『放送禁止歌』 森達也著
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日本には制度上、放送禁止歌なるものは現在存在しない。
かつては日本民間放送連盟(通称「民放連」)が自主規制のためのガイドラインとして「要注意歌謡曲指定制度」というシステムを1959年から始め、指定曲の一覧リストを定期的に発行していた。このリストは5年間有効とされていたが1983年を最後に更改されておらず、88年に効力を失ってから既に20年が経過している。なので、今日では「放送を規制されている曲」など1曲もない。音楽の放送に対する規制もまったくない。アメリカの連邦通信委員会(通称「FCC」)のように法的強制力をもつ政府機関が日本にはないからだ。
それなのに、今でも日本人の感覚のなかには「放送禁止歌」という概念だけが存在している。TVを観る一般視聴者にもあるし、放送するメディア側にもある。それはなぜなのか。
本書はかつて名曲の数々が「放送禁止歌」に指定された背景を取材して番組にしようとしたTVジャーナリスト森氏が、取材の過程で「放送禁止歌」という概念そのものの本質に向かいあうことになった経緯をまとめたエッセイ。ルポルタージュというほど深刻な内容ではなく、あっさりと読みやすい分量にきれいにまとまった軽い本だ。
ぐりはここ数年TVを見ない生活を送っているが、子ども時代にも一部のアニメ番組以外はTVを見ないようしつけられていたので、この本に登場する放送禁止歌は最近映画の題材にもなった「イムジン河」を除いて1曲も聞き覚えがない。なので放送を規制された事実の重みがうまくイメージできなかったのがちょっと歯がゆかったけど、全体としては、TVというメディアの人にはなかなかできないアプローチをした、かなりチャレンジングな本になっているとは思う。
はじめはなぜ歌が放送できなくなったのかを取材していた森氏だが、調べてみると歌謡曲の放送を禁止する法律もルールも何もないことがわかってくる。現場で誰かが「この曲は放送禁止歌じゃなかったっけ?」といえば「じゃあやめとこっか」などといいう程度の思いこみで「放送禁止歌」という概念が漫然と受け継がれていただけだった。
「なんで禁止なの?」といえば「どうも民放連から圧力があったらしいよ」などという者がある。「いや解同(部落解放同盟)らしいよ」、あるいは「総連(在日本朝鮮人総聯合会)らしいよ」という者もある。しかしそれならば本当にそんな事実がいつあったのか、そしてそれはなぜなのかを誰も追求してこなかった。どうしてか?TVは忙しいからだ。ムダにめだつことをして後でクレームが来ても反論なんかするエネルギーが惜しいからだ。
「誰も傷つけない表現」が「差別のない表現」だとみんなが勝手に思いこんでいる。現実には「誰も傷つけない表現」なんかない。どんな表現にも傷つく人はいる。もし傷つく人がいても、傷ついたよと抗議する人がいても、表現者側にはっきり反論できる主張と誠意がありさえすればいいのに、忙しいから、めんどうだからという理由で誰もそれに触れようとしない。
結果的にはどうなるか。差別の意味や根拠が知られないまま闇に葬られ、差別という観念だけが受け継がれていってしまう。差別はいけない、人間は平等だという美辞麗句がどんどん形骸化する。
歌謡曲だけの問題じゃない。放送禁止用語から皇室問題、相撲協会などあらゆるメディアの「タブー」に対するあまりにも無責任な無自覚の問題なのだ。
ぐりは森氏の「放送禁止歌〜歌っているのは誰?規制しているのは誰?〜」という番組を観たことはないんだけど、機会があれば一度みてみたい。
しかしこの森さんとゆーヒトはスゴイ数の本を出してますけど・・・いつどーやってこんなに書いてるんだろー?謎。
あとデーブ・スぺクターって意外におもろいね(爆)。しょーもないダジャレしゃべってるよりマジメに喋ってる方がおもしろいよ。ははははは。
「放送禁止歌〜歌っているのは誰?規制しているのは誰?〜(1/6)」
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日本には制度上、放送禁止歌なるものは現在存在しない。
かつては日本民間放送連盟(通称「民放連」)が自主規制のためのガイドラインとして「要注意歌謡曲指定制度」というシステムを1959年から始め、指定曲の一覧リストを定期的に発行していた。このリストは5年間有効とされていたが1983年を最後に更改されておらず、88年に効力を失ってから既に20年が経過している。なので、今日では「放送を規制されている曲」など1曲もない。音楽の放送に対する規制もまったくない。アメリカの連邦通信委員会(通称「FCC」)のように法的強制力をもつ政府機関が日本にはないからだ。
それなのに、今でも日本人の感覚のなかには「放送禁止歌」という概念だけが存在している。TVを観る一般視聴者にもあるし、放送するメディア側にもある。それはなぜなのか。
本書はかつて名曲の数々が「放送禁止歌」に指定された背景を取材して番組にしようとしたTVジャーナリスト森氏が、取材の過程で「放送禁止歌」という概念そのものの本質に向かいあうことになった経緯をまとめたエッセイ。ルポルタージュというほど深刻な内容ではなく、あっさりと読みやすい分量にきれいにまとまった軽い本だ。
ぐりはここ数年TVを見ない生活を送っているが、子ども時代にも一部のアニメ番組以外はTVを見ないようしつけられていたので、この本に登場する放送禁止歌は最近映画の題材にもなった「イムジン河」を除いて1曲も聞き覚えがない。なので放送を規制された事実の重みがうまくイメージできなかったのがちょっと歯がゆかったけど、全体としては、TVというメディアの人にはなかなかできないアプローチをした、かなりチャレンジングな本になっているとは思う。
はじめはなぜ歌が放送できなくなったのかを取材していた森氏だが、調べてみると歌謡曲の放送を禁止する法律もルールも何もないことがわかってくる。現場で誰かが「この曲は放送禁止歌じゃなかったっけ?」といえば「じゃあやめとこっか」などといいう程度の思いこみで「放送禁止歌」という概念が漫然と受け継がれていただけだった。
「なんで禁止なの?」といえば「どうも民放連から圧力があったらしいよ」などという者がある。「いや解同(部落解放同盟)らしいよ」、あるいは「総連(在日本朝鮮人総聯合会)らしいよ」という者もある。しかしそれならば本当にそんな事実がいつあったのか、そしてそれはなぜなのかを誰も追求してこなかった。どうしてか?TVは忙しいからだ。ムダにめだつことをして後でクレームが来ても反論なんかするエネルギーが惜しいからだ。
「誰も傷つけない表現」が「差別のない表現」だとみんなが勝手に思いこんでいる。現実には「誰も傷つけない表現」なんかない。どんな表現にも傷つく人はいる。もし傷つく人がいても、傷ついたよと抗議する人がいても、表現者側にはっきり反論できる主張と誠意がありさえすればいいのに、忙しいから、めんどうだからという理由で誰もそれに触れようとしない。
結果的にはどうなるか。差別の意味や根拠が知られないまま闇に葬られ、差別という観念だけが受け継がれていってしまう。差別はいけない、人間は平等だという美辞麗句がどんどん形骸化する。
歌謡曲だけの問題じゃない。放送禁止用語から皇室問題、相撲協会などあらゆるメディアの「タブー」に対するあまりにも無責任な無自覚の問題なのだ。
ぐりは森氏の「放送禁止歌〜歌っているのは誰?規制しているのは誰?〜」という番組を観たことはないんだけど、機会があれば一度みてみたい。
しかしこの森さんとゆーヒトはスゴイ数の本を出してますけど・・・いつどーやってこんなに書いてるんだろー?謎。
あとデーブ・スぺクターって意外におもろいね(爆)。しょーもないダジャレしゃべってるよりマジメに喋ってる方がおもしろいよ。ははははは。
「放送禁止歌〜歌っているのは誰?規制しているのは誰?〜(1/6)」
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