Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール

2019-04-15 | 日本映画(あ行)
★★★★☆ 2017年/日本 監督/大根仁

(ネタバレ)
ラストで妻夫木が泣けば秀作という法則がまたしても証明された1本。ポップな大根演出に目が行きがちだけれど、男の思い描くオンナを演じてやっている上で成り立っているイタい恋愛たちを皮肉まじりに描く傑作。特に水原希子演じる天海あかりのラストシーンが秀逸。恋に恋して、仕事よりも理想の女を優先してきたコーロキは3年後に自身が忌み嫌っていたギョーカイ人になるわけだが、あかりは今なお「男が求める女」として生き続けている。その姿に私は思わず「つれえ」とつぶやいてしまうのであった。またラストのあかりはコーロキの見た幻影とも解釈できる。いや、あかりは全編を通して、それぞれの男が思い描く幻影で実在しないという設定は十分成り立つ。現に事件のあと、コーロキのセリフで「天海あかりはいなくなった」と言っているわけだから。ラストシーンから発想を広げるのがこれほど楽しい作品は久しぶりである。それにしても、現代ポップカルチャーを描いて大根監督の右に出る者はいまい。そこがあまりに巧過ぎるのとやたらと多いキスシーンのせいだろうか。公開当時の評判は芳しくなく、本作のテーマが観客に伝わっていないのは大変残念。プールサイドのシーンで「本当のあかりを見せてくれ!」と叫ぶコーロキにあかりは平然と「今見ているのが本当の私だよ」としれっと言う。自分が見たいものしか見えていなかったことに気づいたコーロキは、女性に自分の理想を投影することをやめて大人になったのだ。ひとりの女性に翻弄され別離のつらさを味わった妻夫木が大人の階段を登り、別の彼女と結びつくという展開は名作「ジョゼと虎と魚たち」をも思い出させる。それぞれの男たちの求める女を演じきった水原希子がすばらしかったし、コラムニストを演じる安藤サクラの変人ぶりも最高であった。