「美しき緑の星」 に関する話が止まりません(^_^;)
ときおり挟むかも、なんて言ってたのに、立て続けにこの映画の話題ばかり。
初めて見たときは あっさりしていて いささか物足りないぐらいの印象だったのに、つくづく 後へゆくほどじわじわ沁みてくる作品です。
感覚フォーカス、これって 言葉を使わないことで からだの感覚と そこから派生する感情のドラマを切り離す、まさに 「切断」 だなと思うのですが、最近 繰り返し執拗に上がってくる辛い記憶にも 二種類あるらしいと氣づきました。
ひとつは、まだまだ見つめ続ける必要があって上がってくる記憶。
根深い思い込みは、一度や二度のフォーカスで すぱっと解放できるものではないようで、同じ記憶を繰り返し味わいながら、そのたびに 前より深いところまで入り込んでは 手放してゆくことになっているらしいのです。
それとは別に もうひとつ、すでに解放は済んでいて、たまたま記憶のワンシーンが思い浮かんだだけなのに、根深い痛みと取り違えてフォーカスしたばっかりに かえって大きくしてしまい、繰り返しフラッシュバックするというパターンがあることがわかったのです。
わだかまりはなくなっても、脳の回路自体がなくなるわけではないので、ちょっとした連想から 過去の場面がちらつくということはあるようで、その場合は いちいち取り合わず、さらっと流して 他に意識を移してしまえば そのうち薄らいでゆくものらしい。
流しても流しても 静かにつきまとって離れない記憶は前者、あっさり忘れられるものは後者、と、だんだん見分けがつくようになりました。
で、さらっと流すときは、すばやく肯定的イメージに焦点を移そうとするのですが、これが私には けっこう難しいのです
長年不安と怒りと劣等感の塊だった私、そういう否定的な感情や思い出はこれでもかというほどあって、間髪を入れず自動的に意識がいくのに、愛と分かち合いとか、溶けるような幸福感とかいうのは ほとんどイメージの持ち合わせがなくて、瞬時に呼び出すのが困難で。
が、いいことを思いつきました
ここ数日、そういう場面になった時、「美しき緑の星」 の ミラたちの星での平和な場面を思い浮かべることにしたのです(^^)
すっかり好きになって 繰り返し見るうち、郷愁さえ感じるほどになった、冒頭の集会や エンドロールの場面、また ミラの息子たちが マーシャたち地球人に 自分たちの星の生活を話して聞かせる場面、すでに一瞬で鮮やかに思い浮かぶほどに刷り込まれているようで、ここに意識を移せば、いやな記憶なんて たちまち消え去ります。
あの映画、否定的な観念が強い人たちに、誰もが大切にされて 争いのない世界って こういうものだよ、と、具体的な世界観を上書きしてくれるような役目も果たしているのかもしれません。
ますます好きになっていくなぁ