落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

笑って泣ける民主主義劇場

2021年12月25日 | movie

「香川1区」



2020年6月に単館で公開され、口コミで全国83館まで拡大、半年ものロングランヒットになり第94回キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門第1位、第30回日本映画プロフェッショナル大賞特別賞など各方面で高評価を博した「なぜ君は総理大臣になれないのか」の続編。
東大法学部を卒業し官僚になり、32歳でその地位を捨てて「地盤・看板・カバン」(後援組織・知名度・資金力)なしで、ただ「社会を良くしたい」という使命感だけで政治家を志した衆議院議員・小川淳也氏の選挙区での第49回衆議院議員選挙を取材したドキュメンタリー。

日本で広く浸透している「政治と宗教と野球の話はするな」というタブー。
職業柄もあり私の周囲には政治の話をカジュアルにできる人は珍しくないが(宗教と野球はそもそも興味がない人が多い)、つくづく日本は「議論」と「喧嘩」の区別がつかない感覚が根強い国だなと思う。誰もが「言いあい」をとにかく怖がる。そこに論理はない。根拠のない忌避感しかない。

旅行中などで他国の人と世間話をしていて、政治の話になることはままある。
「こないだ日本の首相が×××××っていってたって聞いたけど、それほんと?」「税金上がったんでしょ?」「首相にあんなにひどい醜聞がもちあがってるのに、どうして日本人は本気で怒らないの?うちの国なら確実に暴動になるよ(これはほんとうによくいわれる)」などなど。
どこの国でもみんな日本の政治状況にわりと詳しい。意外なくらい知られてるなと思うことがしばしばある。かなり恥ずかしいことも含め。

ただ実のところ、私が海外の人と政治的な話をする機会はこれまで主に欧米圏でしかなかったので(あと香港)、「政治・宗教・野球」という不文律が日本独自のものだと決めつけるつもりは毛頭ない。
たとえばアイルランドでは「アイルランド人にイギリスと宗教の話は絶対にしてはいけない」と友人にかたく忠告された。形は違えどどこの国にも何らかのタブーはあるだろう。
とはいえ日本人相手に民主主義や政治や歴史の話をし始めると露骨に「そういう話は楽しくない」という態度になる人は多い。良いとか悪いとかの問題ではなく、単純にそういうお国柄だといってしまえばそれまでだ。
逆に外国人に「政治の話は難しいけど、あなたの周りのみんなは政治に興味があるの?普段からそういう話をするの?」と訊ねたら「難しくたって話すのが当然。だって私たちの民主主義なんだから」とあっさりいわれたこともある。

これである。
私たちの民主主義。

民主主義も基本的人権も平和も、雨が降って風が吹いて太陽が照るように、あって当たり前のものではない。
どれもこれもみんな、先人たちが長い歴史の中で血と汗と涙を流し、苦しみ踠きながら築いてきたものだ。それを享受しつつ次世代に引き継ぐのは、いまを生きている私たち自身に課せられた使命だと私は思っている。個人的に。

昔、某NGO関連の企業で働いていたとき、採用の際に面接した人に「なぜ何の経験もない私を採用したのか」と訊ねたら、「あなたは『過去の人々が勝ちとり、まもってきた人権を次世代に引き継ぐのは私たち自身の使命』といった。いままでそういう人に会ったことがなかった。会ったことがないタイプの人は基本的に採用している」と答えてくれた。

私自身もこのときの発言はよく覚えている。
あなたはなぜ人権問題にとりくみたいのかと問われて、考えるまでもなく素直に思った通りのことをいったまでだ。
でも彼は「いままでそういう人に会ったことがなかった」といった。これには自分でも予想しなかったぐらい寂しくなった。
孤独を感じた。
そういう人はいないのか。そうなんだ。

日本の民主主義と基本的人権と平和はいま、存亡の危機にある。
そう感じ、自らできることをと必死に駆けずりまわっている人を、私は数えきれないくらい知っている。私自身もできる範囲のことはしようと努めている。
けれど圧倒的多数の人々は「誰かがそのうち何とかしてくれる」「どうせ何をしても無駄」「政治の腐敗なんてよくあること」「世の中そんなもんでしょ」的に他人事を決めこんでいる気がする。
私は、右翼がいても排外主義者がいてもファシストがいても、それはそれで構わないと思っている。心の自由は誰にも蔑ろにされるべきではない。それが人権であり民主主義だから。
だが彼らのすることをみんなが無批判に見過ごす世の中は怖いと思う。真剣に恐怖を感じている。
無関心が取り返しのつかない社会の崩壊を招くことは、これまでに世界中で繰り返されてきた歴史が証明しているからだ。

小川氏の「社会を良くしたい」という使命感は18年間1ミリたりとも揺らぐことがない。
フェアであること、誠実であること、正直であることは彼のポリシーだし、おそらく彼自身それ以外の生き方を知らないのではないかと思う。
そういう点では、純粋に共感できる人物だと思う。「こんな人が国会にいるなんて」と嬉しくなる人だってたくさんいるに決まっている。
じゃあ10月の選挙で勝てた要因が全部、彼の特異なパーソナリティーと政策方針だけだとは私は思わない。国会での彼の活躍が世間の耳目を集め、「なぜ君」の大ヒットが彼の知名度を全国区にしたことも勝因のひとつだし、支援者たちの真摯な努力も大きく貢献しただろう。言い換えれば、いまの小川人気は一種の“水もの”ともいえる。次の選挙が4年後なのかいつなのかわからないけれど、現状がそれまで保つかどうかなんて誰にもわからない。
加えて、彼は18年という短くはないキャリアと誰にも負けない政策・法律についての知識のわりに、世間というものをあまりにも知らな過ぎる。

映画の序盤にも出てくるが、同じ選挙区で日本維新の会から立候補を表明した町川順子氏への取り下げ要請がいい例だ。
当選経験も知名度もない町川氏が、小川氏の当選を阻むほどの票を得られる可能性などほとんどないことぐらい誰の目にも明らかだ。そこで慌てて直接的な行動に出てしまえば、四国のメディア王一族の自民党候補・平井卓也氏の陣営に都合のいいエサを与えることになる程度なら誰にでもすぐわかる。
世間とはそういうものだ。まして前回の選挙で2,000票差にまで迫った小川候補に決して負けるわけにいかない平井氏側は、形振り構う余裕がない。警戒感も半端ない。使えるものなら何でも使うだろう。

映画は小川氏だけでなく平井氏・町川氏側の選挙戦もきちんと取材し、タイトル通り香川1区という激戦区の4ヶ月間をあくまでフラットに淡々と描いている。
だから小川さん本人が画面に出てくるシーンはさほど多くない。小川さんファンはちょっと残念に思うかもしれない。
そのぶん、自民長期政権がどれほどやりたい放題にスキャンダルにまみれ国民の怒りと反感を買ってもなお、選挙でどうしてこんなに強いのか、彼らの“選挙必勝の流儀”をもしっかりとストレートに伝えている。都市生活者には理解できない地方の自民の必勝システムの前に野党候補がなぜ歯が立たないのか、ものすごく納得できた。

といっても納得なんかしてる場合ではない。
10月に行われた衆院選の結果を分析したある報道では「結局は地元で頑張ってる候補者が強い」と評されていた。地方自治体の議会議員、首長は自民党の党員が圧倒的に多い。長々と世代をこえて日々有権者の生活に密着した仕事をしているローカルな政治家の推薦と応援に同調するのは気楽なものだ。何かといえば離合集散をくりかえしている野党には残念ながらそういう基盤は得られない(共産党は例外として)。“選挙の筋力”で最初から大きな差がついてしまっている。
そのうえ自民党候補者はもはや公職選挙法も政治資金規正法も恐れない。検察がまったく機能していないからだ。映画にも平井氏の真っ黒な疑惑がばっちり出てくる。映画が評判を集め始めたら検察や週刊誌がどう反応するのか楽しみです。

ドキュメンタリーだけどエンターテインメントとしてちゃんとおもしろいのは、小川氏の支援者チームが天真爛漫と楽しそうで幸せそうな空気で満ち溢れているのに対して、平井陣営の足掻き方が日を追うごとにあからさまに醜くあざとくなっていくその変化が驚くほど極端だからだ。若い人や女性が多く、明るく平和そうな小川氏側と、どこへ行ってもダークスーツのいかついおっさんだらけでやけに排他的な平井氏側の対比は、ビジュアル的にもため息が出るほど対照的である。
思いっきり笑える場面もいっぱいあるし、献身的に選挙運動を支えるご家族の必死な姿は何度観ても涙がでる。立派なご両親だし、素敵なパートナーだし、健気なお嬢さんたちだと思う。なんだかんだいっても、小川さんはそんなあたたかいご家族に信頼され、深く愛されている。

それにしても、プロデューサーの前田さんが平井氏の支持者に繰り返し凄まれるシーンは怖かった。当の本人は自身のしていることが平井氏にとってどれほど悪影響になるかなど、まるで意識していないのだろう。
けどあのシーンは実質的にこの映画のハイライトのひとつになってしまった。顔にモザイクはかけてあるけど、映画を観て臍を噛む関係者は間違いなくいるだろう。小川氏側は秘書自ら堂々と「ネガキャンはしない」と断言するぐらい、選挙期間中の他候補の挙動にはいっさい構おうとしていない。ネガティブキャンペーンなど小川氏自身がいちばんやりたくないことのひとつだろう。
公開前に誰かが「あの映画はプロデューサーが凄い」といってたのを耳にしたけど、問題の場面にも怯まなかった毅然とした取材姿勢だけでなく、投開票日から2ヶ月を置かずに公開しようという過酷なスケジュールを、このクオリティで乗りきった彼女の手腕は必ず高く評価されるだろう。ご本人が激推ししてた劇場用パンフレットも必読の出来栄えです。

斯くして小川淳也氏は四国のメディアを牛耳り三世代にわたって議席を死守してきた平井氏に2万票の差をつけて勝利する。
得票率は小川氏が51%、平井氏が40%、町川氏が9%弱。
18年前から変わらず「民主主義とは、勝った51が負けた49をいかに背負えるか」と公言してきた小川氏の信条そのままの結果になった。
こんな劇的な選挙がいま、どこで楽しめるだろう。
いや、むしろどこの選挙区でもこれぐらい盛り上がりたいし、盛り上がるべきだと思う。それこそが民主主義の醍醐味ではないだろうか。

私自身は小川氏のSNSアカウントをフォローしメルマガもとっているが、小川氏も立憲民主党も全面的に支持しているわけではない。地元の区議も含め他の議員や政党のアカウントもフォローし定期的に最新情報を受けとっている。特定の支持政党はない。
だが退行し萎縮していくいまの日本社会をひっくり返せる人がもしどこかに実在するとしたら、他のどの政治家よりも「市民の代表」として支持される資質を備えた小川氏がそうなり得るかもしれないという期待なら、ほんの少し抱いている。
政権交代を果たせなかった立憲民主党では代表が交代し、小川さんは政務調査会長という要職に就いた。何もかもこれまで通りの小川流では済まされないことは目に見えている。それでも彼が折れず、変わらずにいられるかがこれからの“見どころ”だろう。

なので、小川さんには今後、「持続可能」ってほんとはどういうことなのか、「平等」ってほんとはどういうことなのか、もっと深掘りしてほしいなと思ってます。
そこ、小川さんてちょっと“昭和”だからね。
同世代として、いまこの機会にこそ、なるべく早く、意識をよりグローバル・スタンダードにアップデートしてほしいです。


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