ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

軍属時代 1 ~揚子江~

2010年05月23日 | 人生航海
翌朝は天候にも恵まれ、まだ夜も明けやらぬ頃、船団の各船は、一斉に五島列島をあとにした。

東シナ海の大海原を、揚子江に向けて意気揚々として出港したのである。

航行中は、船団を保つため、速力の遅い船に合わせて、速力約5ノットのスピードで航走を維持・・幸いにも海上は、風もなく鏡のごとく平穏で、瀬戸内海を航走するかの様だった。

水平線遥か彼方まで何も見えぬ東シナ海は、日中の昼は暑かったが、夜間は満天の星空を仰ぎながらの航海だった。

約四昼夜半の航海・・一隻の事故船もなく、揚子江の上海港口に到着した。

そして、出迎えの船に引き継がれて、上海のウースン港に入港して積荷を整理したのである。

その後、陸軍運輸部の指揮下のもと、上海に10日間程留まり、その間に各線の配属先が決められた。

私達は、九江の停泊場部隊への移動となった。

檜垣部隊だと言うことも聞かされて、数日後には上海を出港して揚子江を遡った。

誘導船の指示に従い、目的地の九江に向けて航行を続けたが、初めて見る揚子江は、河幅も大きく広く、茶褐色に濁った河の流れも考えていた以上に案外早かった。

揚子江での航海経験の無い船舶の独航は難しく危険なので、九江に到着するまで水先案内船が先導してくれた。

揚子江は、増水期と減水期では水深もかなり違い、河幅も変わるので、夜間の航行は危険で、それゆえ安全な場所を選びながら昼間だけ航行する事になっていた。

加えて、揚子江両岸の風景を眺めながら航行していたが、「いつどこから敵に狙撃されるかも分からない」と聞かされたのである。

積荷の米俵を船橋の横に積み上げて弾除けを作り、敵からの狙撃を防ぐことにしたのである。

さらに、上海を出て何日か過ぎた頃、多分、鎮江の下流付近だと思うが、日本の艦船の進撃を阻止しようと、河幅の狭い場所に大型の貨物船数隻が横並びに沈められていた。

そのうちの一隻を爆破して、何とか船舶の航行が出来るようになっていたが、その痕跡が生々しく、戦時下の緊迫感が一段と強く伝わってきたのであった。