Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

めがね

2007-10-06 | 日本映画(ま行)
★★★ 2007年/日本 監督/荻上直子
<京都シネマにて鑑賞>
「押しつけないこと、というメッセージの頑固さが押しつけがましい」


映画館はもの凄い人で「かもめ食堂」の人気が
いかにすごかったかをまざまざと感じさせられました。

が、しかし。

新作は、二番煎じじゃしんどかった、というのが率直な感想。何も起きない癒しの映画なんて言いますけど、ここまで何も起きないと私は退屈です。何度も睡魔におそわれました。そして、どうも狙いすぎと感じることが多々。メルシー体操しかり、ラストのマフラーしかり。もたいまさこのキャラ頼みという感じが否めない。もちろん、もたいまさこをここまで活かせる、ということは監督の力量でしょう。しかし、人物関係など多くを語らない映画です。語らない映画というのは、敢えて語らないことで強烈に伝えたいメッセージがあるはずです。それを埋めるかのように、体操やお料理などの飛び道具的なカットを持ってくるのは、少々姑息な感じがします。

結局、作品全体を貫く「押しつけない」というムードがここまで徹底的に表現されると、それが逆に押しつけがましく感じられるの。何もしないのが一番!と言われると、逆に「そうかなあ」と思ってしまう。何にもしないで島に籠もってることで、人生最後まで豊かと言い切れるかしら。人は泣き、笑い、怒り、誰かとぶつかりあって、痛みを感じて、日々を暮らしていくものなのではないかな。もちろん、一度はリセットして、エネルギーを充電することって、人間にとっては必要。特に現実に疲れ果てた人たちには。でも、リセットしても、また走り始めないとダメなのよ。私はその走り出す姿を見せて欲しかった。

また、一方で何もしない、押しつけない、ありのままを受け入れる、という考え方と、毎日あれだけきちんと料理を作る(しかも、島にないんじゃないの?という食材だらけ)とか、部屋がやたらと清潔とか、かき氷しか作らないなど、やたらに几帳面な登場人物たちの行動がうまくリンクしない。だから、のんびり感、ゆったり感を上っ面で撫でたような表現に見える。

もしかして、この作品は、これを観て癒されたから、明日からもがんばろうと思えたらいい、というそれだけの映画なの?もしそうなら、私は煮え切らない感情が残るなあ。全編通じて、「みんなが、和んでくれたらそれでオッケイよ」というスタンスで監督が作ったとは到底思えないもの。キャッチコピーは「何が自由か、知っている」だよ。これは、かなりメッセージ性が濃いですよ。だから、余計に押しつけがましく感じるの。そんな私はあまのじゃくかしら?それとも、今の暮らしを自由に生きすぎているからかしら?

<追記>
私は「かもめ食堂」は大好き。あの作品は、まるきりファンタジーにならないギリギリのラインでしっかりふんばっているところが魅力。サチエの生き方は多くのメッセージを放っていて、共鳴できる部分も大きかった。「かもめ」と「めがね」の比較論についても、書けるかも知れない。また、いつか時間があれば、チャレンジしてみます。