Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

トレニア天国

2007-10-07 | 四季の草花と樹木
こぼれ種で増える、とは言われていたけど
まさかここまで増えるとは思っていませんでした。

というわけで、現在4色のトレニアが庭のあちこちで
咲き乱れています。



こちらは白&赤紫。


こちらは薄い青&濃い青。


こちらは白&ピンク。


いろんな花と花の間から出てきて、えらいわっさわっさしております。

この分だと来年はもっとスゴイことになるのか!?



めがね

2007-10-06 | 日本映画(ま行)
★★★ 2007年/日本 監督/荻上直子
<京都シネマにて鑑賞>
「押しつけないこと、というメッセージの頑固さが押しつけがましい」


映画館はもの凄い人で「かもめ食堂」の人気が
いかにすごかったかをまざまざと感じさせられました。

が、しかし。

新作は、二番煎じじゃしんどかった、というのが率直な感想。何も起きない癒しの映画なんて言いますけど、ここまで何も起きないと私は退屈です。何度も睡魔におそわれました。そして、どうも狙いすぎと感じることが多々。メルシー体操しかり、ラストのマフラーしかり。もたいまさこのキャラ頼みという感じが否めない。もちろん、もたいまさこをここまで活かせる、ということは監督の力量でしょう。しかし、人物関係など多くを語らない映画です。語らない映画というのは、敢えて語らないことで強烈に伝えたいメッセージがあるはずです。それを埋めるかのように、体操やお料理などの飛び道具的なカットを持ってくるのは、少々姑息な感じがします。

結局、作品全体を貫く「押しつけない」というムードがここまで徹底的に表現されると、それが逆に押しつけがましく感じられるの。何もしないのが一番!と言われると、逆に「そうかなあ」と思ってしまう。何にもしないで島に籠もってることで、人生最後まで豊かと言い切れるかしら。人は泣き、笑い、怒り、誰かとぶつかりあって、痛みを感じて、日々を暮らしていくものなのではないかな。もちろん、一度はリセットして、エネルギーを充電することって、人間にとっては必要。特に現実に疲れ果てた人たちには。でも、リセットしても、また走り始めないとダメなのよ。私はその走り出す姿を見せて欲しかった。

また、一方で何もしない、押しつけない、ありのままを受け入れる、という考え方と、毎日あれだけきちんと料理を作る(しかも、島にないんじゃないの?という食材だらけ)とか、部屋がやたらと清潔とか、かき氷しか作らないなど、やたらに几帳面な登場人物たちの行動がうまくリンクしない。だから、のんびり感、ゆったり感を上っ面で撫でたような表現に見える。

もしかして、この作品は、これを観て癒されたから、明日からもがんばろうと思えたらいい、というそれだけの映画なの?もしそうなら、私は煮え切らない感情が残るなあ。全編通じて、「みんなが、和んでくれたらそれでオッケイよ」というスタンスで監督が作ったとは到底思えないもの。キャッチコピーは「何が自由か、知っている」だよ。これは、かなりメッセージ性が濃いですよ。だから、余計に押しつけがましく感じるの。そんな私はあまのじゃくかしら?それとも、今の暮らしを自由に生きすぎているからかしら?

<追記>
私は「かもめ食堂」は大好き。あの作品は、まるきりファンタジーにならないギリギリのラインでしっかりふんばっているところが魅力。サチエの生き方は多くのメッセージを放っていて、共鳴できる部分も大きかった。「かもめ」と「めがね」の比較論についても、書けるかも知れない。また、いつか時間があれば、チャレンジしてみます。

鮎めし

2007-10-05 | 野菜作りと田舎の食
今年は鮎めしが少ないよ~と言ったら夫が作ってくれました。
しかも、土鍋で…
土鍋は初挑戦だったので、ご飯が軟らかくなった!と
彼は悔いておりましたが、なかなかに美味でしたよ

鮎めしはですね、いつもは炊飯器で作ります。
炊き込みご飯の要領で味付けしてご飯を炊きあげ
その間、鮎を焼いておきます。
で、炊飯器が「蒸らし」の段階に入ったところで
焼いた鮎を投入し、混ぜたらできあがり。

この辺の人はみなさん鮎めしを作るようですが
レシピは家庭によっていろいろのようです。
鮎を焼かずにそのまま最初から炊飯器に入れる人もいるみたいです。

鮎の風味がご飯に染みこんでます~~

湯気でぼやけました…



21g

2007-10-03 | 外国映画(な行)
★★★★☆ 2003年/アメリカ 監督/アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ

「ナオミ・ワッツが最高」


前作「アモーレス・ペロス」も3つの異なる物語を進行する形式だったが、その結末はいささか物足りないものだった。しかし、「21g」はお見事のひと言。3つの物語が繋がったり、離れたりしながら錯綜するアレハンドロ独特の手法は、非常にドラマチックかつ緻密。錯綜する間にもそれぞれの物語の時間軸が前後するという、驚くべきつなげ方にも関わらず、それが混乱をきたすことは全くなく、逆に物語にダイナミズムを与えている。まさに「誰にも真似できない」映画である。

ざらついた映像、手持ちカメラによる揺れ、リアルな演出。「生々しい」という言葉が一番しっくり来るだろうか。運命にあらがえず、もがき苦しむ全ての登場人物たち。その激しい呼吸音が耳元で聞こえてきそうな、圧倒的な臨場感が迫る。もともと演技派と呼ばれる俳優陣だが、今作における魂の入りようは半端ではなく、アレハンドロの演出が彼らのすさまじいまでの演技を引き出したのは言うまでもない。

ガエル・ガルシア・ベルナル、ベニチオ・デル・トロ、ショーン・ペン、ブラッド・ピット。アレハンドロと私の好みは、ドンピシャ(笑)。ここに、これまた私の好きな役所広司が入るんだから、「バベル」が楽しみでしようがない。汗臭い役所広司がどこまで汗臭くなってんのか、興味津々。

ナオミ・ワッツは「マルホランド・ドライブ」に匹敵するすばらしさで、激しい嗚咽でいくらメイクが崩れようとも演技の迫力の方が勝る希有な女優になりつつある。そして、シャルロット・ゲンズブール!あのアンニュイなフランス娘がしっかりアレハンドロの世界に溶け込んでいるではありませんか。アレハンドロは俳優の存在感を引き出すのがすごくうまいんだね。こぞっていろんな俳優が出たがるのがすごくわかる。

神は何故これほどまでに我々を過酷な運命を与えたもうたか。
皮肉な運命で結びつく3つの魂。
絶望の淵にいながらも、なおかつ「生きる」という選択肢を選ぶ3人の生き様がちんたら日々を過ごしている我々に強烈なパンチを喰らわせる。

イン・ザ・カット

2007-10-01 | 外国映画(あ行)
★★★★☆ 2004年/アメリカ 監督/ジェーン・カンピオン

「闇あってこその官能」


これはポルノなのか、サスペンスなのか、文芸作品なのか、どれにしても中途半端だなんて、言う人もいるらしい今作品。なぜ、みなさんそんなにジャンル分けしたがるのかしら?そのまま受け止めればいいじゃない。メグ・ライアンはコメディにしておくべき、なんて私ちっとも思いませんでしたわ。むしろ、ハマリ役だった。私はこの作品、好きです。

そもそもニコール・キッドマンを念頭に置いて書かれた脚本に、メグ・ライアンが惚れ込み、どうしても、と主演に収まり、ニコールも本作への思い入れがあるため製作側にまわっている。このハリウッドを代表するふたりの女優がなぜこれほどまでにこの物語に惹かれたのか、私はわかるような気がする。

知的でキャリアのある独身女の孤独というのは、「ピアニスト」同様、わからない人には何とも不可解で滑稽に見える。主人公のフラニー(メグ・ライアン)は大学で文学を教える講師。しかし、スラングを教えて欲しいと黒人の学生と一緒にいかがわしい雰囲気のバーに行くし、以前付き合っていた男は変質的なストーカーと化している。知的な女性がなぜこんなことをいう疑念が、「これはハーレクインばりのソフトポルノにしたいからなのね」と短絡的に決めつけられるのはあまりに悲しい。

自立している女性というのは、基本的には男に頼りたいという意思はない。男性諸氏には申し訳ないが、本当に全くない。またフラニーは5度も離婚を繰り返したという父親のトラウマがあって、男性に心を開くことができない。しかし、男に抱かれたいという欲求はある。その「抱かれたい」という気持ちは、あくまでも満たして欲しいという思いであり、相互の依存関係を求めているわけではない。しかし、そんな虫のいい要求を満たしてくれる男も少ないし、社会通念がそれが阻む。頭と体のジレンマは自立した女性の永遠のテーマだ。

ニコールを押しのけてこの役に挑んだメグ・ライアン。とてもエキセントリックで心に闇を抱えた女性をミステリアスに演じている。基本的にはぎすぎすした女ということなんだろうが、メガネをかける仕草などにとても性的魅力を感じさせる。疲れた感じだからこそ出る女のエロチシズム。先が読めない不穏なイメージや殺人事件が絡むミステリアスなムードにもドキドキさせられる。

文学を教えるフラニーは、地下鉄の広告などで気になった文章を書き留める、という習慣がある。言葉に何かを見いだしたいという彼女と、殺人犯かも知れない男に欲情を覚えるという彼女は、私の中でぴったり符合する。メグ・ライアンは、イメージチェンジしたいとか、新境地を開きたいとかそういうことではなく、本気でこの役をやりたかったんだと思う。