中学生の頃、日本のマスコミ世論から、我々の世代は、無気力、無関心、無感動(または無責任)・・この三無主義世代だと揶揄されて呼ばれていました。
「欧米人は一日8時間以上働くのは変だと感じて、アジア人は一日8時間以下働くのは変だと感じる」
・・こういった異なる感覚を研ぎ澄ましたように感じ取った日本で初めて認識した世代が、我々の三無主義の世代かもしれません。
実際、中学生の頃「小さな恋のメロディ」という英国映画がヒットしました。
こういう感覚の影響は、大きいはずです。
ともあれ、団塊世代に続く三無主義世代は、1970年代に盛んに風潮喧伝されていました。
あれから30年以上が過ぎて、世代を一塊にした呼び名がいかにいい加減なものかと思います。
血液型の人格判断も、生年月日、星座での占いも、さらには県民性判断とか・・同じようなものです。
はっきり言うと、「幸せになれない判断ミス システム」です。
小生、仕事も生活のうえでも、非常におっちょこいで、あわてんぼうで・・自分の人生も、同じようなもので、どこかで、ケアレスミスばかりをしています。
理由は、物事に対する集中力が全く欠けているからでしょう。
それが自覚できたのは、マスコミ企業から海外遊学を経て外資の企業に勤め始めた頃に出会った同年代で同僚の先輩女子社員のNさんでした。
彼女は、当時テレックス・・つまりタイプライターの全国競技大会で日本一のホルダーにもなっています。
ブラインドタッチで英文の資料、書類をあっという間に正確にほとんど100%全くのミスもなく作成できる集中力抜群の職人気質のような技量を持っていました。
ぼくが書く英文原稿を、彼女に渡してチェックから作成までしてもらいます。
かならず、彼女から単語のスペルミス、二重羅列、文法のミス、文章のミス・・厳しいチェック、そして注意を受けました。
それが、毎日毎日・・半年ぐらい続きました。
同じ隣席同士で座っていた頃の苦痛は、何と言って表現したらいいのか・・しまいには、毎日ミスばかりしてと・・白い目で見られました。
今となれば、思い出すと苦笑してしまいます。
何故、彼女がそれぐらいのことを多く指摘できるかと言うと・・ほとんどの役員の重要な海外取引英文のやり取りを・・その英文表現、使用頻繁度の多い単語をほとんど記憶しているからです。
その後、彼女とは、ほんとうに楽しい仕事仲間になりました。
理由は、ぼくが、彼女のミスを時々知ることができるようになったからです。
とは言うものの、彼女は、今まで知り合ったなかでも、今でも一番有能な業務遂行できる人材には間違いなく、今でもおそらく小生の遂行能力は、彼女の足元にも及びません。
大いに助けられました。
彼女がいてこそ、何とかやっと仕事が捗っていたと痛感する小生です。
思い出すと感謝ばかりです。
ミスに関しての姿勢が対極をなす関係だったうえに、彼女から多くのことを学びました。
学んだ教訓です。
ミスのない人間は、ミスをすることが非常に怖いという心境になるようです。
ミスばかりする人間は、ミスをしないことが非常に大事だという心境になります。
・・人間、楽しく生きていくには、その心境を越えないといけません。
地球が丸いという実体、そこに山があって、川が流れて、海があることを知っているのは、運命や占いではなく、生きている人間本人です。
時計が、一分一秒をこつこつと刻んで、歴史をなすように、小さな水滴が集まって、大河になるように、「少し」をないがしろにせず、感謝し、涙することが、エネルギーに変わり、増幅するようです。
人間の心から沁み出す涙こそが、大河の一滴なのでしょう。
「欧米人は一日8時間以上働くのは変だと感じて、アジア人は一日8時間以下働くのは変だと感じる」
・・こういった異なる感覚を研ぎ澄ましたように感じ取った日本で初めて認識した世代が、我々の三無主義の世代かもしれません。
実際、中学生の頃「小さな恋のメロディ」という英国映画がヒットしました。
こういう感覚の影響は、大きいはずです。
ともあれ、団塊世代に続く三無主義世代は、1970年代に盛んに風潮喧伝されていました。
あれから30年以上が過ぎて、世代を一塊にした呼び名がいかにいい加減なものかと思います。
血液型の人格判断も、生年月日、星座での占いも、さらには県民性判断とか・・同じようなものです。
はっきり言うと、「幸せになれない判断ミス システム」です。
小生、仕事も生活のうえでも、非常におっちょこいで、あわてんぼうで・・自分の人生も、同じようなもので、どこかで、ケアレスミスばかりをしています。
理由は、物事に対する集中力が全く欠けているからでしょう。
それが自覚できたのは、マスコミ企業から海外遊学を経て外資の企業に勤め始めた頃に出会った同年代で同僚の先輩女子社員のNさんでした。
彼女は、当時テレックス・・つまりタイプライターの全国競技大会で日本一のホルダーにもなっています。
ブラインドタッチで英文の資料、書類をあっという間に正確にほとんど100%全くのミスもなく作成できる集中力抜群の職人気質のような技量を持っていました。
ぼくが書く英文原稿を、彼女に渡してチェックから作成までしてもらいます。
かならず、彼女から単語のスペルミス、二重羅列、文法のミス、文章のミス・・厳しいチェック、そして注意を受けました。
それが、毎日毎日・・半年ぐらい続きました。
同じ隣席同士で座っていた頃の苦痛は、何と言って表現したらいいのか・・しまいには、毎日ミスばかりしてと・・白い目で見られました。
今となれば、思い出すと苦笑してしまいます。
何故、彼女がそれぐらいのことを多く指摘できるかと言うと・・ほとんどの役員の重要な海外取引英文のやり取りを・・その英文表現、使用頻繁度の多い単語をほとんど記憶しているからです。
その後、彼女とは、ほんとうに楽しい仕事仲間になりました。
理由は、ぼくが、彼女のミスを時々知ることができるようになったからです。
とは言うものの、彼女は、今まで知り合ったなかでも、今でも一番有能な業務遂行できる人材には間違いなく、今でもおそらく小生の遂行能力は、彼女の足元にも及びません。
大いに助けられました。
彼女がいてこそ、何とかやっと仕事が捗っていたと痛感する小生です。
思い出すと感謝ばかりです。
ミスに関しての姿勢が対極をなす関係だったうえに、彼女から多くのことを学びました。
学んだ教訓です。
ミスのない人間は、ミスをすることが非常に怖いという心境になるようです。
ミスばかりする人間は、ミスをしないことが非常に大事だという心境になります。
・・人間、楽しく生きていくには、その心境を越えないといけません。
地球が丸いという実体、そこに山があって、川が流れて、海があることを知っているのは、運命や占いではなく、生きている人間本人です。
時計が、一分一秒をこつこつと刻んで、歴史をなすように、小さな水滴が集まって、大河になるように、「少し」をないがしろにせず、感謝し、涙することが、エネルギーに変わり、増幅するようです。
人間の心から沁み出す涙こそが、大河の一滴なのでしょう。