ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ラ・マンチャの男

2011年11月03日 | 百伝。
その男の名は、ドン・キホーテ。

愛馬のロシナンテと従者サンチョ・パンサを引き連れて「見果てぬ夢」の遍歴の旅にでる。

作者は、スペイン人のミゲル・デ・セルバンテス。

聖書に次ぐロングセラーとして、いまも世界中で翻訳されて愛し続けられている。

世界一の愛読書としての誉れ高い物語「ドン・キホーテ」の著者セルバンテスの生涯は、ラ・マンチャの男 ドン・キホーテと同じぐらい波乱に満ちている。

同時代に英国では、シェイクスピアがいた。

シェイクスピアもセルバンテスも正規の高等教育を受けていない。

この二人の偉大な作家は、1616年の同年に亡くなっている。

因みに、日本では、徳川家康が同年没。

ドン・キホーテの物語は、世の中の悪の不正をただすために正義かつ狂気の初老騎士が旅に出るあらすじである。

風車を敵の巨人と思い込み、突き進みすすむが、吹き飛ばされてしまう。

風車は、オランダの象徴である。

・・スペイン人セルバンテスの隠喩が利いている。

さらに可笑しいのは、セルバンテスは、「ドンキホーテ」を書いたのは、聞き伝えを記録しているのだと言う。

セルバンテスは、捕虜になったり、何度か牢獄に入っている。

そこで「ドン・キホーテ」の構想を練ったともいう。

スペインが最盛期だったレパントの海戦(1571年)でトルコに勝利した。

その時、セルバンテスは、従軍兵として左腕を失っている。

ただ、当時の中世ヨーロッパの文化というのは、イスラム教圏世界の文化よりも見劣りしていたのは事実なのである。

セルバンテスは、「ドン・キホーテ」をイスラム教徒が書いたものを翻訳した記録を伝えているとほのめかしている。

彼は、当時、世界の海を制していたスペインの栄光と挫折を経験しているのである。

スペイン無敵艦隊の食糧調達係をしていた。

英国侵攻を進めたスペイン無敵艦隊だったが、1588年7月、アルマダ海戦で英国に破れた。

英国人ならば、誰もが知る歴史的な勝利したアルマダ海戦である。

スペインは、この敗戦で、世界の覇権を英国に譲ることになる。

さらに、アルマダの海戦以後、ネーデルランド(オランダ)における独立運動が高まる。

スペインは、一挙に経済基盤を失うのである。

その後、英語圏がスペイン語圏よりも勢力を拡大するのは歴史の流れである。

スペインの凋落を知るスペイン人の「見果てぬ夢」なのである。

もう、ずいぶん昔になるが、スペインのラ・マンチャ地方に行ったことがある。

首都のマドリッドから列車に乗って、降り立った。

荒涼とした何もない風景だった。

ラ・マンチャの子供たちが、小生に歩み寄って「シーナ、シーナ」と呼びかける。

スペイン語でシーナは、中国の意味だが、東洋人を意味している。

安宿で一泊。

翌日、ドン・キホーテが立ち向かった風車のある場所にゆく。

誰もいなかった。



風車以外・・何もない。

トレドかバルセロナに向かうために、駅まで行った。

電車が来ない・・。

三時間ぐらい待たされた思い出がある。

百島での時間の流れとラ・マンチャでの時間の流れは、とても似ていたという感覚が残っている。

読書週間・・文化の日。

見果てぬ夢・・いい言葉(訳語)である。