます。


東戸塚→保土ヶ谷⑨今井川中ノ島

2009-05-24 | あちらこちら

今回のウオーキングの補足です。
国道1号線が保土ヶ谷に近づく辺りでは、国道の右側を今井川が流れています。
写真は、戸川神社の近くで見かけた今井川の中ノ島です。
その昔、今井川は保土ヶ谷に近づく辺りでは、国道の左側を流れていましたが、
水害が多発したので、幕末の頃、国道の右側に新しい川を掘削したようです。
推測ですが、中ノ島は川の流れを制御するために作られた構築物の名残りかも知れません。

東戸塚→保土ヶ谷⑧金沢横町道標

2009-05-23 | あちらこちら

保土ヶ谷1丁目の交差点を左折、東海道線の踏み切りを越えると帷子町でした。
道端に金沢横町の案内標識が立っていました。


ここを右折すると、右側に金沢・浦賀方面への道標が4基並んでいました。
「円海山乃道」「かなざわ かまくら道」「杉田 程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花」「富岡山芋大明神社の道」と、
それぞれ趣向を凝らした道案内が刻んでありました。
ここで今回の予定を終わり、保土ヶ谷駅から家に戻りました。

東戸塚→保土ヶ谷⑦軽部本陣跡

2009-05-22 | あちらこちら

国道1号線を東にさらに進んで、保土ヶ谷1丁目の交差点の右側に、
ブロック塀に囲まれた赤いトタン屋根の平屋の民家が見えました。
門は閉じてあるので、中には入れそうもありません。
どうやらここが保土ヶ谷宿軽部本陣跡のようです。
ブロック塀越しに見える古い門のような建物があり、これが本宿にはいる通用門だったようです。

東戸塚→保土ヶ谷⑥外川神社周辺

2009-05-21 | あちらこちら

国道1号線に沿ってしばらく進むと、国道の右手に外川神社が見えて来ます。
ここは保土ヶ谷宿の入口の地点です。


神社と国道の間に今井川が流れていて、その手前に一里塚跡と上方見附跡が整備されています。
ここは日本橋から8番目の一里塚と、保土ヶ谷宿の京都側の境界(上方見附)があった場所です。


外川神社に参詣する橋の近くに大きなケヤキがあり、横浜市の名木に指定されていました。

東戸塚→保土ヶ谷⑤閑話休題

2009-05-20 | あちらこちら

権太坂を下り終わって、国道1号線に沿って歩く道にでました。
1号線の修復等で車線の規制のための器具が配置されていましたが、
これがかなり面白い黄色いカエルでした。


もう少し進むと、古い器具を使った場所もありましたが、
こちらはぜんぜん面白くありませんでした。

東戸塚→保土ヶ谷④権太坂

2009-05-19 | あちらこちら

今回の目的の1つはは権太坂でした。
新鮮な目で周囲を見ながらゆっくりと権太坂を下りました。
中間地点で来た道を振り返ったところです。右手は光陵高校のキャンパスです。


権太坂の石碑です。
学生時代、権太坂に下宿していた友人の部屋を、夜遅く訪ねた記憶があります。
この近くだろうと思いましたが、風景に昔日の面影はありませんでした。


更に下って横横道路を越える権太坂陸橋から眺めたみなとみらいのランドマークタワーです。

東戸塚→保土ヶ谷③境木延命地蔵尊

2009-05-18 | あちらこちら

やきもち坂を上り詰めたところに、
武相国境之木のモニュメントが建っていました。
武蔵国と相模国の境がこの場所で、ここにケヤキの木が立っていたようです。


江戸時代から続く境木延命地蔵尊がそばにあり、
往時は近くに茶店が開かれ旅人で賑わったと言われています。


今でも多くの人が参詣するようで、
境内のお地蔵様にも千羽鶴などが沢山奉られていました。


近くに投込塚供養碑があったので寄ってみました。
近年の開発に伴いこの近くで多数の白骨が発見され、
権太坂を旅した人達の行き倒れなどを投込んだ塚があった場所とされています。
それを供養するために昭和39年に建てられた石碑です。

東戸塚→保土ヶ谷②やきもち坂

2009-05-17 | あちらこちら

品濃一里塚から旧東海道をしばらく北へ進むと、やきもち坂になります。
ここは雑木林や竹が両側からうっそうと迫り、昔の東海道の面影が残る貴重な場所とされていました。
残念なことに、片側がすっかりマンション等に開発され、がっかりしました。


残された片側に残っていた標識も、なにやら元気のない様子に見えました。