落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

雨野大助の思い出

2010年03月19日 | book
『記憶はウソをつく』 榎本博明著

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前にどっかで書いたかもしれませんが。
ぐりのいちばん古い記憶は1歳10ヶ月のときのものである。場所は映画館で、ぐりは大人にまじって映画を観ている。
画面では、若い妻が太った夫を電気掃除機でいじめている。前後の状況はまったくわからないのだが、なぜかこの場面だけをくっきりと覚えている。妻が賠償美津子で、三波伸介が夫を演じていたのも覚えていた。たぶん、後からテレビか何かで本人を見て名前を覚えたんだろうと思う。映画のタイトルが『ダメおやじ』だったことも後でわかった。
インターネットで映画のデータが検索できるようになってから調べてみると、この映画の公開時期がぐりが1歳10ヶ月のときだった。ちょうど妹が生まれたころと重なっている。それで父に、「妹が生まれておかあさんが入院してたとき、私を連れて『ダメおやじ』を観に行かなかったか」と訊ねたところ、「その通りだ」と認めた。
掃除機のシーンを覚えていたのは、おそらくそれが、ぐりの家では決して見られない光景だったからではないだろうか。そのころのぐりの母は、夫=ぐり父をいじめたり攻撃したりなんてことは絶対にできない人だったからだ。

この本もねえ・・・面白かったんだけど。
似たよーなタイトルの本がいっぱいあって・・・その中で比較的新しいのと思って読んでみたけど・・・無難に養老孟司とか読んどくべきだったかもしらん。
イヤ、本の内容はいいんだよね。それは問題ないんだけど、著者がっ・・・!著者のパーソナリティが・・・無理だった。
この手の研究書とかノンフィクションを読んでてぐりが生理的にうけつけないのは、やたら不必要に著者のパーソナリティが前面に出てくるのがすっごく気に障るんだよね。皆様そんなことありませんか。そーですか。
あー。でもねえー。いちいち「僕はこれこれこーゆー性格で」とか始まると、「おいおい、アタシは研究結果が知りたいだけでアンタの性格とか交友関係なんか1ミリもキョ―ミねーんだっつの」なんつう突っ込みをいれてしまいたくなるんでございますよ。
すみませんココロ狭くて。

まあそれはそれとして。
この本に書いてあることといえば、わざわざ研究しなくても世間一般でなんとなくこうじゃない?といわれてる仮説を、きちっとルールを設けて実験して、心理学的に実証した研究結果である。
だから、そういう部分だけはすごく読んでてハレバレとした気持ちになれる。たとえば記憶が捏造されるという研究の話。父方の祖父が脳梗塞で倒れたとき、ぐりは4歳だったのだが、大人になるまでそのときその場に自分もいたものと思いこんでいた。記憶の中で、その情景があまりに克明だったからだ。祖父母が当時住んでいたアパートの前に救急車が停車していて、近所の人たちが野次馬のようにあたりを取り囲んでいたこと、ストレッチャーに載せられた祖父の青ざめた顔や、かぶっていた古びた毛布の色合いなど、未だにどう考えてもこの目で見たとしか思えないほどの鮮明さである。
ところが、かなり後で聞いた話では、そのときぐりはそこにはいなかったという。そのころ祖父母が住んでいたのはぐりの家からクルマで2時間ほど離れた田舎だったので、盆暮れや正月以外には訪問することもほとんどなかったはずで、祖父が倒れたのはそのどちらの季節とも異なる。
つまり、ぐりは祖父が倒れた状況を誰かから聞いて、その場面を頭の中でヴィジュアル的につくりだして、それを本物の記憶だと思いこんでいたことになる。
そう思うとほんとに記憶ってこわいなと思う。だって、あとでつくった偽物の記憶と、本物の記憶、鮮明さやリアリティだけでいえば、どっちが本物でどっちが偽物かなんてわかんないもん。専門家がなんかどーにかこちょこちょっとやったら、そんなもの簡単にコントロールできちゃいそうです。
だから逆にいえば、こーゆー研究をもとに、取調べのルールとか、裁判での証人の扱いのルールを決めたら、間違った証言が誘導されるなんてミスを避けられていいんじゃない?なんて思いますが。

セックスとカネと国の話

2010年03月19日 | book
『「夜のオンナ」の経済白書―世界同時不況と「夜のビジネス」』 門倉貴史著

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えー。おもろかったです。ふつーに。
読んだのはもう1週間前なんで、既にけっこー忘れちゃってるんですが(爆)。だって内容薄いんだもん・・・量的にもかなり軽めだし、誰にでも読みやすくて、読めばなんとなく「ふ~ん」ってわかった気にはなれる、そーゆー感じ?
まあね、それなりにちゃんと調べてるんだろーし、視点もパートによって多面的に変化をつけてあるし、読み物としてはすごくおもしろいんだよね。それは認める。この人、毎月のよーに経済関係の本(お手軽系)をぼんぼん出しまくって、テレビやら雑誌やら出まくって講演しまくってる、かなり人気のある若手コラムニストなんだそーですがー。失礼ながらぐりはよう知らんかったんですけども。つまり儲かってるわけよ。おりこうさんなワケ。

だけどたぶん、ぐりはこの彼とはとてもお友だちにはなれないだろーな、って気がする。
べつにぐりのアタマがよろしくないからひがんでるワケじゃなくて(当り前。負け惜しみではない)、なんとなくなんだけど、そこはかとなく、文章の端々に、「この人はなんだか気取ったよーなアタマよさそーなふうを装ってるみたいだけど、実際はすごーくお下品な人なんではなかろーか?」という空気が臭ってきてしまうんですー。
ぐり自身は下品も趣味のうちだと思ってるけど、いやなのは、下品じゃないふうを装ってて実は下品、ってのがヤなんだよね。生理的に受けつけない。
この本でいうと、この著者はそんなことおくびにも出してないよーでいて、開発途上国の人たち、貧しい人たち、性風俗産業で働いている人たち、性的少数者の人たちを、思いっきり蔑んでもかまわないと思ってるんじゃない?とゆー空気が、どーしてもじわじわと臭ってくるんだなあ。
たぶんぐりの気のせいだと思うんだけど、気になりだしたらもう止まらないんです。すいません。

そしてこれはぐりの偏見だと思うんだけど、こーゆー種類の人が、「おカネ儲けんのがなんで悪いの?」とかゆっちゃうこともあるんだろーなー、なんて思っちゃうワケでございます。
やっぱあたし、アタマわりーな・・・。すいません。