毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

ないはずのもの

2016年03月19日 11時19分41秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


きのうの 「報道ステーション」 の ワイマール憲法と緊急事態条項についての特集 (番組内容はこちら) 。

当初の予定日から 番組欄のそのタイトルが なんだか氣になっていて、一日延期されてのきのうの放送を待ち構えていました。




世界一民主的と言われていたワイマール憲法の その中のたったひとつの条項から 独裁政権が誕生するくだりと 今の日本の現状を並べての 問題提起。

私が注目したのは、番組内容そのものよりも それを見聞きしての 自身の反応。

ああ このために見たんだな、と すぐわかりました。




自由を奪われ、抑圧され、果ては命の危険にさらされる。。。。実際にドイツで起こったそんなプロセスの再現を見つめるうち、身の内に湧き上がっていた ある種の感覚。

その感覚は、これからの日本がこんなことになったらどうしようという怖れと しっかり結びついています。

このままいけば、その怖れが 私の世界に 実際にそういう状況を具現化させる公算が大。




画面から視線を離して 目をつぶり、言葉はシャットアウトして からだの中の感覚に集中します。

わんわんと響き渡るざわめきは、幼いころ 親の意向で自由な表現を抑え込まれ 禁じられた私の中で生じた違和感の残響。

半世紀響き続けていたんだねぇ。

そして私の言動は、そうと氣づかないまま ずーっとこの感覚に支配されていた、ということか。




強引な人 (親を思い起こさせるような) と直接対峙したときはもちろん、そんな場面を見聞きするだけで この感覚がからだ中を駆け巡り、瞬時にスイッチが入って カッとなったりイラ立ったり怖れたり、そんなことが 半世紀繰り返されてきたわけです。

それももうそろそろ終わりにしないとね。




集中力が途切れて 再び番組に意識が移り、ふと氣がついたら、ざわめきは消えていました。

これで終わりではないかもね。。。。長いこと上塗りを重ねてきた感覚だから それだけエネルギーも大きいはず、また似たようなことが起こるかも。

でも大丈夫、何度よみがえってきても フォーカスすればいいだけだってわかってるから。

続けていれば、いずれは戻ってこなくなるはず。

今回も ざわつきはあっても 胸元の圧迫感やのどの締めつけ感など もっと強力な苦痛が起こらなかったのは、すでに以前のフォーカスで 収まっていたからでしょう。




感覚を残したまま この事態をどうにかしなければと考えると、必然的に 反対運動などの手段に行き着きますが、「抵抗すればするほど相手も強くなる」 という法則どおり、残念ながら 真の解決に到達することはないでしょう、歴史を振り返ればわかるように。




過去の残響としてフラッシュバックする体内感覚は、何もないはずのところに 突然出現しては、苦痛という線引きをもって 単なる思い出であるはずの怒りや不安を 生々しくよみがえらせて形にし、私たちの言動に影響して 問題を引き起こします。

何もないはずの大地や空に、人々の怖れや欲が 領土 ・ 領空などという線引きをして囲い込み、争いの火種となるように。

もともとないはずのものを ないとはっきり認識しなおすことで 意識内の線引きが消え 平和が戻ってくる、それが 自分を見つめることの効用。

私たちの心が 囚われからすっかり解放されるときには、大地や空の線引きも 人種や性差などの分け隔ても この世界からきれいに消えているのかもしれません。