落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

パリのタミル人

2016年05月08日 | movie
『ディーパンの闘い』

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スリランカ内戦で妻子を失ったディーパン(アントニーターサン・ジェスターサンティーハン)は難民キャンプで知りあったヤリニ(カレアスワリ・スリニバサン)と彼女が拾ったイラヤル(カラウタヤニ・ヴィナシタンビ)と家族を偽装してフランスに亡命。パリ郊外の集合住宅で管理人の職を得るが、そこは昼間から売人がたむろする荒廃した地域だった。
2015年カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。

現在進行形でヨーロッパを大混乱に陥れている難民危機。
国連難民高等弁務官事務所によれば、2015年1年だけで100万人を超える人々が中東・アフリカ・南アジアからヨーロッパに流入したという。
直接的なきっかけはシリア内戦によってシリア国民の約半数が家を失って難民と化したことや、ヨーロッパ各国の難民政策が緩和されたこともあるが、もともとヨーロッパでは難民・移民は常に抱えている社会問題でもあった。それが昨今の政治状況によって急激に拡大されたわけだが、数が増えれば増えるだけ、どうしても当事者以外にとって“難民”とは“着の身着のままで命からがら逃げてきた貧しい無辜の民”という一般化したイメージの殻に閉じ込められてしまい、直接彼ら自身の顔を見て声を聞く機会というのはなかなかない。
たとえば、うちの近所にもこのごろスリランカ系の住人が少しずつ増えているが(インドネシア系は爆発的に増えている)、彼らが移民なのか難民なのか、どういった経緯で東京に来てどんな風に暮しているのかはまったくわからない。朝晩の通勤や休日に出歩けば必ず何人か顔をあわせるけど、ほんとうにそれだけだから。異文化という仮面の向こうの人々。

物語はディーパンとヤリニとイラヤルがフランスに渡り、ときに反発しあい、ときに寄る辺ない心細さを慰めあいながら、不器用に家族となっていく様子を描いている。
そう説明してしまうとどうしてもハートウォーミングな感動物語をつい期待しそうになるのだが、実際の映画はまったくその逆である。
まずディーパンたちが管理人として住む集合住宅の治安が見るからに悪すぎる。平和を求めて故国を出てきたはずなのに、周辺にも建物内にもそこらじゅうに怪しげな男たちがうじゃうじゃいて、昼夜問わず暴力事件が多発している(劇中で「ル・プレ」と呼ばれた地区が実際どこなのかは不明)。フランス語がわからないヤリニにとって、外に出て働くこともなかなか容易ではない。一方あっという間にフランス語を覚え小学校の移民クラスに編入したイラヤルは、なぜかうまく友だちがつくれず孤立している。
家族を偽装している3人だがもともとは赤の他人の共犯者で、ひとつ屋根の下に暮していても互いの距離感も計れない。ただ母国語でほんとうの気持ちを正直に話しあえる人間が他にいないという一点だけで3人は繋がっている。フランスに住みたくて来たわけではないために、どの程度地域に馴染めばいいのかもわからないでいるいたたまれなさは、どうしてかなんとなくわかる気がした。

観ていてふと祖父母のことを思いだした。
祖父母は1920年代に日本統治下の朝鮮半島から日本に移住している。まったく日本語を解さず、貧困の中で大変な苦労をした。その間に戦争もあった。帰るべき故郷は失われてしまった。それでも最後まで日本人としての人生を選ぶことなく、日本の土に還っていった。
来たくて来たわけではない。故国から逃げたくて逃げたわけではない。でもそれ以外の選択肢はなかった。それが人が故郷を捨てる唯一無二の理由であって、それ以上でも以下でもない。そこで手のうちにあるのは己の命ただひとつしかない。これ以上心細い話はない。単純な理屈だが、人は自分がそういう状況になってみなければそんなことを想像することすらもできない。
ディーパンは目の前にいる“家族”を命の限りまもろうとする。それだけが、故郷ですべてを失った彼がまもれる、彼自身の手のうちにある唯一の“自分のもの”、自分を自分たりえる拠りどころだからだ。
そのしがみつき方がまたハンパじゃない。いくら映画だからってちょっとスゴイです。予備知識なしに観に行ったので正直劇場の椅子から落ちそうなくらいビックリしたけど、祖父母の長い長いサバイバル人生をぎゅっと凝縮したら、もしかしたらこんなものかもしれないとも思えた。

主演のアントニーターサン・ジェスターサンティーハンはほんとうにタミル人で役柄同様、実際に「解放の虎」で少年兵として戦った経験のある当事者だそうですが、無口で無表情で感情の読めない演技に迫力があって、この映画はまさにこの人ありきの作品だなという存在感でした。
カンヌでは満場一致でパルムドールに選ばれたというけど、おそらくはこれからこうした題材の映画は増えていくんだろうなとも思う。ディーパンの話はディーパンの話であって、移民・難民にはそれぞれ人数分のドラマがある。うちの祖父母の人生にドラマがあったように。
そうした相互理解の先に、この問題のほんとうに解決策が見えてくることを祈る。心から。

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