『記憶はウソをつく』 榎本博明著
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前にどっかで書いたかもしれませんが。
ぐりのいちばん古い記憶は1歳10ヶ月のときのものである。場所は映画館で、ぐりは大人にまじって映画を観ている。
画面では、若い妻が太った夫を電気掃除機でいじめている。前後の状況はまったくわからないのだが、なぜかこの場面だけをくっきりと覚えている。妻が賠償美津子で、三波伸介が夫を演じていたのも覚えていた。たぶん、後からテレビか何かで本人を見て名前を覚えたんだろうと思う。映画のタイトルが『ダメおやじ』だったことも後でわかった。
インターネットで映画のデータが検索できるようになってから調べてみると、この映画の公開時期がぐりが1歳10ヶ月のときだった。ちょうど妹が生まれたころと重なっている。それで父に、「妹が生まれておかあさんが入院してたとき、私を連れて『ダメおやじ』を観に行かなかったか」と訊ねたところ、「その通りだ」と認めた。
掃除機のシーンを覚えていたのは、おそらくそれが、ぐりの家では決して見られない光景だったからではないだろうか。そのころのぐりの母は、夫=ぐり父をいじめたり攻撃したりなんてことは絶対にできない人だったからだ。
この本もねえ・・・面白かったんだけど。
似たよーなタイトルの本がいっぱいあって・・・その中で比較的新しいのと思って読んでみたけど・・・無難に養老孟司とか読んどくべきだったかもしらん。
イヤ、本の内容はいいんだよね。それは問題ないんだけど、著者がっ・・・!著者のパーソナリティが・・・無理だった。
この手の研究書とかノンフィクションを読んでてぐりが生理的にうけつけないのは、やたら不必要に著者のパーソナリティが前面に出てくるのがすっごく気に障るんだよね。皆様そんなことありませんか。そーですか。
あー。でもねえー。いちいち「僕はこれこれこーゆー性格で」とか始まると、「おいおい、アタシは研究結果が知りたいだけでアンタの性格とか交友関係なんか1ミリもキョ―ミねーんだっつの」なんつう突っ込みをいれてしまいたくなるんでございますよ。
すみませんココロ狭くて。
まあそれはそれとして。
この本に書いてあることといえば、わざわざ研究しなくても世間一般でなんとなくこうじゃない?といわれてる仮説を、きちっとルールを設けて実験して、心理学的に実証した研究結果である。
だから、そういう部分だけはすごく読んでてハレバレとした気持ちになれる。たとえば記憶が捏造されるという研究の話。父方の祖父が脳梗塞で倒れたとき、ぐりは4歳だったのだが、大人になるまでそのときその場に自分もいたものと思いこんでいた。記憶の中で、その情景があまりに克明だったからだ。祖父母が当時住んでいたアパートの前に救急車が停車していて、近所の人たちが野次馬のようにあたりを取り囲んでいたこと、ストレッチャーに載せられた祖父の青ざめた顔や、かぶっていた古びた毛布の色合いなど、未だにどう考えてもこの目で見たとしか思えないほどの鮮明さである。
ところが、かなり後で聞いた話では、そのときぐりはそこにはいなかったという。そのころ祖父母が住んでいたのはぐりの家からクルマで2時間ほど離れた田舎だったので、盆暮れや正月以外には訪問することもほとんどなかったはずで、祖父が倒れたのはそのどちらの季節とも異なる。
つまり、ぐりは祖父が倒れた状況を誰かから聞いて、その場面を頭の中でヴィジュアル的につくりだして、それを本物の記憶だと思いこんでいたことになる。
そう思うとほんとに記憶ってこわいなと思う。だって、あとでつくった偽物の記憶と、本物の記憶、鮮明さやリアリティだけでいえば、どっちが本物でどっちが偽物かなんてわかんないもん。専門家がなんかどーにかこちょこちょっとやったら、そんなもの簡単にコントロールできちゃいそうです。
だから逆にいえば、こーゆー研究をもとに、取調べのルールとか、裁判での証人の扱いのルールを決めたら、間違った証言が誘導されるなんてミスを避けられていいんじゃない?なんて思いますが。
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前にどっかで書いたかもしれませんが。
ぐりのいちばん古い記憶は1歳10ヶ月のときのものである。場所は映画館で、ぐりは大人にまじって映画を観ている。
画面では、若い妻が太った夫を電気掃除機でいじめている。前後の状況はまったくわからないのだが、なぜかこの場面だけをくっきりと覚えている。妻が賠償美津子で、三波伸介が夫を演じていたのも覚えていた。たぶん、後からテレビか何かで本人を見て名前を覚えたんだろうと思う。映画のタイトルが『ダメおやじ』だったことも後でわかった。
インターネットで映画のデータが検索できるようになってから調べてみると、この映画の公開時期がぐりが1歳10ヶ月のときだった。ちょうど妹が生まれたころと重なっている。それで父に、「妹が生まれておかあさんが入院してたとき、私を連れて『ダメおやじ』を観に行かなかったか」と訊ねたところ、「その通りだ」と認めた。
掃除機のシーンを覚えていたのは、おそらくそれが、ぐりの家では決して見られない光景だったからではないだろうか。そのころのぐりの母は、夫=ぐり父をいじめたり攻撃したりなんてことは絶対にできない人だったからだ。
この本もねえ・・・面白かったんだけど。
似たよーなタイトルの本がいっぱいあって・・・その中で比較的新しいのと思って読んでみたけど・・・無難に養老孟司とか読んどくべきだったかもしらん。
イヤ、本の内容はいいんだよね。それは問題ないんだけど、著者がっ・・・!著者のパーソナリティが・・・無理だった。
この手の研究書とかノンフィクションを読んでてぐりが生理的にうけつけないのは、やたら不必要に著者のパーソナリティが前面に出てくるのがすっごく気に障るんだよね。皆様そんなことありませんか。そーですか。
あー。でもねえー。いちいち「僕はこれこれこーゆー性格で」とか始まると、「おいおい、アタシは研究結果が知りたいだけでアンタの性格とか交友関係なんか1ミリもキョ―ミねーんだっつの」なんつう突っ込みをいれてしまいたくなるんでございますよ。
すみませんココロ狭くて。
まあそれはそれとして。
この本に書いてあることといえば、わざわざ研究しなくても世間一般でなんとなくこうじゃない?といわれてる仮説を、きちっとルールを設けて実験して、心理学的に実証した研究結果である。
だから、そういう部分だけはすごく読んでてハレバレとした気持ちになれる。たとえば記憶が捏造されるという研究の話。父方の祖父が脳梗塞で倒れたとき、ぐりは4歳だったのだが、大人になるまでそのときその場に自分もいたものと思いこんでいた。記憶の中で、その情景があまりに克明だったからだ。祖父母が当時住んでいたアパートの前に救急車が停車していて、近所の人たちが野次馬のようにあたりを取り囲んでいたこと、ストレッチャーに載せられた祖父の青ざめた顔や、かぶっていた古びた毛布の色合いなど、未だにどう考えてもこの目で見たとしか思えないほどの鮮明さである。
ところが、かなり後で聞いた話では、そのときぐりはそこにはいなかったという。そのころ祖父母が住んでいたのはぐりの家からクルマで2時間ほど離れた田舎だったので、盆暮れや正月以外には訪問することもほとんどなかったはずで、祖父が倒れたのはそのどちらの季節とも異なる。
つまり、ぐりは祖父が倒れた状況を誰かから聞いて、その場面を頭の中でヴィジュアル的につくりだして、それを本物の記憶だと思いこんでいたことになる。
そう思うとほんとに記憶ってこわいなと思う。だって、あとでつくった偽物の記憶と、本物の記憶、鮮明さやリアリティだけでいえば、どっちが本物でどっちが偽物かなんてわかんないもん。専門家がなんかどーにかこちょこちょっとやったら、そんなもの簡単にコントロールできちゃいそうです。
だから逆にいえば、こーゆー研究をもとに、取調べのルールとか、裁判での証人の扱いのルールを決めたら、間違った証言が誘導されるなんてミスを避けられていいんじゃない?なんて思いますが。