『赤線地帯』
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売春防止法成立直前の浅草・吉原を舞台にした女性群像劇。
娼館「夢の里」にはそれぞれに事情を抱えた5人の娼婦が暮している。満州からの引揚者で未亡人のゆめ子(三益愛子)は田舎に預けた息子(入江洋吉)といっしょに住める日を夢みている。通いのハナエ(木暮実千代)は結核で失業中の夫(丸山修)と赤ん坊のために、より江(町田博子)はふつうの結婚に憧れながら売春をしている。ミッキー(京マチ子)は放蕩の挙げ句に家族を不幸にした父(小川虎之助)への当てつけに身体を売り、店でいちばん人気のやすみ(若尾文子)はひたすらあこぎに金を貯めまくる。
売春=下賤の商売という大方の単純な価値観を丹念に解きほぐすように、物語は5人の生活背景を丁寧に描いていく。彼女たちはしたくて売春をしているわけではないが、売春をやめてどうするというあてもない。戦前と違いやめたければいつでも合法的に売春を辞められる環境になってもやめる決断のつかない理由はいくらもある。娼婦という身分が世の中からどうみられているか、吉原の外の世界がどんなものか、彼女たちは彼女たちなりに知っているのだ。知的ではないし愚かな部分もあるが、そういう意味では彼女たちは聡明である。
しかし売春がイヤならどうするべきか、というビジョンのリアリティという点で5人には差が出てくる。結果的には夫も結婚もあてにはせず、自分ひとりで自立することだけを考えていたやすみが勝者となるのである。彼女は5人のうちでは最も娼婦らしく男を騙しまくり、商売仲間にさえいっさいの同情心もみせない冷たい女だが、彼女にとっては売春宿での自分のキャラなんかどうだってよかったのだ。一刻も早く自力でそこから出ていくことだけが大切だったのだから。それはそれで効率的な生き方かもしれないが、恋もせず愛を信じず、誰も頼らずにひとりで生きることを選ぶしたたかな女性を成功させた溝口の女性観もなかなかシビアである。
「夢の里」の主人(進藤英太郎)は売春防止法の報道に対して「我々は政治の手の届かないところを世話しているのだ、我々の商売は社会奉仕活動だ」というのだが、この演説が映画の前半と後半に2度繰り返される。それを聞いている娼婦たちの表情の変化がおもしろい。
確かに売春は有史以来人類最古のサービス業ともいわれる歴史ある職業でもあるし、おそらく人間社会に必要不可欠な商売ではある。だが女の身体を借金の担保にし、必要経費がすべて娼婦の借金に加算されていく当時の売春システムが、カンペキに人権を無視した残酷な人身売買だったことに間違いはないわけで、その現実を語る前と後では同じ台詞でも聞こえ方がまったく違ってくる。
すっごくおもしろかったです。ぐりはこの映画好きですね。若尾文子はめちゃめちゃケバいメイクしてたけど、それでも愛らしかったです。京マチ子はまたキョーレツ(笑)。独特の美術や衣装もよかった。
この映画、登場人物が多いわりに尺が短いのだが(86分)短さを感じさせず、セリフでの状況説明が多いのに概念的にもなっていない。女優たちの迫真の演技と巧みな演出力の賜物だろう。
娼館の話なのにまるでエロティシズムとは関係のない側面だけで物語が進行するという構成も割りきれてていい。こういうの今の日本映画じゃ絶対ムリだよなあ。
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売春防止法成立直前の浅草・吉原を舞台にした女性群像劇。
娼館「夢の里」にはそれぞれに事情を抱えた5人の娼婦が暮している。満州からの引揚者で未亡人のゆめ子(三益愛子)は田舎に預けた息子(入江洋吉)といっしょに住める日を夢みている。通いのハナエ(木暮実千代)は結核で失業中の夫(丸山修)と赤ん坊のために、より江(町田博子)はふつうの結婚に憧れながら売春をしている。ミッキー(京マチ子)は放蕩の挙げ句に家族を不幸にした父(小川虎之助)への当てつけに身体を売り、店でいちばん人気のやすみ(若尾文子)はひたすらあこぎに金を貯めまくる。
売春=下賤の商売という大方の単純な価値観を丹念に解きほぐすように、物語は5人の生活背景を丁寧に描いていく。彼女たちはしたくて売春をしているわけではないが、売春をやめてどうするというあてもない。戦前と違いやめたければいつでも合法的に売春を辞められる環境になってもやめる決断のつかない理由はいくらもある。娼婦という身分が世の中からどうみられているか、吉原の外の世界がどんなものか、彼女たちは彼女たちなりに知っているのだ。知的ではないし愚かな部分もあるが、そういう意味では彼女たちは聡明である。
しかし売春がイヤならどうするべきか、というビジョンのリアリティという点で5人には差が出てくる。結果的には夫も結婚もあてにはせず、自分ひとりで自立することだけを考えていたやすみが勝者となるのである。彼女は5人のうちでは最も娼婦らしく男を騙しまくり、商売仲間にさえいっさいの同情心もみせない冷たい女だが、彼女にとっては売春宿での自分のキャラなんかどうだってよかったのだ。一刻も早く自力でそこから出ていくことだけが大切だったのだから。それはそれで効率的な生き方かもしれないが、恋もせず愛を信じず、誰も頼らずにひとりで生きることを選ぶしたたかな女性を成功させた溝口の女性観もなかなかシビアである。
「夢の里」の主人(進藤英太郎)は売春防止法の報道に対して「我々は政治の手の届かないところを世話しているのだ、我々の商売は社会奉仕活動だ」というのだが、この演説が映画の前半と後半に2度繰り返される。それを聞いている娼婦たちの表情の変化がおもしろい。
確かに売春は有史以来人類最古のサービス業ともいわれる歴史ある職業でもあるし、おそらく人間社会に必要不可欠な商売ではある。だが女の身体を借金の担保にし、必要経費がすべて娼婦の借金に加算されていく当時の売春システムが、カンペキに人権を無視した残酷な人身売買だったことに間違いはないわけで、その現実を語る前と後では同じ台詞でも聞こえ方がまったく違ってくる。
すっごくおもしろかったです。ぐりはこの映画好きですね。若尾文子はめちゃめちゃケバいメイクしてたけど、それでも愛らしかったです。京マチ子はまたキョーレツ(笑)。独特の美術や衣装もよかった。
この映画、登場人物が多いわりに尺が短いのだが(86分)短さを感じさせず、セリフでの状況説明が多いのに概念的にもなっていない。女優たちの迫真の演技と巧みな演出力の賜物だろう。
娼館の話なのにまるでエロティシズムとは関係のない側面だけで物語が進行するという構成も割りきれてていい。こういうの今の日本映画じゃ絶対ムリだよなあ。