正月の俣野別邸庭園散歩 2020-01-13 | 横浜 東海道の鉄砲宿近くの俣野別邸庭園の正月散歩です。 俣野別邸 芝刈りロボットの俣三郎 枯葉の坂道 芝生の広場 見上げた飛行機雲 散歩を楽しむ人 この先の階段は昨年の台風被害で通行止めでした。
三春台をちょこっと散歩 2018-01-20 | 横浜 その昔6年間通った三春台の母校近くまで出掛けたので、辺りを散歩しました。 歩いていた道路に、「虹のプロムナード・三春台の丘」とあったので、その気になりました。 三春台第2公園に近づくと隣が校舎でした。 記憶には重ならない新しい建物でした。 公園の高みから、運動場をのぞきました。 色々な建物が増えたので、少し小ぶりになったようです。 一度丘を下って、昔の通学路から母校に近づきました。 お寺の墓地の中の坂道を上る道ですが、昔とは大分イメージが変わっていました。 入口にキャンパスの案内図がありましたが、殆んどが未知の建物でした。 中に入ろうと思いましたが、監視もきびしそうなので、散歩はここまででやめました。
紅葉の俣野別邸庭園 2017-12-08 | 横浜 東海道の鉄砲宿近くにある俣野別邸庭園の紅葉を見に行きました。 バス停鉄砲宿から正門に近づくと、早くも紅葉が出迎えてくれました。 正門脇にあった案内図です。 正門近くのあざやかな黄葉です。 芝庭から見た俣野別邸です。 芝庭にある大きな丸太づくりのテーブルセットを動かそうとしている人です。 大ケヤキの紅葉です。 葉の落ちた大ケヤキを後ろから支えている紅葉が重なっていました。 もみじ谷の紅葉です。 もみじ坂の紅葉です。 もみじ坂を下りて、明るい芝生広場で日差しを楽しみました。 芝生広場の小道沿いに並んでいた花の寄せ植えです。
立野のふぞく坂を上る 2017-09-29 | 横浜 初めて根岸線山手駅で降りました。 半世紀以前、立野にあった大学の分校に1年間通った記憶を訪ねました。 横浜の市電の時代ですから、山手駅などなく、ここからの道は不明でしたが、 目の前の坂に「ふぞく坂」とあったので、これを手がかり坂を上りました。 10分程で、大学付属の小学校にたどり着きました。 小学校の校舎と広い校庭がありましたが、大学の記憶に重なるものは何もありませんでした。 その昔の通学路は多分反対側の麦田から坂道を上ったと思います。 小学校の正門近くの見晴から、横浜みなとみらい方面を眺めました。 記憶には全くつながらない景色です。 急坂の住宅地の坂道を下って山手駅まで戻りました。
ぶらり金沢八景⑦称名寺 2017-09-11 | 横浜 ぶらり金沢八景の締めくくりとして、金沢山称名寺に参詣しました。 朱塗りの赤門をくぐりました。 称名寺は13世紀中期に創建された寺で、金沢北条氏の祖、北条実時を開基とする名刹です。 赤門の先に続く桜並木の参道です。 鎌倉時代に造られた高さ4mの大きな仁王像が迎える仁王門です。 阿字ヶ池の中の中之島、反橋、平橋を通って金堂に向かいました。 金沢三山(金沢山・稲荷山・日向山)を背にした金堂です。 右手に釈迦堂があります。 阿字ヶ池を回りながら眺めた反橋です。 境内を眺めながら大樹の木陰でひと休みしました。 紅葉の季節に再訪しようと思いました。
ぶらり金沢八景⑥伊藤博文金沢別邸 2017-09-10 | 横浜 野島公園に隣接する伊藤博文の金沢別邸を訪ねました。 明治31年(1896)建築で平成21年(2009)復元の建物です。 「晴嵐の間」と名付けられた客間です。 「帰帆の間」の床の間には、伊藤博文の書が展示してありました。 庭園から見える東京湾です。 台所棟の横には牡丹園への門がありました。
ぶらり金沢八景⑤野島展望台 2017-09-08 | 横浜 野島展望台海抜57mからの展望です。 北側の海の向うに見えるのは横浜・八景島シーパラダイスです。 八景島の左手に金沢漁港が見え、その先に人口砂丘が広がる海の公園が見えます。 南西の方向には鷹取山や逗子方面の山並みが見えました。 すぐ近くの南東には横須賀夏島町の自動車会社がありますが、木立に囲まれて、一部が見えるだけでした。
ぶらり金沢八景④津波避難施設 2017-09-07 | 横浜 野島公園展望台の上り口を求めて、更に進むと今度は津波避難施設の前に出ました。 近くの人に訊くと、この施設の上の石段が展望台への道だと教えてくれました。 海抜57mの頂上を目指してゆっくりと石段を上りました。 休みながら上ると、ようやく上の方が明るくなって来ました。 公園の散歩道のような歩きやすい道に到着、展望台はすぐそこでした。 公園をを左回りで進むと、初めから楽な坂道で展望台に着くことが分かりましたが、後の祭りです。
ぶらり金沢八景③掩体壕跡 2017-09-06 | 横浜 夕照橋を渡って野島公園に着きました。 早速野島展望台に上ろうと思い、右回りに公園の中を進みました。 残念ながら、最初に目に止まったのは、掩体壕(えんたいごう)跡地でした。 これは旧横須賀海軍航空隊の戦闘機を空襲から守るために作られた施設の跡でした。 暫く焼け跡派の昔の記憶を重ねながら跡地をしっかり眺めました。
ぶらり金沢八景②平潟湾プロムナード 2017-09-05 | 横浜 シーサイドラインの金沢八景駅から平潟湾プロムナードを歩きました。 遠くに野島とその手前を横切るシーサイドラインが見えました。 平潟湾の一部はヨットなどの船溜まりになっています。 野島に近づくと、岸壁で釣りを楽しむ人が増えて来ました。 よく見ると女性の方が多いことに気がつきました。 野島に渡る夕照橋に近づきました。 金沢八景の1つ「「野島の夕照」の周辺です。
ぶらり金沢八景①琵琶島神社 2017-09-04 | 横浜 京浜急行の金沢八景駅で降り、国道16号線を横切った所に琵琶島神社があります。 縁起案内によると、北条政子が弁財天を祀ったと伝わっています。 社殿の後方は金沢シーサイドラインの駅舎です。 ここは広重の武州金沢八景の1つ「瀬戸秋月」の舞台です。
原鉄道模型博物館の印象散歩 2017-07-05 | 横浜 横浜駅東口近くにある原鉄道模型博物館に出掛けました。 鉄道マニアでも模型マニアでもないので、印象を確認する程度の散歩です。 博物館は横浜三井ビルディングの2階でした。 ビルの入口には「希望に向かい成長する人」という像が立っていました。 最初に目に入った展示です。 スーパー骨董ともいうべき模型のようです。 鉄道模型の展示室です。 マニアはここでじっくり楽しめるようです。 原さんが小学5年生の時関西を一人で旅をした時のルートと当時の車両模型が展示してありました。 江の島モノレールのご先祖様のような、ドイツの古いモノレールの模型には驚きました。 博物館の目玉、「いちばんテツモパーク」は素人には一番分かりやすい展示です。 観る人の実力によって、楽しみ方もいろいろあるようです。 ここでは本物の運転台を使って模型の車載カメラから実際に運転しているような臨場感を楽しめるようになっています。 残念ながら小さな子供は模型よりもお父さんお母さんと遊ぶ方が楽しいようです。 ブルーライト・ヨコハマのような横浜のジオラマもありました。 帰路、隣の日産自動車グローバル本社のギャラリーをのぞきました。 帷子川に架かる人道橋「はまみらいウオーク」の上で、みなとみらいの景色を眺めました。
ぶらり鶴ヶ峰・畠山重忠の史跡 2017-05-12 | 横浜 鶴ヶ峰・二俣川の辺は、畠山重忠が北条時政により謀反の疑いをかけられ、僅か134騎で北条2万騎と戦い戦死した場所とされています。 相鉄鶴ヶ峰駅周辺の史跡をひと回りしました。 鶴ヶ峰駅北口から水道道を進み、道案内のはんこ屋の看板を目指しました。 はんこ屋の先の信号を越えると、「畠山重忠公終焉の地」の道標がありました。 小さな緑の公園の入口の案内です。 肝心の畠山重忠公の碑は奥の帷子川を見下ろす場所に建っていました。 鶴ヶ峰の本町通りのバス停薬王寺を手掛かりに、薬王寺を探しました。 地蔵堂の近くに道案内がありました。 薬王寺には「畠山重忠の霊堂」と最後に従った一族郎党の埋葬された「六ツ塚」がありました。 「六ツ塚」の案内板です。 水道道の最初のはんこ屋の裏手までもどり、畠山重忠の「首塚」の前に出ました。 重忠の首か兜が埋められた場所とされています。 首塚のすぐ近くの区役所の柵越しに見た「首洗いの井戸」の標識です。 ふれあいプロムナードを通って鶴ヶ峰駅まで戻りました。 本日の感想:終焉地の史跡はなかなか実感の難しいものです。
俣野別邸庭園 2017-04-23 | 横浜 新しい本邸を見学した後、庭園をひと回りしました。 何度か訪ねていますが、4月の俣野庭園です。 ハナミズキがようやく白くなるところでした。 八重ヤマブキのようです。 八重ザクラです。 庭園中央の芝生広場から見上げた新緑の木立です。 白い雲、青い空、新緑の木立です。 本邸近くのヒマラヤスギです。 見上げた空の賑やかな新緑です。 帰りはモミジ坂をゆっくり登って戻りました。
俣野別邸(本邸)見学 2017-04-22 | 横浜 バス停鉄砲宿から俣野別邸(本邸)に向かいました。 途中の道端で草花が賑やかに迎えてくれました。 旧住友家が1939(昭和14年)に建設した俣野別邸は国の重要文化財に指定されていましたが、2009年に全焼しました。 復元工事が完了し、4月1日から公開が始まりました。 本邸正面の車寄せです。 本邸2階から見渡した内苑です。 本邸1階から見た内苑です。 内苑からみた本邸の姿です。 1階中央の食堂ではお茶が楽しめます。