落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

沖の不知火

2009年05月17日 | book
『サンダカンの墓』 山崎朋子著
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先日レビューした『サンダカン八番娼館―底辺女性史序章』の続編。
長崎県島原地方に暮す元からゆきさんを取材して回想をまとめた『八番娼館』の刊行後、故国日本の土を踏むことなく現地で亡くなったからゆきさんの墓を探し、日本人娼館の跡地や存命のからゆきさんを訪ねた旅行記「サンダカンの墓」と、からゆきさん取材にまつわるエピソードを記したコラム集「サンダカン拾遺」を収録。

だーっ(溜息)。疲れた。重かった。
元からゆきさんの自宅に居候をして体験談を聞き書きした『八番娼館』はあくまで日本側の、騙されて売りとばされ醜悪な仕事を強制された“被害者”である女性の視点から書かれた本だったのに対して、この本は続編であると同時に、まったく別の視点から同じ「からゆきさん問題」を捉えている。
『八番娼館』では東南アジアで売春をした女性たちの個人的経験と、その背景となった当時の人身売買システムが主な題材になっているが、『墓』では、実際に訪問した現地側からの視点で、日本からやってきた“侵略者”の一部としてからゆきさんは結論づけられている。
要するに、かなり単純化された図式にはめこまれて読みやすくまとめられていた『八番娼館』の続編でありつつ、『墓』はそれとは比べ物にならないくらい複雑で広い視野を要求する本になっている。
そりゃもう読んでて疲れるわさ。

読んでて疲れる要因のひとつには、独特の文体もあるかもしれない。
ぐりはこの時代(1970年代)に書かれたノンフィクションを読みつけないので、これがフツーなのかどーなのかよくわからないんだけど、とりあえずいちいち大時代とゆーか、大袈裟とゆーか、感情過多なんだよね。古い本だからしょーがないのかもしんないけど、今からみると「それはどーか?」な表現もわりとめだつし。なんでもかんでも一般論化されるのはやっぱねえ?なんか違う?って感じがどーしてもしてしまうです。
それでも『八番娼館』はおサキさんを含め取材に応じた人々の言葉をまとめた聞き書き形式になってたから読みやすかったけど、『墓』は全文著者個人の主観で書かれてるから、読んでて肩がこってこってしょーがなかったっす。

コラム集は分量的にも軽めで読みやすかったし、おもしろかったです。
内容は『八番娼館』のその後・舞台裏、いってみればメイキングみたいな感じで、『八番娼館』を読んだ人なら誰でも知りたかったようなことがさらっとまとめてある。
資料としてはべつにどーっちゅーこともないんだけどね。

今も世界中に被害者がいる人身売買の歴史。
現代日本に住んでいるとどうしても他人事のように思えてしまうけど、かつては日本人にも、人とは思えないほどひどい仕打ちを受けて遠い異国の地にさらわれていった女性たちがいて、その背後には日本のアジア侵略の歴史も深く関わっていた、そういう入り口からこの問題を知るという意味では、うってつけの本ではあるかもしれない。
現在刊行されている『サンダカン八番娼館』には『墓』もいっしょに収録されてるみたいなので、まとめて読むのが正しいかと。

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