小さな庭でも、時々嬉しい発見があります。花の直径3cm、茎の長さ5cmの小さな花です。一瞬、「なんだろう?」と考えましたが、思い出しました。ハナニラです。かなり以前に植えたのですが、しばらく花が咲きませんでした。得をしたような気分です。
わずか1メートルほどの棒のようなあんずの苗を植えて、3回目の春です。まだ枝分かれも十分ではありませんが、花芽が一杯ついて、咲き始めました。あんずジャムが好きですが、まだ5年は待たなければならないでしょう。
ツバキの花が咲いたのに気がつくのは、木に咲いている花を見た時ではなく、木の下に落ちている花びらを発見した時です。鳥が蜜を吸いに来るので、花が少ない時は、すぐに花が落ちるからです。通りにはみ出して落ちている花びらを見ると、すぐに掃除するのは止めて、しばらくそのままにします。
今日もよく晴れました。モクレンが咲き始めました。産毛の生えた外套を脱いで、少しずつ開いてゆく様子は、まるでセミの脱皮のようです。3連休の最後の日ですが、自由人としては、人ごみと花粉を避けて、静かに過ごしたほうが良さそうです。
3月の初めには沈丁花が花盛りだと予想していました。しかし、今年は3月に入っても、寒い日が多く、咲き出した沈丁花も思案中のようで、昨年に比べると、2週間ほど遅れています。天気予報では、明日から暖かくなると言っています。「沈丁花、頑張れ」といった心境です。
昨日は夕方に少し雪が降りましたが、今日は良く晴れています。朝方、2階の窓から白く輝く富士山が良く見えました。明るい光の中で、ミモザアカシヤが一段と輝いて見えるので、再登場させることにしました。いよいよ本格的な春です。
ミモザアカシヤが、やっと見ごろになりました。2月が寒かったので、昨年に比べると1週間ぐらい遅れています。温暖化とか暖冬予測などの情報に影響されて、もっと早く咲くと思っていたので、待ちくたびれました。まだ花の少ない季節に、この輝く黄金色の花房を見ると胸が踊ります。
我が家のあるこの砂丘は、昔は百両山と呼ばれたようです。市民センターにある郷土資料展示室に、昭和21(1946)年2月に米軍が撮影した航空写真が展示されたことがあります。写真を拡大して眺めると、百両山砂丘というラベルが読めます。まだ家の数は少なく、殆どが松林です。百両山と呼ばれた理由は、いろいろ調べましたが、まだ分かりません。
我が家の一本松の自画像です。昔は松林だったこの砂丘も今は住宅街に変わり、松も年々数少なくなります。電話線、CATV回線、電力線が絡まるように張り巡らされている様子は、ネットワーク社会に生きる現代人の暗喩のようです。
この町の西側を引地川が流れています。この川と国道1号線が交差する地点近くの「住職は居ないが、国指定の重要文化財がある」という寺を訪ねました。本堂と境内だけの静かな寺で、「住職は居ない」のは納得しました。案内板に、重文の薬師如来坐像は12年に一度、寅年にしか公開されない、とありました。命を養い、2010年まで待たなければなりません。