こないだゴールデンウィークのことをちょこっと書きましたがー。その続き。
福島県に行ったのは両親と、旅行会社のパックツアーだったんですが。
ぐりは実はパックツアーとゆーのがとーても苦手で、自分ではまず行かないです。知らない人苦手だし(せっかく休暇で旅行してるのに無駄に気を遣いたくないといゆードケチ根性)、お土産屋さんばっかし連れまわされるのがウザイし(旅先でお土産ってまず買わない。興味ない。どうでもいい)、だいたいツアーって食事がおいしくなかったりするし(旅行=食事のいやしんぼうですいません)。
でも両親はちょくちょくパックで旅行してて、今回はたまたま事情があって同行することになった。
ものすごくひさしぶりにパックで旅行したんだけど、まーこれはこれでラクですわね。自分で調べたり探したりしなくていいとゆー。現地ではずーっとバスだから、道に迷うとかガス欠になるとかそーゆー心配もいらないし。
けどかんじんの宿+食事はねー。やっぱし・・・ううう。初日はヒドかったっすー。宿自体もそうとうしょっぱかったけど、あの食事はいくらなんでもヤバい。その昔、日本料理屋でバイトしてたぐりの目から見てもヤバすぎる。キケンキケン。
それと名所旧跡でそこのお土産屋の人がガイドしてくれるのもなんだかねえ。バスガイドさんや添乗員さんはラクできていいんだろうけどー。名所案内と土産もののセールストークがごっちゃになって、かつセールストークがメインになってたりするとハラたつよ。ウチらここまでなんしに来たん?みたいな。あとミョーな上から目線が気になり。「この名所は自分たちのもの」+「あんたらどーせパックツアー」的な。やかましわ。そんなガイドの店で誰がナニ買うっつーの。
お土産屋さんトークとゆーと、飯盛山もそーだった。ふもとのお土産屋さんの女の子(歴女?)がガイドしてくれたんだけど。
飯盛山といえば白虎隊。白虎隊はもともと会津藩士の師弟の教育機関・日新館の学生を、戊辰戦争時に年齢別に編成した予備隊のひとつで総勢300人以上。飯盛山で自決したことで有名な20人はそのうちの士中二番隊のそのまた一部である。年長の隊長とはぐれ、実戦経験もないのに最新の武器を備えた敵に追い回され、仲間の死を目撃し、怪我はする、雨は降る、おなかはすく、そのうえ帰るべき鶴ヶ城は燃えてるよーっ(←完璧な勘違い)てな展開で早まって集団自決してしまった、不運な子どもたち。とゆーのがぐりの解釈です。えーとぐりも十代のころはお約束通り、幕末史にハマってたことがありますのでー。ひととおりは知ってます。ハイ。
今では小説やTVや映画の題材になって、老いも若きも大好きな幕末史だけど、白虎隊もふくめ幕府軍側は明治維新後長く沈黙と忍耐を強いられてきた。「勝てば官軍」というように、負けた幕府軍側の生残りや遺族や関係者は、「朝敵」「逆賊」の汚名を着て、ひっそりと息をひそめて暮さなくてはならなかった。
それが講談や芝居で人気を得始めたのは、日本が軍国主義に染まり始めた昭和初期。理由はあえて述べるまでもない。当の生残りや直接の遺族はどう感じていただろう。何を今さら、という気持ちだったんじゃないかと思う。
それを感情たっぷりお涙頂戴調子でとくとくと語られてもね。ちょっと聞いてらんないっす。根性曲がっててごめんなさいましよ。
大体さあ、会津藩て明治以降に国替えになって士族は斗南(青森県)へ全員引越したはず。だから今の福島の人はあんまし関係なくね?ってのも偏見なんだけどねえー。
これも有名な話だけど、会津戦争で戦闘があったのは今の暦で6〜11月。ところが戦争終結後も会津藩の戦死者は埋葬が許されず、約半年間も風雨に曝されて放置された(理由は諸説ある)。白虎隊の死んだ子どもたちも同様だった。腐乱した遺体は身許の判別などつくはずもなく、数十人単位でまとめてひとつの穴に埋められた。そういう塚が、飯盛山だけでなく市内各所に残っている。
その情景を想像すれば、戦争をネタに涙の感動話をすることそのものが不謹慎な気がしてしょうがないです。だって大義がどーとか忠義がどーとか、結局殺しあいじゃないですかあー。
奈良・東大寺のシカ。別名クレクレ(勝手に命名)。
観光客が歩いてると、「ぶー」とか「ぷー」とか「びー」とかちっちゃく鼻を鳴らしながら寄ってくる。「せんべいくれよ」攻撃。鼻を鳴らさないやつは首を縦にふりふりする。昔来たときはこんな芸はなかった気がする。クマ牧場のクマ並みに進化してるのか?シカよ。
中にはせんべい売りのブースにぴたっと張りついて、観光客がお会計を済ませるとすかさず「クレクレ」攻撃をかけるのもいる。ブースには直接ちょっかいは出さない。出すとしてもせんべいではなく売り子さんに「ねえ〜ん、ちょうだいよお〜」みたいな感じですりすりしてたり。学習しとるやん。数も増えたよーな。前からこんなうじゃうじゃいたっけ。
近鉄奈良駅の近所で車道を全速力で走ってるやつもいたけど、実際年間何回かは衝突事故も起きてるらしーです。シカもかわいそうだけど、ぶつかったらクルマもドライバーも危ない。気ぃつけなさいよー。
画像の後ろに修学旅行生が写ってますが。今でも来るのね。奈良。すんげえいっぱいいたよー。旅行会社のガイドさんが、境内にもクルマの通行があるので「もし万一ね、はねられたりしたらー、すごい痛いですからー」なんて女子高生に注意してたのにはわろた。「危ないから」「大変なことになるから」みたいな抽象表現じゃなくて、「すごい痛い」ってのがわかりやすくていいね。
福島県に行ったのは両親と、旅行会社のパックツアーだったんですが。
ぐりは実はパックツアーとゆーのがとーても苦手で、自分ではまず行かないです。知らない人苦手だし(せっかく休暇で旅行してるのに無駄に気を遣いたくないといゆードケチ根性)、お土産屋さんばっかし連れまわされるのがウザイし(旅先でお土産ってまず買わない。興味ない。どうでもいい)、だいたいツアーって食事がおいしくなかったりするし(旅行=食事のいやしんぼうですいません)。
でも両親はちょくちょくパックで旅行してて、今回はたまたま事情があって同行することになった。
ものすごくひさしぶりにパックで旅行したんだけど、まーこれはこれでラクですわね。自分で調べたり探したりしなくていいとゆー。現地ではずーっとバスだから、道に迷うとかガス欠になるとかそーゆー心配もいらないし。
けどかんじんの宿+食事はねー。やっぱし・・・ううう。初日はヒドかったっすー。宿自体もそうとうしょっぱかったけど、あの食事はいくらなんでもヤバい。その昔、日本料理屋でバイトしてたぐりの目から見てもヤバすぎる。キケンキケン。
それと名所旧跡でそこのお土産屋の人がガイドしてくれるのもなんだかねえ。バスガイドさんや添乗員さんはラクできていいんだろうけどー。名所案内と土産もののセールストークがごっちゃになって、かつセールストークがメインになってたりするとハラたつよ。ウチらここまでなんしに来たん?みたいな。あとミョーな上から目線が気になり。「この名所は自分たちのもの」+「あんたらどーせパックツアー」的な。やかましわ。そんなガイドの店で誰がナニ買うっつーの。
お土産屋さんトークとゆーと、飯盛山もそーだった。ふもとのお土産屋さんの女の子(歴女?)がガイドしてくれたんだけど。
飯盛山といえば白虎隊。白虎隊はもともと会津藩士の師弟の教育機関・日新館の学生を、戊辰戦争時に年齢別に編成した予備隊のひとつで総勢300人以上。飯盛山で自決したことで有名な20人はそのうちの士中二番隊のそのまた一部である。年長の隊長とはぐれ、実戦経験もないのに最新の武器を備えた敵に追い回され、仲間の死を目撃し、怪我はする、雨は降る、おなかはすく、そのうえ帰るべき鶴ヶ城は燃えてるよーっ(←完璧な勘違い)てな展開で早まって集団自決してしまった、不運な子どもたち。とゆーのがぐりの解釈です。えーとぐりも十代のころはお約束通り、幕末史にハマってたことがありますのでー。ひととおりは知ってます。ハイ。
今では小説やTVや映画の題材になって、老いも若きも大好きな幕末史だけど、白虎隊もふくめ幕府軍側は明治維新後長く沈黙と忍耐を強いられてきた。「勝てば官軍」というように、負けた幕府軍側の生残りや遺族や関係者は、「朝敵」「逆賊」の汚名を着て、ひっそりと息をひそめて暮さなくてはならなかった。
それが講談や芝居で人気を得始めたのは、日本が軍国主義に染まり始めた昭和初期。理由はあえて述べるまでもない。当の生残りや直接の遺族はどう感じていただろう。何を今さら、という気持ちだったんじゃないかと思う。
それを感情たっぷりお涙頂戴調子でとくとくと語られてもね。ちょっと聞いてらんないっす。根性曲がっててごめんなさいましよ。
大体さあ、会津藩て明治以降に国替えになって士族は斗南(青森県)へ全員引越したはず。だから今の福島の人はあんまし関係なくね?ってのも偏見なんだけどねえー。
これも有名な話だけど、会津戦争で戦闘があったのは今の暦で6〜11月。ところが戦争終結後も会津藩の戦死者は埋葬が許されず、約半年間も風雨に曝されて放置された(理由は諸説ある)。白虎隊の死んだ子どもたちも同様だった。腐乱した遺体は身許の判別などつくはずもなく、数十人単位でまとめてひとつの穴に埋められた。そういう塚が、飯盛山だけでなく市内各所に残っている。
その情景を想像すれば、戦争をネタに涙の感動話をすることそのものが不謹慎な気がしてしょうがないです。だって大義がどーとか忠義がどーとか、結局殺しあいじゃないですかあー。
奈良・東大寺のシカ。別名クレクレ(勝手に命名)。
観光客が歩いてると、「ぶー」とか「ぷー」とか「びー」とかちっちゃく鼻を鳴らしながら寄ってくる。「せんべいくれよ」攻撃。鼻を鳴らさないやつは首を縦にふりふりする。昔来たときはこんな芸はなかった気がする。クマ牧場のクマ並みに進化してるのか?シカよ。
中にはせんべい売りのブースにぴたっと張りついて、観光客がお会計を済ませるとすかさず「クレクレ」攻撃をかけるのもいる。ブースには直接ちょっかいは出さない。出すとしてもせんべいではなく売り子さんに「ねえ〜ん、ちょうだいよお〜」みたいな感じですりすりしてたり。学習しとるやん。数も増えたよーな。前からこんなうじゃうじゃいたっけ。
近鉄奈良駅の近所で車道を全速力で走ってるやつもいたけど、実際年間何回かは衝突事故も起きてるらしーです。シカもかわいそうだけど、ぶつかったらクルマもドライバーも危ない。気ぃつけなさいよー。
画像の後ろに修学旅行生が写ってますが。今でも来るのね。奈良。すんげえいっぱいいたよー。旅行会社のガイドさんが、境内にもクルマの通行があるので「もし万一ね、はねられたりしたらー、すごい痛いですからー」なんて女子高生に注意してたのにはわろた。「危ないから」「大変なことになるから」みたいな抽象表現じゃなくて、「すごい痛い」ってのがわかりやすくていいね。
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