【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

2011年桜紀行⑤~平安郷:枝垂桜~

2011-04-25 | 折々の花~桜編~
グラウンドゴルフ繋がりでお友達のタミちゃんから
「わんちゃん、京都であんまり人に知られてないお花見の穴場、教えてあげるわ・・・」
「えっ!えぇ~~どこどこ?」
「去年撮った写真なんやけど、パソコンの方へメールしとくから、見といてね」

コレです(タミちゃんが撮った写真です)
A・・・お昼に撮った写真


B・・・夕方のライトUP写真



スゴ~~イですよね、
「ここは平安郷って言うんよ、平安郷って嵯峨野の広沢池の横にあるンよ、ホラ私がねダイサギ撮ったあの広沢池の横よ横・・・」ってタミちゃん。
広沢池は大覚寺のそばです、
広沢池の水が抜かれて干し池になったとき、野鳥を撮りにいったこともあります。 ⇒こちら
こちら

桜守 佐野藤右衛門さんは
姥桜というのは女性蔑視のことばではないんですよ。
姥桜というのは、なるほど、もう幹はしわくちゃですわ、でも、幹には風格が出てまっしゃろ。
僅かに残った枝に、ものすごくキレイな花を咲かすでしょ。
色気を通りすぎて色香が出てくるんですわ。

老木というのは、まぁ、年がいったら、みな老木になるのやからね。
そこまで生き残れるか、残れへんかが大事なんですわ。
幾星霜、どうやって今日まで耐えてきたのかを考えて、称えて花を見るのやったらいいですけど、こりゃ、古いねぇというだけではあかんのです。
そうかといって古いからというて大事にしすぎるのもあきませんし、よけいな世話するのもいけません。
姥桜は、自分で枯らしながら、大きくなっていくんですわ、自分で調整しとるんです。
全部が大きくなってしまうと、身体がもたへんですからねぇ。
どこかは枯らすけど、どこかには新しい花をつける。
それが木の知恵や・・・中略・・・
皮一枚で生きている木もいっぱいありますからね、そういうのは称えてやらないけません。
そしたらまた、一生懸命生きよるからね。
よう生きてきたな、と褒めてやるつもりで見たらいいんです。
『桜のいのち 庭のこころ』佐野籐右衛門 著より抜粋

2011年桜紀行⑥へ続く予定・・・・・