旧華頂博信侯爵邸 2017-05-30 | 鎌倉 報国寺の南数分の所にあるフランス式庭園を訪ねました。 旧華頂宮邸の入口です。 今までここに来たことがなかったので、感心しながら案内板を読みました。 玄関側から見上げた洋館です。 フランス式庭園から見た洋館です。 館内は4月と10月に2日間だけ公開しているようです。
竹の寺・報国寺 2017-05-29 | 鎌倉 竹の庭で有名な報国寺です。 由来によると、足利、上杉両氏の菩提寺のようです。 京都の嵯峨野のイメージに惹かれて、外国人も沢山訪れるようです。 混雑に紛れ込んだ人も居ました。 庭の奥のやぐらは足利家時と義久の墓と伝わっています。 以前にもこの竹林の撮影にチャレンジしましたが、失敗しました。 今回の画像も、「人混みの竹の道」になってしまいました。
鎌倉最古の寺・杉本観音 2017-05-26 | 鎌倉 鎌倉最古の寺は60年以前から時々訪ねています。 バス停から直ぐに急な石段を上ります。 石段の途中にある仁王門で一息入れました。 仁王門の仁王像は運慶の作と伝わっています。 仁王門の先に見える石段は、摩耗の結果でしょう進入禁止になり、苔むしていました。 左手に迂回路が出来ていました。 迂回路を上り詰めて、上って来た道を振り返りました。 鎌倉最古の茅葺きの本堂です。 境内右手にあった六地蔵とプラスワンの地蔵です。 木陰にひっそりと佇む五輪塔群には歴史を感じました。
八雲神社 2017-05-23 | 鎌倉 永保年間(1081-83)創建の厄除神社です。 厄除けの必要はありませんでしたが、本堂右手の祇園山ハイキングコースはよく利用しました。 本堂左手には稲荷の集合神社があります。
安養院 2017-05-22 | 鎌倉 ツツジの名所の安養院に参詣しましたが、肝心のツツジはもう終わっていました。 安要院の本堂です。 ここにもツツジの花はありませんでした。 本堂左手には鎌倉市の天然記念物指定のマキの大木が茂っていました。 樹齢700年を越えるようです。 境内の奥には、古い石仏が沢山並んでいました。 その奥に北条政子の墓がありました。 これは境内の片隅にあった身代わり地蔵です。 多くの人の願いの結果、大分すり減っていました。
ぼたもち寺 2017-05-21 | 鎌倉 妙本寺から少し南に行くと、「ぼたもち寺」があります。 山門にはっきりと「ぼたもち」と書いてあるのでちょっと驚きます。 日蓮聖人が竜の口刑場に引かれて行く時、ぼたもちを捧げた桟敷尼の屋敷跡に建った寺です。 正式には常栄寺と言うようです。
緑濃き比企谷妙本寺 2017-05-20 | 鎌倉 比企谷の妙本寺の総門です。 右隣は幼稚園です。 参道はさわやかな緑のトンネルの中をゆっくり上ります。 二天門です。 祖師堂です。 祖師堂の内部をのぞかせて頂きました。 木造の日蓮聖人像が祀られているようです。 祖師堂から二天門を振り返りました。 二天門のまわりで、写生に励む人達です。
相州白旗神社② 2017-05-18 | 藤沢 神殿に上る石段の途中に源義経公鎮霊の石碑があります。 義経は奥州衣川で悲壮な最期を遂げ、その首は最終的に白旗神社に祀られました。 亡骸は宮城の栗駒に埋葬されたようです。 810年後、首と亡骸の霊を一緒に祀るために建てられたのがこの石碑です。 境内の一隅に、弁慶の力石があります。 社務所前の広場から見上げた神社の森です。 今年の干支に因んで作られた大きな絵馬が飾ってありました。
相州白旗神社① 2017-05-17 | 藤沢 久し振りに相州白旗神社に参詣しました。 通常手水舎には龍が居ますが、ここには亀が居ました。 御祭神は源義経です。 緑濃い石段を上って神殿に近づきました。 街中にある森に囲まれた神社で、気軽に参詣出来るので人影の多い境内です。
藤沢市新庁舎ほぼ骨組み完成 2017-05-16 | 藤沢 藤沢市の新庁舎、ほぼ骨組みが完成したようです。 現在の藤沢市役所新館から、国道467号線越しに見上げた新庁舎です。 新館と新庁舎を結ぶ歩道橋の建設が進んでいました。 国道467号線の歩道から見上げた新しい歩道橋です。 この橋は屋根付きのようです。 新庁舎の南側を走る東海道線の向う側まで行き、新庁舎を見上げました。 この9階の展望室からは多分江の島が見える筈です。
遅咲きのシンビジウム 2017-05-15 | 小さな庭 遅咲きのシンビジウムが一本松の根方で咲いています。 冬の間室内に避難する鉢数に制限があったので、外で過ごした鉢です。 小さな庭の最後のシンビジウムの役割を果たしています。
今年もキンリョウヘンが咲いた 2017-05-14 | 小さな庭 今年も祖父伝来のキンリョウヘン(金陵辺)が咲きました。 この花が咲くと日本ミツバチが集まるので、佐久出身の祖父が大事にしていたランです。 残念ながら日本ミツバチは姿を見せません。 自然も少しずつ変化して行きます。
ぶらり鶴ヶ峰・畠山重忠の史跡 2017-05-12 | 横浜 鶴ヶ峰・二俣川の辺は、畠山重忠が北条時政により謀反の疑いをかけられ、僅か134騎で北条2万騎と戦い戦死した場所とされています。 相鉄鶴ヶ峰駅周辺の史跡をひと回りしました。 鶴ヶ峰駅北口から水道道を進み、道案内のはんこ屋の看板を目指しました。 はんこ屋の先の信号を越えると、「畠山重忠公終焉の地」の道標がありました。 小さな緑の公園の入口の案内です。 肝心の畠山重忠公の碑は奥の帷子川を見下ろす場所に建っていました。 鶴ヶ峰の本町通りのバス停薬王寺を手掛かりに、薬王寺を探しました。 地蔵堂の近くに道案内がありました。 薬王寺には「畠山重忠の霊堂」と最後に従った一族郎党の埋葬された「六ツ塚」がありました。 「六ツ塚」の案内板です。 水道道の最初のはんこ屋の裏手までもどり、畠山重忠の「首塚」の前に出ました。 重忠の首か兜が埋められた場所とされています。 首塚のすぐ近くの区役所の柵越しに見た「首洗いの井戸」の標識です。 ふれあいプロムナードを通って鶴ヶ峰駅まで戻りました。 本日の感想:終焉地の史跡はなかなか実感の難しいものです。
ぶらり大和・深見神社 2017-05-11 | あちらこちら 仏導寺の南側にある深見神社です。 大和市唯一の延喜式内社で鹿島神宮の分霊勧進したため、「鹿島さま」と呼ばれているようです。 神社案内には、寛政3年建立の大和市重要文化財「深見神社社号標」と天然記念物「ハルニレ」のことが記されています。 樹高30mの神木ハルニレです。 芽吹きの最中なので、上の方はまだ十分な緑が見えませんでした。
ぶらり大和・仏導寺 2017-05-10 | あちらこちら 深見まで戻り、相鉄本線沿いの仏導寺に立ち寄りました。 天文年間(1532-35)の開山で浄土宗知恩院の末寺」のようです。 山門を入ったすぐ左手に「勢至丸さま」の像があります。 法然上人の幼年時代の姿のようです。