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軍属時代 6 ~賭博~

2010年05月29日 | 人生航海
上海から九江に戻って間もない頃だった。

突然、船長が体調を崩して高熱を出して苦しみ始めた。

診察を受けた結果、デング熱と分かって、九江の陸軍病院に入院することになった。

機関長と二人で毎日のように病院に通ったが、なかなか熱が下がらない。

そのため、軍医の指示で内地の病院に転院して治すことになった。

船長が帰国した後、機雷に接触して沈没した船の船長が後任の船長として乗船してきた。

天草出身の丸木さんという人柄の好い優しい船長だった。

船長が交代した同時期に、敵方が揚子江上流から多くの機雷を流し始めてきたのである。

その浮流機雷の防止策として、船の係留場所の上流一帯に網を張ることにした。

機雷の接触を防いだので、その後は機雷接触事故は無くなったが、その頃から次第に待機の日が多くなった。

船員は、休みが多くなり暇を持て余すようになってきたのである。

九江に入ってから一年が過ぎて、昭和14年の秋の頃であったと思う。

日暮れになると、いつものように多くの機帆船から船員が集まるようになってきた。

初めは、将棋や碁で遊んでいたが、そのうちに部屋が狭いと言って、船倉に大きなシートを敷いて、各船員の遊び場所になったのである。

それには理由があった。

交代して来たばかりの新しい船長が何も言わない人の好い事を、皆は、よく知っていたのである。

初めは、ただの花札遊びだったが、日が経つにつれて、次第に賭博の場所になっていたのである。

夕暮れ時になると、いつのまにか軍人や船員の他、街の商人たちまでが集まり、本格的な花札賭博の場所になったのである。

しかし、そんなことが、いつまでも続くわけもなかった。