Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

冷たい熱帯魚

2011-04-08 | 日本映画(た行)
★★★★☆ 2011年/日本 監督/園子温

<梅田シネ・リーブルにて観賞>

「隣りにいる魔物」

あんまり凄すぎて、何から書いていいか、わかんない。

まあ、まず村田を演じる主演のでんでん、だね。高笑いしながら、どんどん殺して、どんどん切り刻んでいく。その桁外れの狂いっぷりに圧倒された。しかも、彼の言動が笑いを誘う。恐怖と笑いは裏表って言うけど、まさにそう。死体を始末するシーンで「吉田くーん、好きだったよぉー!」って骨に向かって叫びながら、燃えさかるドラム缶に放り込むシーンは爆笑だったな。と、同時に私は一体何を見ているんだろう?って、わからなくなった。

何より印象に残ったのが「ボディを透明にする」ってセリフ。園監督はよくこんなおかしなセリフを思いついたもんだよ、と感心していたら、これ、本当に犯人が言った言葉だった。映画を観賞後、「愛犬家殺人事件」について調べてたら、そうだった。わかった瞬間、背筋が凍ったよ。常人には思いもつかない、この奇妙なセリフ、でんでんの口からするりと自然に出ているのが怖かった。

村田の饒舌さにどんどん取りこまれていく社本。モンスターに睨まれた飼い犬になり、言われる通りに動くしかなくなっていく。人間って誰しも、他人の主張を正面から否定することのできない、弱い生き物なんだよ。堂々とした人間を目の前にしたら、そうかも知れないと思い始める。村田のまくしたてるおしゃべりは、さながら宗教のカリスマの演説のようで、従うしか道はないように錯覚してしまう。さらに恐ろしいのは、我々観客が村田や妻愛子の迷いのないハジけっぷりに清々しさを感じてしまうことだ。

「事実は起承転結の結がつまらないから、映画は変えた」と園監督が言っていたので、どんなエンディングが待ち受けているのかと思ったら、これまた強烈なエンド。救いも何もないんだけど、何を伝えたい、とか、そういうレベルを超えた映画だね。

話は全然変わるけど、こういう作品を見ると、映画の善し悪しを語ることって、とても多面的なことだなあと思わされる。いい映画だけど、つまらない。ダメな映画だけど、面白い。そういう相反した感情を引き起こすのが映画のおもしろさだ。

この作品の場合、「凄い」って言葉があふれるんだけど、じゃあ凄いからいいのかって言うと、そんなことはない。実際、本作に関しても、「凄いけどダメな映画だ」って、言う人もいるわけで、その人が基準としている「ダメ」って一体何を指してるんだろう?って、ところに興味がいったりするわけ。私は単純だから、インパクトがでかいとそれですぐにズギュンとやられちゃう(笑)。でも、インパクトでかい映画の場合、不快感が生じるってこともあるからね。あざとかったり、ウケ狙いだったりさ、そういう製作者のやったったろう的な意図が見え隠れすると、とたんにつまらなくなる。でも、この作品はすごく単純だよね。ストレートだよ。いっぱい驚かされたし。やっぱ、面白いね、園作品。解体シーンはほとんど目、つぶってたけど(笑)。