Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

15時17分、パリ行き

2018-03-11 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2018年/アメリカ 監督/クリント・イーストウッド

(映画館)

物語を伝えるとは何かを究極に追求した結果、行き着いた境地なのか。
とんでもない実験作である。
テロリストを取り押さえた当事者3人のほか、列車に乗り込んでいる乗客も本人だという。
しかし、テロリストの足元から始まるファーストカット、
幼少時代から始まるドラマにインサートされる列車内の緊迫したカットなど、
用意周到に練り上げられた構成であり、これをただの再現ドラマというのは全く当てはまらない。
スペンサーとアレクがキリスト教の厳しい学校で育てられたこと、
旅の途中での「何かの目的に向かっている」というセリフから、
キリスト教的な運命論とも捉えられかねないが、
実は当事者を起用するということによって、むしろそのドラマ性は極力抑えられ、
どんな人にも生きている意味があり、毎日は無駄ではないという普遍的なドラマに仕上がっている。
もし、これを俳優が演じたら、彼らがごく普通の若者であるということは後ろにおいやられ、もっと英雄譚になっていただろう。
軍でも落第生のそこいらのあんちゃんであるからこそ、旅の途中のダラダラ紀行も愛おしく、
プラットホームの15時17分を示す時計のカットに胸を締め付けられた。