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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

軍属時代 5 ~State of Ship~

2010年05月28日 | 人生航海
その頃になると、ようやく揚子江の詳しい地形図(海図)も出来て、独航ができるようになった。

一度だけ、九江から雑貨を積んで上海まで下ったことがある。

昼間だけの航行であったが、揚子江の流れに乗っての航行は速く、途中に安慶、蕪湖、南京その他の街にも寄港ができた。

そして、上海に着いた時のことである。

旅客用飛行機の時代が到来する以前の遠い時代・・その頃の我が国日本は全世界に誇る大海運国であり、大型の豪華客船がアメリカ航路の他、ヨーロッパ方面にも定期船として就航していた。

その豪華客船が、上海に入港した時の雄姿は、実に堂々として大きかった。

そのうえ美しく初めて見る豪華船の姿には、唯々目を見張るばかりだった。

そして、日本郵船の煙突のマークは、近くで見ると特に綺麗で、船名は、鎌倉丸、熱田丸、新田丸・・他にも商船の優秀船も見ることが出来た。

現在でも、横浜の山下公園に係留している氷川丸も、当時の日本を代表する一隻であり、船型は少し古いが、終戦時まで健在なのは珍しく、記念として長く保存されて、多くの人に親しまれているのは、非常に嬉しい事である。

余談ではあるが、あの時の上海で見た豪華船は、ほとんど太平洋戦争の末期に空母等に改造されて、敵機からの空爆で無残にも海底の藻屑と消えたのである。

あの時、上海で見た日本船の姿が目に浮かぶと・・残念な思いが、いつまでも消えない。