落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ミゾケンサイコー!!

2007年02月17日 | movie
『雨月物語』
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上田秋成の「雨月物語」から「浅茅が宿」と「蛇性の婬」を原案に脚色した時代劇。
原作の「雨月物語」は中学時代に読んだと思う。この短編集は後世さまざまな小説や映画やドラマのモチーフに採られていて、いずれもオカルト色の強い作品ばかりなので、この映画もそれだとばかり思ってたら全然違いました。反戦映画だよね。コレ。
主人公の源十郎(森雅之)と弟の藤兵衛(小沢栄太郎)は戦さをきっかけに金儲けや立身出世の夢に熱中して、それまでの平和なふつうの生活を顧みなくなってしまうんだけど、そんな男たちと混乱する時代に翻弄され不幸になるのはいつも女だ。
映像がとにかくものすごくリアル。全体に淡々としていてとくに何を強調するというわけでもないのに、戦時下の荒廃した社会の背景描写が非常に生々しい。しかもそこに登場する妖しの女・京マチ子の存在がまったく浮いてないとはこれいかに。まさに妖精、小悪魔的にかわいくて肉感的で夢のように綺麗なのに背筋も凍るほど怖い女の物語と、かなりはっきりと社会派な反戦ドラマがしっかりきっちり結びついている。見事としかいいようがない。
けど窯から素手で焼けたての陶器を取り出すシーンにはちょっと笑ってしまった。ソレ絶対ムリですってばあ〜。

砂の神殿

2007年02月11日 | book
『エクウス』 ピーター・シェーファー著 倉橋健訳

先日ダニエル・ラドクリフくんが出演するとゆー話題でちょこっと触れた戯曲。再読です。
前に読んだのはたぶん高校時代だと思う。思う、とゆーのは大雑把なあらすじ以外はろくに内容を覚えてなかったから、実をいうといつ読んだかはっきりせんのです。大丈夫かアタシ。
でもちょっと前からまた読もう・読みたいなとは思ってて、いい機会なので十ン年ぶりに手に取り。

主人公はダイサートという精神科医。彼は友人の裁判官からアランという17歳の少年の精神鑑定を依頼される。アランは勤めていた厩舎の馬6頭の目を衝いたという罪で起訴されていた。
丁寧な仕事ぶりで馬主からも信頼されていた少年がなぜそんな残酷なことをしたのか、その謎を解き明かすうち、医師はやがて自らの内面の病理にも気づかされていく。
シェーファーはこの戯曲のモチーフになった事件についての話を友人から聞き、その時の印象を基に物語を書いたという。だから状況説明などにはとくに変わったところはないものの、文面には描かれない、登場人物の内なる葛藤、決して言葉には表せない、自分自身に対する恐怖といった内省的なパートにはかなりリアリティを感じる。その「説明されない部分」こそがこの物語の最大のテーマであって、最初に読んだ時には消化しきれなかった部分でもある。だから印象に残らなかったのだろう。

読んでいる間じゅう、神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇少年を何度も連想した。
決して完全ではないが愛情あふれた家庭に育ちながら、ひそかに病んでいた少年の心に育っていった魔の信仰と性的な抑圧。
タイトルの「エクウス」とはラテン語で馬を意味するが、アランは馬に性的な興奮を感じ、同時に信仰の対象とみなしていた。それだけなら何の害もなかったのだが、もろく傷つきやすい子どもの心が破壊されるきっかけなど些細なことだ。他人にとっては「たったそれだけで?」と思われるようなことに、少年は絶望し、それが暴力に転化された。
なるほどこれは文学や映画ではなく、演劇というライブのメディアでこそ充分に表現されるべき物語だろう(映画化もされてるみたいだけど未見)。機会があれば是非とも生で観てみたいです。
しかし日本では劇団四季以外ではあまり上演されてないみたいだけど・・・やっぱ問題はヌードシーンかな?いまどきハダカがでてくる芝居なんかいくらでもありそーなもんだけど。

フェティッシュの冬

2007年02月09日 | book
『余白の愛』 小川洋子著
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小川洋子特集。
こないだもっと新しいのを読もうと書いたけど、いっしょに借りてたのでもっと古いのも読むことに。
ヒロインは24歳の主婦。突発性難聴の治療中で退院したばかりのある日、健康雑誌の座談会で速記者のYに出会う。美しい指で言葉をよどみなく紙に書きとめていくYにヒロインは惹かれ、癒されるようになっていく、とゆーフェチ小説ですな。これは。指フェチ・耳フェチ・記憶フェチ(あるいは言葉フェチ)。

テーマがフェティッシュであるだけに描写が繊細なわりに抽象的なところに味はあるんだけど、やはりストーリーに起伏がほとんどなく、展開も結末もすべてがみえみえなのはどーなんでしょーねー?
誰がどこでいってたか忘れたけど(滝汗)、この人「女流作家版・村上春樹」ともいわれてるらしーっすね。それすごいわかる。とくにこの作品は顕著です。村上作品によくでてくる「離婚した主人公の元妻」って小川作品のヒロインと同一人物だったりしないかな?ってくらい、文体のトーンや人物設定の傾向がよく似ている。
ただしこの作品の女くささはスゴイ。くらくらするくらい女くさい。いいのこれ?ってくらい。不快ではないけど気になるな。

あとぐりは突発性難聴はなったことないけど、聴覚過敏症にはなったことがあって、当時かなり激しい耳鳴りに深刻に悩まされた経験があり、読んでいる間その耳鳴りを迂闊に思い出さないように強く意識しなくてはならなかったのが、しんどいっちゃしんどかったです(笑)。
まあいちーちそんなこといってたら本も読めないし映画も観れないし、どこへも行けないし何にもできゃしませんけどね。

ニューメキシコにて

2007年02月06日 | play
『フールフォアラブ』

サム・シェパード原作・主演による映画化作品でも知られる舞台。昨日はプレビュー公演、今日から本公演です。
砂漠の中の小さなモーテルに住むメイ(寺島しのぶ)のもとを、かつての恋人エディ(香川照之)が訪ねてくる。エディはやりなおそうとメイに懇願するが彼女は頑として聞き入れない。ところが業を煮やしたエディが立ち去ろうとするとすがりついて引き止める。激しく憎しみあいながら猛烈に求めあわずにはいられない、宿命の男女の会話劇。

すんげえおもろかったっす。
この芝居、場面転換が一度もない。ずーっとモーテルの部屋の中で、登場人物4人の会話だけで物語が進行する。男女はただただストレートに感情をぶつけあい、怒鳴り、つかみあいのケンカをし、呪われた過去を暴きだす。
メチャメチャ緊迫してます。
そこに、現実にはその場にいない筈の人物の不思議な独白がときおり挿入される。初めはただのクッションみたいなものか?と思っていたその人物、ラストシーンで諸悪の根源であることが暴露される。彼のしたことは周囲の人々にとって不幸の始まりでしかなかったけど、お芝居としてみればこの構成はものすごく痛快でした。

メイとエディは一目会った瞬間に恋に堕ち、そして不幸な運命に飲み込まれていった。
自分で自分をどうしようもなくなるほど熱い恋は、他人事としてみれば美しいものかもしれないけど、このふたりにとっては苦しいばかりの恋だった。でも、現実の恋だってそうそう平和なばかりじゃない。恋するふたりはいっしょにいられさえすればそれでいい、しかし現実にはそうとばかりもいっていられない問題はたくさんある。どれだけ愛しあっていても人間同士にはわかりあえないこと、わかちあえないものは限りなくある。そうしたものの積み重ねが人生だ。夢が違う、理想が違う、価値観が違う、ふたり人間がいれば違うところがあって当り前。違うところばかり重要視するといっしょにいるのがつらくなる。それでも離れられないから恋は苦しい。苦しいのに諦めきれないから、恋は美しい。

この舞台には、そういう恋愛のつらい部分、苦しい部分、男の身勝手さと愚かさ、女のしたたかさと情念の深さが見事に描き上げられている。まさに大人の恋愛ドラマ。
キャストがまためちゃめちゃハマってます。寺島しのぶと香川照之は芝居の質というか、役者のタイプに近いものがあってある意味「似たものカップル」な今回の役にもあってるなと思ったけど、考えてみればふたりとも梨園の二世俳優なんだよね。メイとエディはこのふたりの従来のイメージにおそろしーほどぴったりしてて、半ば芝居にはみえないくらいの迫力がありました。迫力ありすぎて共演の甲本雅裕と大谷亮介の影が薄いのが却ってかわいそうなくらい。そのくらいの大熱演。
熱演のあまり椅子は壊れるし香川氏は手にテーピング巻いてるし(笑)。

まあでも観てホントによかった。無理矢理時間ひねり出して観に行ったけど、行って正解でしたです。
実は知りあいが演出するってんで観に行ったんだけど、そんなん関係なく感動できました。今年最初に観た演劇としては大当たりでした。

懐しい土地の思い出(チャイコフスキー)

2007年02月01日 | book
『やさしい訴え』 小川洋子著
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『やさしい訴え』ってどうも小説のタイトルにしては説明っぽいなと思ってたけど、作中に登場する曲のタイトルだった。作曲者はジャン・フィリップ・ラモー。
主人公・瑠璃子はフリーランスでカリグラフィーの仕事をしている主婦。眼科医の夫には愛人がいて、留守がちの生活が続いている。ある日彼女は思いついて実家の別荘に家出をする。人里離れた山の中の別荘の近所にはチェンバロ職人の男と弟子の若い女性が住んでいて、3人はほどなく親しくなるのだが・・・。

3人にはそれぞれ心の傷がある。瑠璃子には結婚生活の失敗、チェンバロ職人には音楽家としての挫折、弟子には恋人を亡くした悲しみ。傷はそれぞれに深く彼らを蝕み、苦しめているが、その傷の存在が彼ら3人を引き寄せ、結びつけ、赦しあう。
肉体の痛みと違って、心の痛みは人と分けあうことができる。バロック楽器と中世写本技術、朽ちかけた別荘という古い文化の遺物の世界で、彼ら3人が互いにゆっくりと癒されていく過程を描いた物語。

別荘地の美しい自然、穏やかな時間の流れ、その中で苦悩する3人の男女の葛藤が非常に綺麗に描写されていて、読んでいてとても心地の良い小説ではある。
しかしいささか心地良すぎるきらいもある。読み終わってページを閉じた瞬間に、はらはらと頭の中から吹き飛ばされてしまいそうなくらい、淡くはかない物語。
これはこれで悪くないし、決して共感できないとかおもしろくないとかいう明らかな欠点はないけど、やや物足りなくはありました。
『ミーナの行進』が気に入ったから旧作もと思って手にとってみたけど、10年前の作品はやはりいまひとつ。これからもう少しあとの作品も読んでみようと思います。