『それでもボクはやってない』
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ここでひとつ世間様に謝っておかなくてはならないことがある。
ぐりはこれまでの三十ン年間の人生で、20回以上性犯罪の被害に遭っている。知らない男に性器をみせられた、触らされた、卑猥な言葉で嫌がらせをされた、身体を触られた、などといういわゆる痴漢やセクハラ行為もあれば、やはりまったく知らない男に家に押しかけてこられたり毎日のようにしつこく電話をかけてこられたりといったストーカー行為もあった。
だが、そのうちで警察に相談をしたのはたったの1件しかない。
なぜなら、多くのケースでは被害に遭った時点でぐりにはその後の予定があり、加害者をつかまえて交番にいって調書をとってもらって被害届を出す、という時間的余裕がなかったからだ。被害に遭い始めたのは小学生のころからだが、小さいうちは警察に届けるということなどは思いつきもしなかった。
その代り、ぐりは痴漢行為などに遭ったとき、必ず面と向かって拒否し、抗議した。痴漢の場合、まず相手の手を払い除け、「やめてよ」という。「やめてください」ではない。「やめてよ」である。大抵は払い除けられただけで、あるいはひとこと拒否しただけで相手は引き下がる。それでやめない場合はさらにはっきりと抗議する。「ざけんじゃねえ」「なにすんだよ」でもなんでもいい、大声を出す。突き飛ばす。足を踏んづける。ここで重要なのは、周りの迷惑を考えず、とにかく「自分はイヤなことを強要されている。黙って泣き寝入りなんかしないぞ」という姿勢を即座に明確にすることである。もし万が一勘違いだったとしたら謝れば済む。ぐりは勘違いだった経験は一度もないけど。
性犯罪、痴漢行為がなくならないのは、男に「女はされてイヤなことを実はされたがっている」という幻想があるからだが(偏見かもしれないがこれがぐりの経験則である)、痴漢ぐらいでは警察に届け出ないだろうとたかをくくってる部分も多少はあると思われ、これはぐりに関してはほぼあたっているといえる。面目ない。
しかしそれならば、女性の皆さん、毅然と「痴漢はイヤだ」と怒れるようになろうではないか。Repeat after me、さあ大きな声で、「ざけんじゃねえ!!」。
ちなみにここ2年はもう痴漢には遭ってません。金髪になって人目につきやすくなったからかもしれないし、三十代になって痴漢のターゲットから外れたからかもしれない(金髪になってからも三十代になってからも数回はあった)。そんなんどーだっていいけどね。
この映画はたまたま痴漢が罪状になっているが、実は痴漢そのものを描こうとしているわけではない。映画には、痴漢行為のシーンもでてこない。でてくるのは、被害者(柳生みゆ)や主人公である被告人(加瀬亮)の回想としての「再現シーン」でしかない。
つまり、ほんとうに「真実は神のみぞ知る」なのである。被告人も真実を知っているが、それは客観的事実として描かれることはなく、観客には教えてもらえない。
要するに、この映画における観客は、痴漢裁判の傍聴人とほぼ同じ環境に置かれるようになっている。映画の約半分は裁判のシーンばかりだし、それ以外のパートでも登場人物の背景などはほとんど描かれない。警察での取り調べ、検察での取り調べ、弁護士や家族や友人との接見など、裁判と直に結びつくシーンだけで物語が進行する。
それだけに、この映画を通して監督が何を訴えたかったのかが非常にクリアに、ストレートに、かつわかりやすく伝わってくる。公権力の怖さ、官僚社会に歪められた裁判制度の矛盾、一見平和にみえる日本の市民生活の基盤のもろさ。
犯罪は他人事ではない。被害者になるのも加害者になるのも簡単なことだ。そこに境界線なんかない。落ちるときはあっさり落ちる。それは明日かもしれない。明後日かもしれない。
ところでこの映画、スタッフにもキャストにも知ってる人が異様に多くて、クレジットをみながらつくづく「日本映画狭すぎ」と思い。仕事でお世話になった方も個人的に面識があるだけという方も含めてだけど、それにしても。
キャスティングがまことに素晴しかった。役所広司(弁護人)、竹中直人(マンション管理人)、徳井優(警察官)、田口浩正(証人)なんて周防組の常連もよかったけど、正名僕蔵(裁判官)、柳生みゆ(被害者)、山本浩司(傍聴オタク)、尾美としのり(検事)、光石研(支援者)なんかもほとんど演技に見えない熱演ですごかったです。カメラワーク、美術、衣装、音楽など細部に至るまで完成度はカンペキ。さすがディテールに凝る周防組ならではです。
日本を知るうえでも、日本映画を知るうえでも、今年必見の映画。劇場用パンフレットも裁判についての情報満載で買いです。あと画面にはあまり出ない登場人物の設定で『アラバマ物語』に因んだ固有名詞がいくつか交じってて(会社名が“Gぺック”、ツグミ法律事務所、アティカス法律事務所など・あと“ユニバーサルスタジオ”)ちょっとにやっとしてしまいました。
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ここでひとつ世間様に謝っておかなくてはならないことがある。
ぐりはこれまでの三十ン年間の人生で、20回以上性犯罪の被害に遭っている。知らない男に性器をみせられた、触らされた、卑猥な言葉で嫌がらせをされた、身体を触られた、などといういわゆる痴漢やセクハラ行為もあれば、やはりまったく知らない男に家に押しかけてこられたり毎日のようにしつこく電話をかけてこられたりといったストーカー行為もあった。
だが、そのうちで警察に相談をしたのはたったの1件しかない。
なぜなら、多くのケースでは被害に遭った時点でぐりにはその後の予定があり、加害者をつかまえて交番にいって調書をとってもらって被害届を出す、という時間的余裕がなかったからだ。被害に遭い始めたのは小学生のころからだが、小さいうちは警察に届けるということなどは思いつきもしなかった。
その代り、ぐりは痴漢行為などに遭ったとき、必ず面と向かって拒否し、抗議した。痴漢の場合、まず相手の手を払い除け、「やめてよ」という。「やめてください」ではない。「やめてよ」である。大抵は払い除けられただけで、あるいはひとこと拒否しただけで相手は引き下がる。それでやめない場合はさらにはっきりと抗議する。「ざけんじゃねえ」「なにすんだよ」でもなんでもいい、大声を出す。突き飛ばす。足を踏んづける。ここで重要なのは、周りの迷惑を考えず、とにかく「自分はイヤなことを強要されている。黙って泣き寝入りなんかしないぞ」という姿勢を即座に明確にすることである。もし万が一勘違いだったとしたら謝れば済む。ぐりは勘違いだった経験は一度もないけど。
性犯罪、痴漢行為がなくならないのは、男に「女はされてイヤなことを実はされたがっている」という幻想があるからだが(偏見かもしれないがこれがぐりの経験則である)、痴漢ぐらいでは警察に届け出ないだろうとたかをくくってる部分も多少はあると思われ、これはぐりに関してはほぼあたっているといえる。面目ない。
しかしそれならば、女性の皆さん、毅然と「痴漢はイヤだ」と怒れるようになろうではないか。Repeat after me、さあ大きな声で、「ざけんじゃねえ!!」。
ちなみにここ2年はもう痴漢には遭ってません。金髪になって人目につきやすくなったからかもしれないし、三十代になって痴漢のターゲットから外れたからかもしれない(金髪になってからも三十代になってからも数回はあった)。そんなんどーだっていいけどね。
この映画はたまたま痴漢が罪状になっているが、実は痴漢そのものを描こうとしているわけではない。映画には、痴漢行為のシーンもでてこない。でてくるのは、被害者(柳生みゆ)や主人公である被告人(加瀬亮)の回想としての「再現シーン」でしかない。
つまり、ほんとうに「真実は神のみぞ知る」なのである。被告人も真実を知っているが、それは客観的事実として描かれることはなく、観客には教えてもらえない。
要するに、この映画における観客は、痴漢裁判の傍聴人とほぼ同じ環境に置かれるようになっている。映画の約半分は裁判のシーンばかりだし、それ以外のパートでも登場人物の背景などはほとんど描かれない。警察での取り調べ、検察での取り調べ、弁護士や家族や友人との接見など、裁判と直に結びつくシーンだけで物語が進行する。
それだけに、この映画を通して監督が何を訴えたかったのかが非常にクリアに、ストレートに、かつわかりやすく伝わってくる。公権力の怖さ、官僚社会に歪められた裁判制度の矛盾、一見平和にみえる日本の市民生活の基盤のもろさ。
犯罪は他人事ではない。被害者になるのも加害者になるのも簡単なことだ。そこに境界線なんかない。落ちるときはあっさり落ちる。それは明日かもしれない。明後日かもしれない。
ところでこの映画、スタッフにもキャストにも知ってる人が異様に多くて、クレジットをみながらつくづく「日本映画狭すぎ」と思い。仕事でお世話になった方も個人的に面識があるだけという方も含めてだけど、それにしても。
キャスティングがまことに素晴しかった。役所広司(弁護人)、竹中直人(マンション管理人)、徳井優(警察官)、田口浩正(証人)なんて周防組の常連もよかったけど、正名僕蔵(裁判官)、柳生みゆ(被害者)、山本浩司(傍聴オタク)、尾美としのり(検事)、光石研(支援者)なんかもほとんど演技に見えない熱演ですごかったです。カメラワーク、美術、衣装、音楽など細部に至るまで完成度はカンペキ。さすがディテールに凝る周防組ならではです。
日本を知るうえでも、日本映画を知るうえでも、今年必見の映画。劇場用パンフレットも裁判についての情報満載で買いです。あと画面にはあまり出ない登場人物の設定で『アラバマ物語』に因んだ固有名詞がいくつか交じってて(会社名が“Gぺック”、ツグミ法律事務所、アティカス法律事務所など・あと“ユニバーサルスタジオ”)ちょっとにやっとしてしまいました。
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