落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

大陸映画はツカミとシメ

2005年07月13日 | movie
『こころの湯』
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ボロ泣きしました。もうね、号泣です。すいません。うえーん。
ぐりはこの張揚(チャン・ヤン)監督の作品を観るのは初めてなんだけど、これから観れるのは全部観たいです。ってもまだ若くて今は日本じゃ『スパイシー・ラブスープ』しか観れないけど。
なんで今まで観なかったんだろ?たぶんアレですね、日本で上映される大陸作品て大体が過剰に「感動作!!」みたいなプロモをされちゃうじゃないですか。それがなんかイヤなんだよね。涙の押し売りみたいで。
しかし今作は押し売りどころか。ほんとにいい映画だった。

舞台は北京。再開発が予定されているある胡同(旧市街の下町)の、誰にとってもほのぼのと懐かしい町並みの一角にある銭湯「清水池」の主人劉さん(朱旭チュウ・シュイ)のもとに、深圳で働く長男大明(濮存昕プー・ツンシン)が里帰りすることから物語が始まる。
この濮存昕がすらっとしててかっこいい。そしてなんだかいつもちょっと困った顔をしている。妻を亡くし知的障害者の次男二明(姜武ジャン・ウー)を抱えてひとり風呂屋をきりもりする年老いた父を捨て、都会で結婚までしてめったに戻って来ない勝手な男なんだけど、彼は彼なりに家族を愛してもいる。愛する家族の傍にいない罪悪感から、弟がなにげなく出した絵葉書一枚に慌ててとんで帰って来る。でもどうやってその愛情を表現したらいいのか分からない、そんな微妙な気分を、すごく自然に表現してました。上手いよー。現在52歳(見えねー!!!)。他の出演作もチェックせねば。とりあえず『青い凧』と『乳泉村の子』を観るべし。朱旭の『心の香り』『變瞼 この櫂に手をそえて』も観なきゃー。

清水池の毎日はとても平和だ。それは毎日毎日同じことのくりかえし。お客だって常連ばかりだし、その常連もほとんどが年寄りだ。彼らは毎日風呂屋に集まってはコオロギ遊びをしたり歌を歌ったり将棋をしたり、勝手気侭に過ごす。
そんな生活はそれこそ「全自動シャワー・ステーション」なんてものを夢想する現代北京人にとっては、非効率的で退屈極まりないだけの前時代の遺物に過ぎないかもしれない。だがそのスローライフのなんとハッピーなことか。華やかなことも新鮮なことも刺激的なこともないけど、毎日清潔なお風呂に入れて毎日馴染みの人たちと会える、なんでもない穏やかな生活こそ「平和」なのだ。その平和の尊さ、あたたかさが、画面にみちあふれている。

おとうさんは風呂屋の仕事に誇りをもっているし、商売を心から愛している。老い先短くなんとなく心細くは思っているが、態度には出さない。そんなおとうさんの気持ちは、近いうちに取り壊されてしまう胡同に少し似ている。風呂屋は閉めなきゃいけないし、お得意さんだってばらばらに引越していってしまう。自分だっていつまでも二明と一緒にいてやれないことが分かっていても、だからといって大明に甘えるのは父親のプライドが許さないし、自立して幸せにやっている息子に申し訳ない。二明もかわいいけど、おとうさんにとっては大明だって同じようにかわいい息子だ。
そのうちそのときが来たら考えるさ、と気楽に構えていたけれど、「そのとき」はあまりにも突然あっさりと清水池にやってきてしまう。このあたり両親と離れて暮す人間にとってはかなり身につまされる。
いきなり決断を迫られた大明が涙を浮かべながら妻と電話で話すシーンがせつない。彼も父と同じように、そのうち考えなくては、どうにかしなくてはと思ってはいたのだ。彼の後悔が胸に迫ってくる。彼の涙は寂寞の悲しみだけではなく、これまで無為に先送りにして来たもろもろに対する自責の涙なのだ。

おとうさんと二明のシーンは微笑ましい。二明はおとうさんが大好きだし、おとうさんは二明を小さな子どものように可愛がっている。年齢的には成年だしからだだって大きいけど、親にとっては子どもはいつまでも子どもだ。
ふたりのシーンが楽しげなだけに、休業した風呂屋でひとりで開店準備をする二明の姿がより淋しげに見える。最後の彼の熱唱が泣ける。音楽も含めてオープニングと対照的かつ対称的な、素晴しいラストシーンです。
この二明役の姜武って姜文の弟なのね。知らなかったよ。云われてみればそっくりだ(笑)。彼は『活きる』にも出てます。
コオロギ遊びに熱中するおじいさんたちや「オー・ソレ・ミオ」の青年、いつも夫婦喧嘩ばかりしているおじさんやホラばかりふいてちゃんと働かない幼友だちなど、風呂屋に集うひとびとのエピソードもそれぞれ魅力的に描かれてました。男女含めて若い人が見事にさっぱり出て来なくて、画面的にはすんごい地味なんだけど、そんなのお話が面白ければ必要ないんだよね。たぶん意識してそういうキャラクターを排除したんだろうと思うんだけど。
狭い下町の話だけど、亡くなったおかあさんの故郷陝西省やチベットでの入浴習慣のシーンがあって、さりげなく物語にひろがりを加えてます。この辺境のシーンにだけ登場する台詞のない美少女がキャスティングの上でも大きなアクセントになっている。

再開発のことはみんな残念だとは思っているが、仕方のないことだと分かっている、感傷的に惜しむばかりではどうしようもない、けどぼろくて不便な古いものにだってそれなりにいいとこはあったじゃない?あの町のこと、みんな好きだったでしょ?と云うやさしいメッセージが、淡々と静かに語りかけて来る、そんな映画でした。
とりあえずぐりはもーれつに銭湯行きたくなったよ。おふろー。
あと映像がすごく綺麗でビックリ。同時代(1999年)の他の中華電影(香港映画含む)と比較しても画質が全然違う。コレ仕上げを中国以外の、たぶんアメリカ?(プロデューサーがアメリカ人)でやったのかもしれない。撮影は『東宮西宮』『藍宇』で日本でもお馴染みの張健(チャン・ジェン)。
ところでコレって楊絳(ヤン・ジアン)の小説『洗澡』とは関係ないのかな?日本語訳が出てるみたいだけど。誰か知ってる人いたらおせーて。

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