Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

シャンドライの恋

2011-04-23 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 1998年/イタリア 監督/ベルナルド・ベルトリッチ

「愛する女がいちばん欲しいものを知っているか」

アフリカ人のシャンドライ(サンディ・ニュートン)は投獄された夫の身を案じながらも、イタリアで掃除の使用人をしながら医学の勉強をしていた。家主のイギリス人音楽家キンスキー(デヴィッド・シューリス)は無口でピアノだけを友とする男。2人はローマの中心街にある古い屋敷に住んでいた。クラッシックをこよなく愛するキンスキーと生まれ故郷のアフリカン・ミュージックを愛するシャンドライ。始めは言葉も交わすことがなかった2人だったが、キンスキーは彼女に好意を抱き、プレゼントを贈るようになる…

黒人の家政婦を演じるサンディ・ニュートンが非常に魅力的。様々なしらがみや壁を乗り越えさせてしまうほどに。ふたりの立場は、白人と黒人、ピアニストと家政婦、富める者と貧しい者といった具合に一次が万事対称的でありながら、その愛のカタチはピアニストが一方的に献身的に尽くすのである。全てにおいて立場が上の者が、恋愛においては、圧倒的に下であり続ける。でも、恋愛ってそういうもの。

好きになった女性の夫を助けるために全てを捨てるピアニスト。見ようによっては、ただの自己満足にも映りかねないんだけどね。これは、本当に見る人によって捉え方の違うところでね。私は、相手と心が通い、愛の言葉を交わし、肉体を触れあわすことだけが愛の形ではないって思う。キンスキーの愛し方を私は全肯定する。

ケイト・ウィンスレット主演の「愛をよむひと」では男の愛を自己満足と感じた私。でも、このキンスキーはそうじゃない。その違いって何なんだろうって、考えてみたんだけど、「女が欲しいものを知っているかどうか」ってことじゃないかな。そう考える私は超自己中オンナなわけだけど、でもオンナってみんなそうなんじゃない?「夫を助けてほしい」というその一点のために全てを捧げる男を愛しく思わないオンナはいないよね。ベルトルッチの美しい映像もあって、静かな愛の形に酔いしれました。