【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

まほろばの古都 ・ 山の辺の道から安倍文殊院を訪ねる 2020-1-14

2020-01-17 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク  せいか365健康づくりプロジェクト

行程 : JR三輪駅→大神神社→山の辺の道→平等寺→金屋の石仏→仏教伝来の地碑(昼食)→桜井伊勢街道→安倍文殊院→JR/近鉄・桜井駅(解散)14:3 約8km・約1万2千歩
「わんちゃん、大切なお知らせ忘れてた、明日はJRなんよ、9:45発の木津行きに乗るからね、近鉄とちゃうんよ」
「ハイ!Uさんからメールもらってて9:12下狛発に乗ろうねっと約束してる、ご親切にありがとー」
JR祝園の改札内から参加受付の手続き。
JR三輪駅前の広場で柔軟体操、点呼後出発

大神神社





巫女さんが神楽舞を・・・


祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。
当社の創祀(そうし)に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山(みわさん)に祀(まつ)られることを望んだ(のぞんだ)とあります。また、『(「)日本(にほん)書記(しょき)』(」)でも同様(どうよう)の伝承(でんしょう)が語られ(かたられ)、二神(ふたがみ)の問答(もんどう)で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂(みたま)として顕現(けんげん)され、三輪山に鎮(しず)まられたということです。
この様に記紀(きき)の神話に創祀(そうし)の伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神(さいじん)の神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。そして、ご祭神(さいじん)がお山に鎮(しず)まるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初(げんしょ)の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀(さいし)の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。 「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代(だいじゅうだい)崇神(すじん)天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤(あつ)く祀(まつ)られました。平安時代に至っても大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、神階は貞観 (じょうがん)元年(859)に最高位の正一位 (しょういちい)となりました。延喜式(えんぎしき)の社格は官幣大社 (かんぺいたいしゃ)で、のちに大和国一之宮(やまとのくにいちのみや)となり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。中世には神宮寺であった大御輪寺 (だいごりんじ)や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、 広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。近世に入ると幕府により社領が安堵 されて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由緒によって官幣大社(かんぺいたいしゃ)となりました。現在も国造りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて社頭は賑わっています。





大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が蛇に姿を変えたお話は、同じ『日本書紀』の雄略天皇(ゆうりゃく)のところにも出てきます。大物主大神が顕現(けんげん)される一つの形が蛇体であったということで、この物語は蛇神の信仰の古さを伝えています。大神神社で蛇は「巳(み)さん」と親しみを込めて呼ばれており、福徳をもたらし霊威として崇められています。境内の各所に卵がお供えされていますが、これも巳さんの好物の卵をお供えしようという崇敬者の信仰の一つの表れです。

平等寺






明治の廃仏毀釈で完全に廃絶した。明治13年に翠松寺として旧平等寺の山門付近に再建され、昭和52年にもとの「平等寺」に復している。本堂、不動堂のほか、江戸時代の仏足石などがある。

金屋の石仏


金屋の村はずれにある収蔵庫に蔵められている2体の石仏。いずれも高さ2.14m、幅83.5cm、
厚さ21.2cmの2枚の泥板岩に釈迦如来像(右)弥勒如来像(左)が浮き彫りにされている。平安時代でも後期の造立と考えられている。
なかの様子は格子戸越しに覗き込んでみるけど、どんな風になってるのか分からなかった。

仏教伝来之地碑


欽明天皇の時代に百済の聖明王の使節が訪れ、釈迦仏の金剛像一躯と経論若干巻等を献上し、日本に仏教を最初に伝えたといわれている所。また、拓榴市観音堂を含むこの一帯を日本最古の市のあった海拓榴市跡と呼び、山の辺の道の南の起点。
ここで御弁当タイム。
川べりの遊歩道の階段に腰かけてお弁当したのですが、お弁当タイムが終って歩き始めてその川の橋を渡る時ふと見ると「大和川」
わんちゃんが子供のころ住んでいたのは大阪市住吉区(現在、住之江区)で大和川がすぐ近く、夏にはシジミをバケツ一杯に・・・父や弟はハゼ釣りに興じたことも、その大和川の上流なんやわ・・・・・ちょっとカンゲキでした。

安倍文殊院






大化元年(645)に創建された日本最古に属する寺院。華厳宗東大寺の別格本山としてその格式も高く、
御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」のことわざでも有名な文殊菩薩で、日本最大(約7m)・快慶作の国宝である。
永禄六年(1563)松永弾正の兵火を受け一山ほとんどが火災で焼失、約 100年後の寛文五年(1665)に現在の本堂(文殊堂)が再建されました。本堂は入母屋造りの七間四面の建物で前に礼堂(能楽舞台)を従えています。
日本最大約7mと伝わる文殊菩薩(国宝)を御本尊とする安倍文殊院は、創建以来すでに1300年以上の
時を経ていますが、現在も常に人々の信仰を集める祈祷寺としてその法灯が守られています。
また、日本三文殊の第一霊場「奈良県・大和安倍の文殊」(京都府・天橋立切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊)としても知られています。








合格門

境内には弁財天、奈良時代の遣唐使・阿倍仲麻呂、平安時代の陰陽師・安倍晴明がお祀りされている方位災難除けの金閣浮御堂や特別史跡の古墳、安倍晴明が天文観測をしたと伝わる展望台などあります。人々の願いを叶える場所として、たくさんの方が訪れ、信仰を集めています。
また、一年を通して様々な花を楽しむことができます。
★★記事中の解説は「いきいき健康ウォーキング」スタッフさん作成の案内書を参考にさせていただきました

玄関魔除け札


★御自宅・会社等の玄関や勝手口の内側にお貼り下さい
 (お札の裏側に両面テープが付いています)
★ご家族の皆様がそれぞれにおまつりの場合は並べてお貼り下さい。
★おまつりされる際には、お札の下側に貼られた年月をご記入ください。
★玄関魔除け札をおまつりされたら、同封のハガキをお送り下さい。
 当山に届き次第、本堂にて貴家の方位除災御祈祷を厳修し、一年後には、新しい玄関魔除札をお送り致します。
 日本三文殊第一霊場 御祈祷の寺
 別格本山 阿倍文珠院

桜井市マンホール

桜井市のマンホールは「桜の井」に因んだ名前で、市章も桜の花弁を図案化したもの
汚水管マンホール蓋

中央に市章

履中天皇(17代400年即位)の稚桜による説話とともに桜井の地名は 「桜の井」とよばれる井戸にはじまるといわれています。 それに因んで桜の花弁を図案化し、中心より大きくひろがった花びらは若さと発展する桜井市を表しています。
上記とデザインは同じだが、上は亀甲柄の中に6個の○が見えますが、こちらは○がありません。
汚水管マンホール蓋