落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

青い丘から

2010年03月14日 | book
『在日一世の記憶』 小熊英二/姜尚中編

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1911〜36年生まれの在日韓国/朝鮮人1世52人にインタビューしたライフ・ヒストリーを生年順に収録したノンフィクション。
な、長かった・・・新書版でP781ページ。ほとんど辞書なみの分厚さです。途中で何回か挫折して、ぜんぜん違う本10冊くらい読んじゃったりしてね。けどそーゆーときに勢いで読んだ本がまたつまんなかったりすんのさ・・・白洲次郎はハマったけどさー。
ちなみにぐりは在日3世で、1世にあたる祖父母は1903〜13年生まれ。この本に登場する1世たちのいちばん古い世代より弱冠年長で、来日時期もかなり早かったらしい。来日当時の詳しい事情はよくわからないけど、いずれ両親にも聞いてみたいとは思っている。今までにも何度か聞いたことはあるけど、両親にとって辛酸を嘗め尽くした自分の子ども時代や、祖父母の若いころの苦労話は思い出すだけでもつらく、到底舌先滑らかに話せるものではないようで、インタビューにもかなりの根気がいるものと思われる。

逆にいうと、この本に登場する1世の「記憶」はまだ語るに堪えうる内容でしかないということもできる。
読んでてものすごく気になったんだけど、人選がどう考えても異常に偏っている。民団や総連、民族学校など日本の在日コリアンの民族運動に深く関わった人ばかりがやたらに目立つし、それ以外でも文化人や経済的に成功した人、つまりいわゆる“勝ち組”が大多数を占めている。もちろん、在日コリアンがどれだけ勤勉でも、そんな人ばかりではないはずである。
取材当時存命中の1世のインタビューをできる限りたくさんとりたい・載せたい気持ちはわからないではないけど、こんなに偏ってたのでは、これ1冊で「在日とは」みたいなことをわかったような気分になられても困るなーとゆー気もする。
ただ、朝鮮半島〜在日コリアン〜日本の歴史的関わりは非常によくわかる、いい資料ではある。一資料としては誰にでもオススメできる良書であることは間違いない。巻末の用語解説なんかよくできてます。

この本を読むにあたって姜尚中氏の『在日』も読んでみたんだけどー・・・無茶苦茶つまんなくてビックリしたわー。実はぐりの母は姜尚中氏の大ファンでこの本も絶賛してたんだけど・・・何がおもろいんやろ?これ?
この『在日』と『記憶』のつまらなさはある意味完全にカブッてます。理屈っぽすぎるんだよね。頭でっかちなの。いろんな人のインタビューをせっかく集めたのに、編集するポイントが頭でっかちだから、どれもこれも個性がなくなっちゃって、全体になんか似た感じになっちゃってる。
そーゆーとこがすごいもったいないなーと思いましたですー。

後日付記:
橋下知事、朝鮮学校視察へ 「北朝鮮は暴力団と同じ」
高校無償化:大阪府知事「北朝鮮と一線を」 朝鮮学校支援で条件提示
はしもっちゃんはこの本読んだ方がいいかもね・・・。

わてのイエスさん

2010年03月14日 | book
『次郎と正子─娘が語る素顔の白洲家』 牧山桂子著

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こないだ読んだ伝記『白洲次郎 占領を背負った男』でハマって、ひとり白洲次郎まつりをやっとりましたがー。
何冊か他の伝記とか関連本を読んでみたけど、これがいちばんおもろかったです。
著者は1940年、次郎と正子の長女として現在の町田市に生まれた。兄ふたりの下の末っ子、ひとり娘である。
さぞかわいがられただろうと思いきや、ご本人の認識ではそうではなかったらしい。両親は常に自分の仕事で忙しくしていて、子どもは自主性に任せるというか、干渉することはあまりなく、そばにいてほしい、相談にのってほしいときにはいつも相手にしてくれない親だったという。なかでも9歳上の長兄の春正が、正子に向かって「もっと桂子の面倒をみてやらないと」と説教していたなどというエピソードは印象的である。
それでも、この本に書かれているだけでも、白洲家には家族団欒のさまざまな思い出がたくさんある。ままごとに畑仕事、家族麻雀、京都旅行、軽井沢での避暑、スキー、海外旅行、家族揃っての食事。
白洲家の親子関係は確かにふつうとは少し違っていたかもしれないけど、それはそれなりに仲のよい、あたたかく親しみにあふれた家族であっただろうことが、文章の端々にしのばれる。

でもやっぱりぐり的に萌えたのは、吉田茂の側近として、政財界の黒幕としておそれられた白洲次郎のお茶目なパパぶりである。
世の中で白洲次郎がどんな大物であろうが、子どもにとってはひとりの父親にすぎない。少なくとも著者自身は、父親を徹頭徹尾ただの父親としてとらえている(母親のことはあまり母親だと思っていないフシも見受けられる)。
音痴で歌はたった3曲しか歌えなかった白洲次郎(3曲とも日曜学校で習った賛美歌。それも完全に節が間違っていた)。日曜大工が大好きで、家具や日用品を次々につくっては頼まれもしないのに周りの人にプレゼントしていた白洲次郎。17歳で渡英したためか日本語の理解力に微妙に不自由があり、他人の冗談がよくわからないこともあったという白洲次郎。子どもに自分たちを「パパ」「ママ」と呼ばせ、町田の隣人たちにも亡くなるまでそう呼ばれていた白洲次郎。娘に「結婚相手に誰を連れて来ても反対してやる」と豪語し、結婚が決まってからは破談を虎視眈々と狙い、結婚式にも口やかましくがみがみと横やりを入れまくった白洲次郎。隣に住む娘夫婦の台所にあがりこみ、皿に山盛りになった3人前の焼鳥をひとりで食べてしまう白洲次郎。朝が早いわりにひとりで過ごすのが退屈で、寝ている家族のシーツを無理矢理むしりとりに来る白洲次郎。
お茶目です。カワイイー。

文中、何枚か著者と両親との写真が掲載されているが、写真を見る限りでは著者は父親にうりふたつである。顔だちだけでなく、表情や眼差し、しぐさなども、はっきりと白洲次郎のそれを受け継いでいるように見える。
ちなみに次郎本人は母・芳子似である。芳子は今でいうと藤谷美和子みたいな感じの美人。次郎は生まれたころから日本人離れした容貌だったそうで、くっきりとした目鼻立ちやすらりとした長身は確かに当時かなり目立っただろうなと思う。
ただ、彼がこれほど多くの人に愛されたのは、ただクールでスマートだったからというだけではないと思う。いつも熱い正義感に燃え、嫌われることを恐れずに誰に対しても口やかましく、それでいてキュートな面も多々持っていたからではないだろうか。
白洲家では子どもが親に挨拶をする時、頬にキスをする習慣があったそうだが、孫にキスされるときの白洲次郎は天使のようにかわいい笑顔を浮かべていたという。
58歳で政財界から引退して表舞台にたつことがなくなったため、生前の映像資料がほとんど残されていない白洲次郎だが、そんな天使のような笑顔だけは、ちょっと見てみたかったなと思いましたです。