【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

拝啓 笹部新太郎様

2009-11-23 | 折々の花~桜編~
先日の六甲打越山ウォーキングは
阪急電鉄岡本駅から歩きは始まりました。
この日思わぬおまけに私は感動しました。
参加人数の確認で再度集合した場所がな・なんと、
岡本南公園(桜守公園)→阪急電鉄岡本駅北側徒歩5分だったんです。

この場所は、笹部新太郎さん終焉の旧宅跡ですよね。
没後、神戸市が買い上げ、住宅を取り壊し、桜などの庭木を残して1981年に公園化されました。
現在は笹部桜三本、権現平桜一本などがあります。
笹部さんが育てはった笹部桜はすでに枯れてしまいましたのよ、いまありますのは93年に植えられたものなんです。





1995年のある日の朝のことでした、
「滋賀県のマキノに死にかけた桜の木を樹木医が治療して今年はいっぱい花が咲きそうなんやてぇ・・・」と、新聞をひろげていた長男が言いました。
マキノと言えば海津大崎(琵琶湖)の桜並木がもうすぐ見ごろかな?
海津大崎(琵琶湖)の桜並木と併せて行ってみよか・・・
と、いうことで、それから数日後、JR湖西線マキノまで出かけました。

人気の少ない共同墓地の隅っこに、まぁなんと立派な桜の木が・・・
案内板には
「清水(しょうず)の桜」
ヒガン桜・幹回六.四㍍、樹高十六㍍、樹齢推定三百年以上、とある。

ちょうど、その頃
ひょんなことで水上勉氏の「桜守」の文庫本が手元に届き、イッキ読み。
この小説の主人公は庭師弥吉、脇役に笹部さんをモデルにした桜学者竹部が併せて登場
庭師、弥吉が最期に「か・かいずや」この言葉は「海津の清水(しょうず)に埋めてくれ」と言ったんですよね。
それと、なんと言っても、岐阜県御母衣(みほろ)の樹齢四百年とも言われる老桜二本の移植の様子は小説を読んですぐ「ぜひとも本物に会いたい」と思ったモンでした。



なかなかチャンスは巡ってきません。
一度目(2000年)は開花には早すぎたんです。
二度目(2001年)はウソ「鷽」が桜の新芽を食べてしまってました。
チャンスが巡ってきて三度目の正直、三回目(2004年)にやっと会えたんです。
御母衣ダム湖のほとりに移植(1960年)された「荘川桜」が満開のときにね。
『荘川桜』2009。5.09
『清水の桜』は今、思っても残念なのは写真に撮るということをしてなかったんですよね、私の頭の中にだけしか留まってないんです。
21年ぶりに会いに行ってきました 2016.4.04『清水の桜』

それ以来、奈良や京都やらと、一本桜を訪ねて歩くようになりました。

今、訪ねて行きたいのは、宝塚市武田尾の亦樂山荘(えきらくさんそう)です。
ここは笹部さんの桜の演習林だったところですよね。
:笹部新太郎さんが終生通い、一本の木や石や流れ(武庫川)に思いを込めた亦樂山荘(えきらくさんそう)は宝塚市によって買い上げられ、ここ数年の間に整備されて気持ちのよい山歩きが楽しめるようになった:
と聞いたら、ぜひ訪ねてみたいですね。

旧福知山線の廃線跡の真っ暗なトンネルを抜けたところに「桜の園」の登り口があるんですよ。
何年か前にその真っ暗なトンネルを通ってるんです、私。
「精華町の歩こう会」でね、その時、思ったんです、
「桜の花の頃、会いに来たいな・・・」って。
此処の桜たちが一番華やぐ頃に・・・・・必ず会いに行きますね。