毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

醍醐味

2016年03月08日 23時01分58秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


お隣小学校 ・ 今年度最後の読み聞かせも無事終わり、あとは家でのんびりするつもりだったのに。

夕方4時をまわったころになって、なぜか無性に外に出たくなりました。




日はだいぶ傾いているけれど、まだ暖かいし、空も明るい。




で いつもと同じショートコースのつもりが、なぜか途中でそれて 人氣のほとんどない集落に ふらりと入り込んでしまったのです。

通り過ぎる家々は ほとんどが雨戸を固く閉ざしたままの空き家、すでに日がかげった上り坂は薄暗く 出会う人もなし、梅もサザンカも 散りかかった花をわずかに残すのみ、遠くから響く犬の遠吠えが いっそう物悲しさを増すようで、なにか楽しくなるようなものをと懸命に見回しても まるで見当たらず、寒々しくわびしい思いばかりが募ってくる。

“今の一番” だったはずのお散歩が、どうしてこんなことに。。。。と思いかけて、ああそうか、と氣がつきました。




世界が青く見えるのは、青いメガネを通して見ているから。

世界がわびしく見えるのは、わびしさという心のメガネを通して見ているから。

青く見える世界から 逆にたどって 青色メガネをかけていることに氣づくように、わびしさを覚えたときは、いつの間にやら植え込まれた 自分の中の 「わびしさ」 という感情の存在に氣づいて向き合うチャンスなのです。

その感情こそが 私の世界に 「わびしさ」 を生み出す源なのだから。

この集落への誘いも、そんなチャンスのひとつだったのですね。




ちらっと心の端をかすめただけでも十分辛い 負の感情、ありありと見つめるなんてとんでもない・・・・というのは 大きな間違いで、そうやって直視せずに避けるから かえって辛くなるし、いつまでもつきまとわれる。

そんな仕組みであるとの情報は かなり前から得ていたけれど、辛いな、いやだな、と感じるやいなや 即座に払いのけ なんとしてでも忘れようとする反応の根強さも 相当なもの。

そのせいで、これまで数多くのチャンスを チャンスと氣づかぬまま 棒に振ってきたわけですが、今年に入って、父との暮らしを皮切りに そんな機会が 改めて次々と押し寄せてきています。




自身のネガティブな思い込みと そのスイッチであるからだの感覚に 一番氣づきやすいのは、それが生々しくフラッシュバックするようなシチュエーションに 実際に立たされたとき。

実地だからこそ、再現される感情も強く大きく キャッチしやすい。

そこをすかさず捕まえれば 確実に向き合い 味わうことができるのです。

寒々しくわびしい世界、それは ほんとうに私の一部? それとも 幻?




なるほどそういうことだったかと がぜん氣をよくして、すっかり日が落ちて寒くなった道を戻りながら、寒々しさもわびしさも とっくりかみしめ 味わわせてもらいましたよ。




家に着いて、道をそれる前に撮った写真を見てみたら、


澄んだ空も




水面に映った山や雲も




繊細なさざ波も




やっぱり美しい いつもの世界。




こんなふうに 自分の手で 自分の世界を創り直してゆくことこそ この世に生まれた醍醐味、きょうもいい一日でした (^^)