『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』 守大助/阿部泰雄著
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先月27日に最高裁で無期懲役が確定した仙台筋弛緩剤混入事件の被告と弁護人の手記。
事件は、勤務先の患者20人の点滴に手術で使用する筋弛緩剤マスキュラックスを混入し10人を殺害したとして2001年に看護師が逮捕され、当時は前代未聞の凶悪犯罪としてかなりマスコミも騒がせていた記憶がある。
ところが、逮捕当初は犯行を認めた被告は数日後否認に転じ、以後は一貫して犯行を認めていない。それと同調するようにメディアからも事件はぱったりと姿を消した。なぜなら、警察や検察の捜査に重大な誤解や捏造があるらしいことが専門家から指摘され、事件そのものが捏造である可能性が出て来たからだ。
冤罪ではない。でっちあげなのだ。冤罪とは真犯人とは別な無実の人物に罪をおし着せることをいうが、この場合には事件自体が存在しないかもしれないのだという。
大雑把にまとめると、まず被告の犯行には目撃者もなく物的証拠もいっさいない。証拠とされている筋弛緩剤が検出された被害者の血液検体も偽物とみて間違いないらしい。なぜならマスキュラックスは血中で十数分で分解されるため、日にちを跨いで鑑定しても成分が検出されることなどありえない。それに、何ヶ月も前に亡くなった患者の血液検体が一体なんの目的でどこにどういった形で保管されていたかが明らかになっていない。被害者の中には外来の患者もいて採血した記録すらなかったりする。そうなると鑑定した検体が誰の血なのかもわからないし、それを鑑定した形跡もない。被害者の急変・死亡と混入の因果関係も医学的に立証されているとはいいにくい。
ふたつめ、被告には動機がない。被告はヘッドハンティングで事件のあったクリニックに転職してきており、同僚看護師と同棲して近々結婚を予定していた。勤務態度はいたって真面目で患者の評判もよかったという。要するに公私ともに充実した生活を送っていた29歳の青年に、患者を無差別に殺すような理由がなかった。おまけに、医学的にいえば点滴にマスキュラックスを混入する方法では人は殺せない。ほんとうに被告に殺意があれば他の方法をとったはずである。たとえば1992年には同じ筋弛緩剤の塩酸スキサメトニウムを注射して5人が殺害された大阪愛犬家連続殺人事件もあるし、イギリスではモルヒネを投与して200人以上の患者を殺害したとされるハロルド・シップマンという医師もいる。
みっつめ。病院側は点滴中に急変する患者が増えたことに不信感をもって通報したと説明しているが、このクリニックでは点滴はしょっちゅうやっていた。常に何かといえば点滴だったそうだ。病人がいれば急変が起こることも珍しいことではない。すなわちこのふたつをわざわざ結びつけるのが不自然である。
ではなぜ「事件は起きた」のだろうか。
既に各方面で報道もされているが、このクリニックは当時経営難で医師や看護師などスタッフが次々に辞め、リストラもしていた(この流れで救命救急技術をもつ医師も退職し、急変で転院する患者が激増した)。負債も相当な額で倒産は時間の問題だったという。しかし国や自治体から多額の援助を受けて設立した先端医療施設が経営難でつぶれるなど、責任者にとっては不名誉以外の何ものでもない。同じつぶれるにしても他の理由が必要だった。
つまり、被告にとっては何の利益もない「犯行」だったにも関わらず、被告が「犯人」に仕立てられることで助かる人物がいたことになる。
こういった事件の顛末もこれがほんとうに法治国家日本で起こっているとは俄に信じがたいほどショッキングだが、この本でもっとも衝撃的なのが警察と検察の取調べの下劣さである。
毎日毎日、ただひたすら「死ね」「人間のくず」「お前がやった」「やったといえ」「ウソをつくな」「反省しろ」「同じ警察の親として恥ずかしい(被告の父親は警察官)」「愛しているなら恋人と別れろ」などと被告を責めて責めて責めまくるばかりなのだ。こんなもの取調べでもなんでもない。ただの拷問だ。これがもし日本の警察の取調べとして当り前の方法なのだとしたら、日本は既に法治国家などではない。もし万が一、被告が真犯人であったとしてもこんな取調べは人権を完全に無視した違法行為でしかないし、なんら科学的根拠も裏付けもない見込み捜査だけで起訴してしまえることすら信じられない。それこそ日本人として恥ずかしい。
マスコミを含め多くの日本人がこの事件を明らかな冤罪であると知っていながら、有罪率99.86%という日本の裁判所は被告に有罪の判決を下した。被告や家族や支援者はさぞ無念だろう。
しかしわれわれが最も注意すべきなのは事件の真実などではなく、自白も物的証拠もなく警察と検察がでっち上げた状況証拠だけでひとりの人間を罪人にしてしまえるのが、日本の国家権力であるという事実だ。
これがほんとうに民主国家といえるだろうか。
ちょっとムリなんじゃないかと、ぐりは思うんですけども。
無実の守さんを支援する首都圏の会
仙台・筋弛緩剤混入事件:上告棄却決定 守被告の弁護団、抗議声明を発表
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先月27日に最高裁で無期懲役が確定した仙台筋弛緩剤混入事件の被告と弁護人の手記。
事件は、勤務先の患者20人の点滴に手術で使用する筋弛緩剤マスキュラックスを混入し10人を殺害したとして2001年に看護師が逮捕され、当時は前代未聞の凶悪犯罪としてかなりマスコミも騒がせていた記憶がある。
ところが、逮捕当初は犯行を認めた被告は数日後否認に転じ、以後は一貫して犯行を認めていない。それと同調するようにメディアからも事件はぱったりと姿を消した。なぜなら、警察や検察の捜査に重大な誤解や捏造があるらしいことが専門家から指摘され、事件そのものが捏造である可能性が出て来たからだ。
冤罪ではない。でっちあげなのだ。冤罪とは真犯人とは別な無実の人物に罪をおし着せることをいうが、この場合には事件自体が存在しないかもしれないのだという。
大雑把にまとめると、まず被告の犯行には目撃者もなく物的証拠もいっさいない。証拠とされている筋弛緩剤が検出された被害者の血液検体も偽物とみて間違いないらしい。なぜならマスキュラックスは血中で十数分で分解されるため、日にちを跨いで鑑定しても成分が検出されることなどありえない。それに、何ヶ月も前に亡くなった患者の血液検体が一体なんの目的でどこにどういった形で保管されていたかが明らかになっていない。被害者の中には外来の患者もいて採血した記録すらなかったりする。そうなると鑑定した検体が誰の血なのかもわからないし、それを鑑定した形跡もない。被害者の急変・死亡と混入の因果関係も医学的に立証されているとはいいにくい。
ふたつめ、被告には動機がない。被告はヘッドハンティングで事件のあったクリニックに転職してきており、同僚看護師と同棲して近々結婚を予定していた。勤務態度はいたって真面目で患者の評判もよかったという。要するに公私ともに充実した生活を送っていた29歳の青年に、患者を無差別に殺すような理由がなかった。おまけに、医学的にいえば点滴にマスキュラックスを混入する方法では人は殺せない。ほんとうに被告に殺意があれば他の方法をとったはずである。たとえば1992年には同じ筋弛緩剤の塩酸スキサメトニウムを注射して5人が殺害された大阪愛犬家連続殺人事件もあるし、イギリスではモルヒネを投与して200人以上の患者を殺害したとされるハロルド・シップマンという医師もいる。
みっつめ。病院側は点滴中に急変する患者が増えたことに不信感をもって通報したと説明しているが、このクリニックでは点滴はしょっちゅうやっていた。常に何かといえば点滴だったそうだ。病人がいれば急変が起こることも珍しいことではない。すなわちこのふたつをわざわざ結びつけるのが不自然である。
ではなぜ「事件は起きた」のだろうか。
既に各方面で報道もされているが、このクリニックは当時経営難で医師や看護師などスタッフが次々に辞め、リストラもしていた(この流れで救命救急技術をもつ医師も退職し、急変で転院する患者が激増した)。負債も相当な額で倒産は時間の問題だったという。しかし国や自治体から多額の援助を受けて設立した先端医療施設が経営難でつぶれるなど、責任者にとっては不名誉以外の何ものでもない。同じつぶれるにしても他の理由が必要だった。
つまり、被告にとっては何の利益もない「犯行」だったにも関わらず、被告が「犯人」に仕立てられることで助かる人物がいたことになる。
こういった事件の顛末もこれがほんとうに法治国家日本で起こっているとは俄に信じがたいほどショッキングだが、この本でもっとも衝撃的なのが警察と検察の取調べの下劣さである。
毎日毎日、ただひたすら「死ね」「人間のくず」「お前がやった」「やったといえ」「ウソをつくな」「反省しろ」「同じ警察の親として恥ずかしい(被告の父親は警察官)」「愛しているなら恋人と別れろ」などと被告を責めて責めて責めまくるばかりなのだ。こんなもの取調べでもなんでもない。ただの拷問だ。これがもし日本の警察の取調べとして当り前の方法なのだとしたら、日本は既に法治国家などではない。もし万が一、被告が真犯人であったとしてもこんな取調べは人権を完全に無視した違法行為でしかないし、なんら科学的根拠も裏付けもない見込み捜査だけで起訴してしまえることすら信じられない。それこそ日本人として恥ずかしい。
マスコミを含め多くの日本人がこの事件を明らかな冤罪であると知っていながら、有罪率99.86%という日本の裁判所は被告に有罪の判決を下した。被告や家族や支援者はさぞ無念だろう。
しかしわれわれが最も注意すべきなのは事件の真実などではなく、自白も物的証拠もなく警察と検察がでっち上げた状況証拠だけでひとりの人間を罪人にしてしまえるのが、日本の国家権力であるという事実だ。
これがほんとうに民主国家といえるだろうか。
ちょっとムリなんじゃないかと、ぐりは思うんですけども。
無実の守さんを支援する首都圏の会
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