【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

童謡『赤蜻蛉』の考察

2007-05-20 | 日記
  赤蜻蛉    詞:三木露風 曲:山田耕筰

夕焼小焼の、赤とんぼ
負われて見たのは、いつの日か

山の畑の、桑(くわ)の実を
小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか

十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き
お里のたよりも、絶えはてた

夕焼小焼の、赤とんぼ
とまっているよ、竿(さお)の先

子供の時から歌っていた「赤とんぼ」
この歌詞の意味はけっこう奥深くまで考えられます。
この歌を歌って育ってき日本人でも、「夕焼け小焼けの赤とんぼ、追われて見たのはいつの日か」と、「背負われて・おんぶされて」を「追いかけられて」と思ったまま大人になっている人がけっこういはります。(特に若い人達の中には・・・)

夕焼けの中を飛んでいる赤とんぼ。
そんな赤とんぼを、姐やにおんぶされ(背中に背負われて)ながら見たのはいつの日だったかな~(もう遠い昔になってしまったな~)
「姐(ねえ)や」は、幼い自分の子守をしてくれた、自分より少し年上の少女です。
実のお姉さんではなく、よその家から、今で言えばベビーシッターの仕事で来てくれていた人です。
そういう子守を雇える家に育ったこの歌の「私」は、なかなか裕福な幼年時代を過ごしたのでしょう。
実は、私も「姐や」は実のお姉さんだと、ずっと思っていました。(^_^;)

ちなみに「姐や」と似た言葉で、「爺や(じいや)」「婆や(ばあや)」というものもあります。実の祖父母ではありません。
身の回りの世話をしてもらうために雇った年配のお手伝いさんを、親しみを込めてそう呼んでいたのです。

♪お里のたよりも 絶えはてた♪
これには二つの解釈があるみたいです
一つは.
「お里の便り」は、その姐やの実家から、“私”の家に住み込みで働いている“姐や”に宛てて、「元気でやってるか」と手紙が届けられていたんですね。
“姐や”は十五歳になって結婚し、“私”の子守の仕事は辞めて、よその家に嫁いでしまいました。もうその手紙が家に届くことはなかったなあ、と思い出しているわけです。
もう一つは
この頃は、どこも貧しく6歳~ぐらいから働きに出されました。
特に女の子は力仕事は思うように出来ないので、子守に出される事が多かったのです。
今は、実家に帰るのもそんなに気を遣いませんが、この当時は嫁に行くということは、その家のものになるということで、おいそれと帰る事も出来ませんでした。
ましてや、他人である姐やとは疎遠になってしまうのも仕方ないことかもしれません。
手紙を書こうにも文字すら書けなかった人も大勢いました。

ここで、興味深い事実を知った。
ある年代の人達は 中学の音楽教科書で第3節を削除したという (だって、現民法では女性の結婚年齢は満十六歳以上だもんね) 話を聞いた
どうも当時、文部省の指示だったらしい・・・

真相は「姐や」が嫁に行ったの は三木露風 が十五歳のときだったのだ。
露風の母は、露風の幼いときに死んで、「姐や」が母代わりに育てたらしい

しかし露風の生い立ちの項を読んでみたら、
母親は露風が6才を迎える年に父親と離縁しているというのです・・・
一番母親が恋しい時代に引き裂かれた露風にとって、姐やが母親替わりだったことはすぐに想像できます。
母への思慕、そして母を思い悲しむ胸の内がこの童謡を作り、日本の名曲に育てていったのでしょう・・・・
【一部『童謡の謎』より】


コロと散歩していたら、手を伸ばせば届くところに桑の実が熟しているのが見えました。
ちょっと赤→まっ赤→クロとたくさん実がなっています。
まっ赤な桑の実を摘んで口に入れてみたら、ちょっと酸っぱい、
クロい実を食べてみたら甘いんです。アッサリと甘いんです
♪や~ま~の はたけ~の くわの~みを~~♪
童謡、赤とんぼを口ずさんでいました。