鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

ペデストリアンデッキ

2010-05-31 | 藤沢


JR藤沢駅のルミネビル6階の窓から撮った北口広場です。
この広場の下はバスターミナルやタクシー乗り場になっています。
この場所を何と呼ぶのが適切か分からなかったのですが、
ネット情報から「ペデストリアンデッキ」という呼称を見つけました。
「歩行者用甲板」ということになります。
「日本のペデストリアンデッキ一覧」というのもありました。

カキノハナ

2010-05-30 | 小さな庭


新緑を楽しんだカキの木に、今は小さなカキノハナが咲いています。
子供の頃、「カキニアカイハナガサク・・・」という唱歌を習いました。
その頃「カキ」が「垣」とは知らずに歌っていました。
「カキ」の花を見るたびに、この間違いのことを思い出します。

鵠沼駅のツバメの巣

2010-05-29 | 藤沢


江ノ電鵠沼駅は地下に改札があります。
その改札の天井に毎年ツバメが巣を作りをして来ました。
今年、親切な駅員が巣作りを手伝ったのですが、ツバメがやって来ません。


ツバメの鳴き声が聞こえるので、駅の周辺を探したところ、
近くに建設された民家の2階の換気口のカバーの上にツバメの巣がありました。
ツバメにも自主独立の気概があるようです。

鎌倉・長勝寺

2010-05-28 | 鎌倉


鎌倉を抜ける横須賀水道みちを歩いていて、材木座で長勝寺に寄りました。
山門に注連縄があったので、神社でなくとも注連縄を飾るのだと感心しました。


掲示版によると、弘長3年(1263)の創建で、開山は日蓮と伝わっています。


境内中央の四天王を従えた日蓮大聖人の銅像は大きくて立派でした。


境内左手の法華堂は室町時代末期の造営とされ、趣のある建物です。
県の重要文化財になっています。

鎌倉・横須賀水道みち③

2010-05-27 | 横須賀水道みち


海岸橋を渡るとすぐ左折出来る道がありました。
地元の方が作ったらしい「野畑細道」という面白い標識が立っていました。



細道はすぐに突き当たって右折、古い町並みの中を西へ真っ直ぐ進む道でした。


しばらく進むと、「水道路」という交差点がありました。
横須賀水道みちの探索者には、心強い交差点でした。


通りの右手に「海」の標石がありました。
背景の垣根に馴染んで、落ち着いた絵になっていました。


通りの左手にも、「海」の標石がありました。
この辺りから、不思議なことに、標石の背丈が少しずつ高くなり始めました。


前方に名越の切通しのある山なみがはっきり見えて来ました。


長勝寺の先で、鎌倉葉山線と合流しました。


左手の民家の壁の前にあった「海」の標石です。
何故か急に胸を張った様子が可笑しかったです。


名越トンネルの手前左手の崖の擁護壁の下にあった「海」の標石です。


ついに横須賀水道みちの専用トンネルの前に出ました。
このトンネルの先は逗子市になります。



鎌倉・横須賀水道みち②

2010-05-26 | 横須賀水道みち


新大仏坂トンネルを抜けて、長谷地区に入りました。


大仏前交差点です。左手が高徳院・鎌倉大仏で、観光客で混み合う場所です。


少し進むと、長谷観音前交差点です。ここで左折して、由比ガ浜大通りに入りました。


塩大福の旗が目に入りましたが、ひたすら水道みちの痕跡を探しながら前に進みました。


何も手掛かりがないまま、文学館入口交差点に着きました。
ここで由比ガ浜大通りに分かれて、Y字路の右側に入りました。


屋敷街の中を真っ直ぐ抜ける道で、ここには水道みちの感じがありました。
前方の踏切を江ノ電が横切って行きました。


和田塚入口の交差点で、道がなだらかな下りになりました。


ここでやっと横須賀水道みちの証拠物件に出会いました。
空気弁のマンホールです。下りに入る手前で余分な空気を抜く仕掛けのようです。


ついに若宮大路を横切る海岸橋交差点に来ました。
前方に真っ直ぐに進む道があるので、そのまま進みましたが、これは間違いでした。


真っ直ぐ進んで、滑川(なめりがわ)に架かる海岸橋を渡りながら左手を見ると、
青い水道橋が見えました。
海岸橋交差点で横須賀水道みちは斜め左に方向を変えていたのです。




鎌倉・横須賀水道みち①

2010-05-25 | 横須賀水道みち

藤沢市内の横須賀水道みちの探索を終了したので、
市外の探索に着手しました。
今回は鎌倉市を通過する横須賀水道みちの探索です。


柏尾川を渡る横須賀水道橋です。川向こうが藤沢、手前が鎌倉です。
ここから探索スタートです。


川沿いの工場地区を抜けてゆく道は、原っぱの中の踏み跡でした。


道の左手に見つけた「海」の標石は、頭の部分の波型しか見えませんでした。


原っぱが終わると、舗装された道に変わりました。


舗装されていても水道みちなので、所々に大型車が入らないようなガードがありました。
この道は腰越大船線を横切って、真っ直ぐ進みます。


今度は道の右手に「海」の標石がありました。この標石は「海」が顔を出していました。


行く手に湘南モノレールが見えました。左手に湘南深沢駅があります。


モノレールの下を抜けると、深沢交差点で藤沢鎌倉線道路と合流しました。
歩きながら道の両側に水道みちの痕跡を探しましたが、何もありませんでした。


八雲神社交差点を過ぎ、左手に大仏切通し入口のある火の見下バス停まで来ました。
この辺りには痕跡がありそうなので、丁寧に探しましたが、成果はありませんでした。


横須賀水道みちが通っているという確信のないまま、新大仏坂トンネルに入りました。


桃の袋掛けを見つけた

2010-05-23 | 藤沢


江ノ電沿線の橘1丁目の民家の庭に、袋掛けした桃の木を見つけました。
戦前、この辺りは高砂と呼ばれ、あちこちに桃林があったそうです。
戦争が始まり、桃は贅沢な作物として、栽培禁止になりました。
民家の主は、本鵠沼に残っていた桃の種から育て、挿し木で増やしたそうです。



善行・横須賀水道みち

2010-05-22 | 横須賀水道みち

藤沢市内の横須賀水道みち探索の最終区間になりました。
善行地区を抜けて立石2丁目の交差点まで歩けば探索終了です。


左手が森、右手が民家の間の舗装道路を歩きました。


道は下り坂になり、坂下の様子と、そこからまた坂を上る道が見えました。


坂下の道が細くなった場所の右手に、金網に囲まれた横須賀水道の施設がありました。


中に、泥吐弁と書いた杭が立っていました。水道管に溜まった泥を取り除く施設のようです。


上り坂に入って進むと、右手の民家の門構えに「水道局」の標石が組み込まれていました。


その先の民家の壁の前にも、「海」の標石がありました。


善行地区最後の道です。ここにも車止めがありました。


無事、立石2丁目交差点に出ました。
藤沢市内の横須賀水道みちの探索は終了です。
綾瀬から西側、鎌倉から東側、まだ探索先は尽きません。

亀井野・横須賀水道みち

2010-05-21 | 横須賀水道みち

円行を抜けた横須賀水道みち、亀井野地区の西側境界に沿って真っ直ぐに進みます。
自動車道路として整備された環境なので、どこに横須賀水道があるのかよく分かりません。


円行を抜けて来た草地の水道みちは、そのまま亀井野の住宅地の中に続いていました。


しかし、すぐに日大生物資源学部と実験圃場の間を抜ける自動車道路の中に取り込まれました。


両側に畑が広がる道をひたすら歩きました。
どこかに標石があるかと思って、よく注意して歩きましたが、何も見つかりませんでした。


自動車道がゆるく右折する場所で、今来た直を振り返りました。
いすゞ自動車近くの北部環境事業所の白い煙突や高圧線の鉄塔が、
ここからもはっきり確認できました。


乗馬クラブの標識のある場所で自動車道と別れて、左側に横須賀水道が分岐しました。
この道はここで小田急の線路を越えますが、そこに踏み切りがないので迂回するしかありませんでした。


迂回してたどり着いた小田急線の線路際から、もう一度今来た道を振り返りました。
ここからも白い煙突が見えました。

本鵠沼・麦わらのある畑

2010-05-20 | 藤沢


鵠沼地区に伝わる伝統的な畑の作り方に、
麦わらを垣根のように植え込んで、風で飛ぶ砂を防ぐ工夫があります。
後継者が少なくなって、存続が心配なので見に行きましたが、
まだ残っていました。
収穫の谷間で、作物はありませんでしたが、しっかりと麦わらが植え込んでありました。

円行・横須賀水道みち②

2010-05-19 | 横須賀水道みち


引地川の河川敷に下りて、崖下の水道みちの場所に立ちました。
多少乱雑な雰囲気ですが、これから進む横須賀水道みちが見えました。


引地川に近づいて、少し下流から青いループの水道橋を撮りました。


水道橋の袂から川越しに、行く手を眺めました。
よくみると、橋は大小2本あります。太い方は水だとして、細い方の役割はなんでしょうか?


人が渡れる上流の橋を迂回して、川向こうの緑地帯の水道みちに入りました。
ここの右手の草むらに「海」の標石がありました。


緑地帯の坂上から、今まで歩いて来た道を振り返りました。
遠くに見える高圧線の鉄塔は、いすゞ自動車藤沢工場の辺りのものです。

円行・横須賀水道みち①

2010-05-18 | 横須賀水道みち

桐原工業団地を抜けて円行地区に入りました。
横須賀水道みちは住宅地の中を抜けて行きます。


円行の街のゆとりのある道を進みました。この下に横須賀水道みちがある筈です。


少し進むと、道路の中央がガードレールで囲まれた草地に変わりました。
この中に横須賀水道道があるようでした。


草地をのぞくと、マンホールが見えたので、草地に入って近寄って見ました。


横須賀水道のマンホールで、空気弁と記されていました。
余分になった空気を抜くための設備のようです。


道は次第に坂を下り、引地川に下る崖の木立に突き当たりました。
ここから道を迂回して、崖下の道に回りました。