【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

共に考えよう 原爆とは何でしょうか

2020-08-08 | 
8月9日 長崎原爆の日
さだまさしさんはこう考えた
長崎人として伝え続ける責任

長崎の原爆の日を迎え、お伝えしたいことは「午前11時2分に、あの原子爆弾が炸裂したことを
記憶してください。何が起きたかを想像してください」想像するにはヒントが必要でしょうから、広島、長崎の原爆資料館にいらっしゃるといいです。
ただ、戦争の痛みの記憶が遠ざかっているということも若い投稿者の文章からは感じられます。原爆投下時刻のサイレンに無関心の人がいた、とのことですが、僕は長崎でも「サイレンがうるさい」との苦情が出たという話を聞いたことがあります。残念ながら。
②広島の「とうろう流し」に参加した方が「何かを感じることがスタート」とお書きですが「いいことしているな」とか「せつないな」とかまず思ってもらうことが大切なんですね。自分のコンサートでも「命について考えよう」というテーマははずせない。自分の命は、有象無象の散らばったビーズのひとかけらなどではない。もっと大事にしなきゃいけないと心から思えれば、核のこともきちんと判断できるようになるのではないでしょうか。
③日本が核兵器禁止条約に参加すべきだとのご意見は当然と思います。ただ、国どうしのパワーバランスの問題があるから難しい。その論理を超える演説ができる政治家が出てこないんですかね。「無辜(むこ)の民が無残に焼き殺されるのが戦争です」と。
核爆弾2発で、長崎、広島で21万人が死んだ。それでも今の基準で言えば「小型」核兵器なんです。今、東京に核が落とされるようなことがあったなら、1千万人が瞬時に死んでしまう。世界規模の戦争が万一起きれば、人類の終わりです。
それを想像する上でも、④被爆者による語りは非常に重要。外国の人に話してくれるのはいいことですね。僕も長崎人として原爆について語る責任と義務を感じます。歌を通してそれをやっていこうと思っています。朝日新聞2019年8月10日(土)10面 オピニオン&フォーラム

①他人の痛み 目を閉じ想像して
長崎で生まれ育ち、小学校時代から被爆者講話などの授業を受け、ずっと原爆や平和について考えてきた、当然だと思ってきた。
高校3年の時、部活動の全国大会に出場。8月9日11時2分、会場にサイレンが響く中,黙禱をせず話し続ける選手団がいた。学生だけでなく大人も。ひどく衝撃を受けた。この短い時間の大切さを理解していない人がいることが悲しかった。
被爆者の痛みや苦しみを完全に理解することは不可能だ。でもその事実を学び、考えることは誰でもできる。学ぶことは痛いし辛い。目を背けたくなるものかもしれない。だが私たちは原爆がもたらした惨状と被爆者の苦しみを知り、今の平和な日常の尊さを考えなければならない。
「戦争せざるを得ない」という大人がいることに、底知れぬ恐怖を感じた。平和を守る行動とは武装することではない。他人の痛みを、苦しみを想像することだ。だから黙禱をして欲しい。たった1分でいい。
平和とは何か、目を閉じて共に考えて欲しい。平和は「バトンをつなげるもの」だと思う。大人が教えなければ、子供は知ることはない。バトンは途切れてしまう。
大学生:林田 慈音(広島県 21)
②何かを感じることがスタート
大学4年の8月6日、広島市の元安川の岸で開催される「とうろう流し」にボランティアとして参加した。神戸で生まれ育った私は初めてそこに行った。驚いたのは、来る人たちの多さだった。家族を原爆で亡くしたお年寄りや、親に手を引かれた小さな子どもたちの平和への思いがそこにあった。私はただただ感じ入るものがあり、毎年参加し続けてる。
とうろう流しに着た若者が「川に灯りが流れてきれい」と言ったのを何回か聞いたことがある。本来思うべき気持ちとは違うのかもしれない。でも、ここに来て何かを感じることがスタートなのだ。
平和についてほとんど考えていなかった大学生の時の私がそうだったように。
「若い人がボランティアでやってくれているのね。ありがとう。私の孫も参加してほしいわ」去年、おばあさんが声をかけてくれた。そして流れるとうろうに手を合わせていた。こうして思いはつながっていく。ここからスタートし、ふとした折に考えを巡らせ、考え続ける。これでいいのではないだろうか。
小学校教員:前田 悠禰(兵庫県 31)
③核禁条約 被爆者の声聞いて
田上富久長崎市長が9日、平和宣言で日本政府に対し、核兵器禁止条約への参加を訴えた。3年連続で意義あることだ。
一方、当初「戦争の具にしたくない」と、同条約の署名・批准を政府に直接要請してこなかった広島市の松井一実市長は、今年(2019年)は長崎市と足並みをそろえる。
6日の平和宣言で「被爆者の思い」として今年は政府に署名・批准を訴えた。両被爆地の声は重く受け止められるべきだ。
松井市長が会長を務める国際NGO「平和首長会議」は昨年(2018年)安倍晋三首相あてに条約の「締結」を求める要請書を提出した。国際社会は核兵器のない世界の実現を願い、核兵器禁止条約の一日も早い発効を求めている。日本政府が非人道的で、壊滅的な被害をもたらす核兵器を非合法化する核兵器禁止条約にいつまでも背を向けることは許されない。
無職:成瀬 熙久(長崎県 84)
④被爆者の語りにうなずく若者
原爆投下11日目に疎開先から長崎市の実家に戻り被爆した。
焼け野原のあちこちに白骨。製鋼所の鉄骨はアメのように曲がっていた。実家にいた母と妹が後に原爆症で死んだ。母が生前、語った話では、髪が燃え、全身真っ赤にやけどし、皮膚の垂れ下がった人々が水を求めてさまよった。そんな自他の体験をもとに1500回講話してきた。
米国ではお年寄りは原爆投下を当然視するが、若者に被爆者が体験を話すと、「原爆反対」の声が返ってくると聞く。私自身3年前、ドイツの高校で講話した時、同様の経験をした。
国内では締めくくりに三つのことを話す。
1.高齢化した被爆者の体験を若者が引き継ぎ語ってほしい。
2.被爆者はがんで苦しむ人が多く、被爆の影響は今も続く。
3.世界の人々にヒロシマ・ナガサキを訴えていくべきだ。
若者は話せば分かってくれる。生存中の被爆者にもっと光を当て、公費で彼らを世界中に派遣する制度を作ってほしい。
無職:末永 浩(長崎県 83)
朝日新聞2019年8月10日(土)10面 オピニオン&フォーラム

「夏 長崎から さだまさし」は故郷の長崎県(稲佐山)で1987年に始め、2006年まで行った無料の野外コンサート。長崎原爆の日の3日前にあたる広島原爆の日の8月6日に、「長崎から広島に向かって平和について歌う」
わんちゃんは2005年に行って来たヨ。
こぶしを挙げて声高に「戦争反対!!」っと叫ぶんじゃなくって、歌詞にとか小説にとかの中で「平和について」静かに気づかされるところが、さださんらしいと思うわん ちゃんです。

散歩道で虫に遭遇
ヒルガオにチャバネセセリ



エノコログサにクモヘリカメムシ