これは父の残した古いアルバムにあった、文寿堂印刷の昭和28年の労働争議解決の記念写真の一部です。後方は根岸競馬場の建物で、当時は印刷所として使われていました。多分、昭和25~27頃だと思いますが、競馬場の敷地の一部を利用して、父がサツマイモやジャガイモなどを作っていました。休日には、自転車にリヤカーをつけて、戸部から根岸まで通った記憶があります。
記憶の確認のために訪ねた現在の根岸競馬場の建物(廃墟)です。中には入れないので、周りから撮りました。
この競馬場は、幕末の慶応3年に最初は外国人居留地の娯楽施設として開設され、昭和5年(1930)に本格的な競馬場の建物が出来上がったようです。現在残っているのは、一等馬見所だけです。横須賀軍港が丸見えなことと、無線通信所に使うために、昭和18年6月に競馬場は閉鎖され、日本海軍に徴用されました。
記憶の確認のために訪ねた現在の根岸競馬場の建物(廃墟)です。中には入れないので、周りから撮りました。
この競馬場は、幕末の慶応3年に最初は外国人居留地の娯楽施設として開設され、昭和5年(1930)に本格的な競馬場の建物が出来上がったようです。現在残っているのは、一等馬見所だけです。横須賀軍港が丸見えなことと、無線通信所に使うために、昭和18年6月に競馬場は閉鎖され、日本海軍に徴用されました。
この中に祖父もいるのかもしれません。
ちなみに私も関東学院に通っていました。