鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

銀座ライオン5丁目店

2010-01-31 | 東京


久し振りに銀座に出かけ、昼食に銀座ライオン5丁目店に入りました。
サリーマン時代によく利用した店の1つです。
店内の様子は、古い歴史を伝えるレトロな雰囲気です。
バーカウンターの上には創立1911年と表示されています。


壁の上部に酒に関連した欧州の古い道具等が飾ってあります。
その下で食事をする人たちも、飾りに似つかわしいように見えました。

下飯田・左馬神社

2010-01-30 | 横浜


高倉の東勝寺の東側には水田が広がり、その先は境川です。
そこに渡戸橋があり、川向こうは横浜市です。
車道と歩道が分離した構造の面白い橋を渡って、ぶらり散歩です。


橋を渡って道なりに進み、車道を横切って左馬神社の鳥居前に出ました。
鳥居の左手前に不動王の石碑がありました。


冬枯れの明るい境内をぶらりと一周して、また渡戸橋を渡って藤沢市に戻りました。

注)家に戻って、左馬神社の由来を調べようとして、ネット情報から意外な事を発見しました。
境川流域周辺にサバ(左馬・佐波・鯖)と呼ばれる神社が12社あり、
いろいろ探求している人がいるということです。
サバ地図も入手出来ました。
すでに訪れた神社もいくつかありますが、今年はこの12社をゆっくり探訪しようと思います。

高倉・東勝寺

2010-01-29 | 藤沢


子育地蔵の十字路を東に下ると、境川沿いの水田が見える場所に出ました。
右折してすぐ右手に東勝寺の参道がありました。


東勝寺は執権北条高時一族が鎌倉の東勝寺で滅亡(1333)したのを悼んで、
ここに建立されたと伝わっています。
そのため山号を再び燈を点じる点燈山と呼ぶようです。


江戸時代後期に火災があり、この山門のみ貞享3年(1686)の建立のものが残っています。
本堂はその後再建されましたが老朽化したため、現本堂が平成9年に再建されたようです。

高倉・子育地蔵

2010-01-28 | 藤沢


稲荷大明神の右手の坂を上ると、シラカシの大木が目に入りました。
この辺りには、こうした大木がまだ沢山残っています。


坂道をのぼった先の十字路の右手前に子育地蔵がありました。
延享3年(1746)の銘がある地蔵尊で、地域で大事にされているようです。
毎月24日がお地蔵様の日になっています。

高倉・稲荷大明神

2010-01-27 | 藤沢


長後南歩行者専用道路の終点から東へ進み、国道467号線を越えて、
高倉地区の稲荷大明神を訪ねました。
保存樹林に指定された木立の中の稲荷社です。


参道の両脇に沢山の庚申供養塔などが並んでいました。
これは日当たりに並んでいたその一部です。
毎年2月1日に稲荷講が行なわれるようです。

長後南歩行者専用道路

2010-01-26 | 藤沢


長後付近の地図に「歩行者専用道路」という文字を見つけ、ぶらり散歩です。
長後駅東口から広い道を東に進むと、高圧線の鉄塔が見えました。
道路沿いの鉄塔付近に近づくと、右手に長後南歩行者専用道路の入口がありました。


この道路は畑地の灌漑用水路の跡地を利用して造られ歩道です。
木や花の植栽がしっかりとした良い道です。


舟形の中にドウダンツツジが植えられた場所もありました。
ここは普通の道路が平行していました。


この道は歩行者専用道路で、標識もきちんと表示されています。
残念ながら自転車を利用にする人もあり、注意が必要です。
自転車の乗った子ども達の元気な声を聞くと、まあいいかとも思いました。


道の脇にあった1坪農園です。
昔はこの道路の両脇に畑地が広がっていたのでしょう。


道路の沿った民家の庭にあった杉の木立です。
散歩を楽しむ人の目を楽しませてくれる景色です。


道路の終点にあった掲示です。
いろいろあった例のガソリン税がこの道路の整備に使われたことを知りました。
将来は環境税に変わるような話もありますが、どうなるのでしょうか。






研究所の建設現場②

2010-01-25 | 藤沢


武田薬品の研究所建設現場を見に行きましたが、あまり近づきすぎて全体が撮れませんでした。
現場を離れて柏尾川沿いの江ノ電バスのバス停に着いて後ろを振り返ると、
そこからは全体がしっかりと見えました。
柏尾川の向こうに住宅街が広がり、その先が武田薬品の研究所建設現場でした。
完成すると街の景観もかなり変わりそうです。

研究所の建設現場

2010-01-24 | 藤沢


藤沢から大船へ向う途中の東海道線の左手に、大規模な建設現場があります。
ここには以前、武田薬品湘南工場がありましたが、数年前に閉鎖されました。
昨年7月、この工場跡地に武田薬品の研究所建設が始まりました。
2010年竣工予定と聞いたので様子を見に行きました。
同じような建物が横に5列並び、縦に3棟あるので合計15棟の研究所です。
撮影場所の都合もあって、手持ちの広角レンズで横に左から4棟しか撮れませんでした。


これは右側の4棟と5棟の建設現場です。
かなり建設が進んでいるので、予定通り本年中に建物は完成するように見えました。


ネット情報で住民説明会で使われた完成図を見つけました。
非常に大きく、あまり見たことのない建物です。
環境に悪影響を与える可能性があるとして反対運動もあるようですが、
是非とも安全で人類の未来に貢献できる研究をお願いしたいものです。

祈りの場所?

2010-01-23 | 藤沢


海に面して心を落ち着かせて静かに祈る場所、ではありません。
湘洋中学校の南側、国道134号線を跨ぐ歩道橋の海側の欄干の飾りです。
ここまで出来上がっていると、ここに立ち止まって海を眺める気持になります。

高谷・大神宮

2010-01-22 | 藤沢


確かこの辺りだと思いながら歩いていると、右手の木立の中に社殿が見えました。
脇道に入って近づくと、ものすごく急な石段がありました。
両脇にしっかりした手すりがあるので、つかまりながら上りました。


社殿にあまり近づくと、画面に入らなくなるので、階段を登りきらないうちに社殿を撮りました。


社殿の右手の石碑に大神宮の由来が記されていました。
高谷地区の10軒ほどの農家がこの大神宮を建てたようです。
その後もしっかりと修復を重ね、小さいながら立派な大神宮として祀っているのは驚きです。


地域の七福神として、ここには大黒天が祀ってありました。


上りも大変でしたが、急な石段の下りはちょっと危険でした。慎重に下りました。


渡内・日枝神社

2010-01-21 | 藤沢


二伝寺から少し西へ歩いて、日枝神社に着きました。
平良文が屋敷の守護神として祀った神社を
応永27年(1420)この場所に遷したと伝わっています。
数年前ここに来た時は、宅地造成に伴って、神社の改造が済んだばかりでした。
木立に囲まれていない神社は、ちょっと違和感があります。


それでも、改造に伴って集めた庚申塔や道祖神がきちんとならべてあるのは有難いです。
周りの宅地が整備されれば、良い神社になるでしょう。


日枝神社の右手に続く新しい住宅地です。
現在新林公園に保存されている福原家の長屋門は、この場所にあったようです。

渡内・二伝寺

2010-01-20 | 藤沢


渡内にある二伝寺を訪ねました。
入口に新墓地の案内がありました。
周辺に住宅地の開発が進み、墓地の需要も増えているのでしょう。


境内に入ると、梅の花が迎えてくれました。隣の桜も蕾が順調に育っていました。


奥に進む坂の途中から見た本堂です。


本堂の裏手には竹林がありました。


竹林の近くに更に裏山へ登る小道があり、石碑がありました。
平安時代に鎌倉郡村岡郷に荘園を開いたと伝えられる村岡五郎平良文の墓所の案内です。
石碑に「雉子なくや草のむさしの八平氏」という俳句が彫ってありました。


平良文の墓です。


平忠光の墓です。良文の子のようです。


平忠通の墓です。一族のようですが、関係は分かりません。
これらの史跡は、平安時代にこの辺に荘園があったと言うこと考える手掛かりです。


マムシに噛まれたら

2010-01-19 | 鎌倉


鎌倉の散在が池森林公園の池の脇にあった親切な掲示板です。
ゴルフ場でへぼゴルファーがOBを打って谷底などにボールを捜しに行くと、
「マムシに注意!」という看板によく出会います。
これは「ボールをあきらめて、早く進行しなさい」と言う意味です。
それに対して、この掲示板は実に丁寧で真面目なものでした。
夕刻に近かったので、早々に退散しました。

散髪した一本松です

2010-01-18 | 小さな庭


10年近く枝を伸ばし放題にしてあった一本松、
小さな庭の日照が悪くなったので思い切って散髪しました。
見上げると空がまぶしく感じられます。
松の木陰で不満そうだった庭の木々たちもこれで元気になりそうです。
松の落ち葉掃きに苦労していた人も、これで少し楽になるでしょう。

とある農家の庭

2010-01-17 | 藤沢


ぶらり散歩で見つけた農家の庭です。
入口の柵の向こうに見えるのは、周囲を小高い緑の丘に囲まれた広々とした畑地です。
住居は入口の右手にあるだけです。
一軒でこの緑の世界を独占しているような雰囲気です。


家に戻ってから、グーグルの写真地図で確認しました。
見事に緑の丘が畑地を取り巻いています。
小さな砦にでもなりそうな地形です。
現実にこうした農家があることに驚きました。