ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

イングランド

2011年11月05日 | 千伝。
今宵、イングランド各地で、冬の花火が打ち上げられる。

ロマンチックな夜でもある。

毎年、11月5日は、ガイ・フォークス・デイと呼ばれる。

1605年11月5日未明、ロンドンで国王と議員の爆殺未遂(国会議事堂爆破未遂)事件が発覚して、カソリック教徒ガイ・フォークスとそのグループが逮捕された。

それをお祝いをする花火なのであるが・・歴史の顛末を要約すると現代に到るまでの複雑さがある。

ガイ・フォークスは、イングランドでは、テロリストであり国賊であるが、北アイルランド、スコットランドでは、ある意味、英雄視されている側面がある。

この宗教対立(カソリックとイングランド国教会)は、2005年に武装終結に到るまでの北アイルランドのIRAによる英国からの独立闘争(テロ・爆破事件)を思い起こすほど連綿と繋がっているのである。

今回のタイトルは、あえて英国ではなく、イングランドと記している。



英国(イギリス)の正式名は、UK( United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)という。

UKは、イングランドとスコットランドとウェールズと北アイルランドから構成されており、GB(グレートブリテン)となると、イングランドとスコットランドとウェールズから成り立つのである。

だから、単に英国(イギリス)という一括りでは、英国の歴史の意味合いの理解説明ができなくなるのである。

さて、明日は、11月6日は、11月の第一日曜日・・。

小生、ロンドンで約1年間、ブライトンで約2年間ほど暮していた。

明日は、ロンドンからブライトンまでの約60マイル(約80KM)の距離を1905年以前に登録されたクラシックカーのレースが行われる。

正式名は、London to Brighton Veteran Car Run・・1896年から行われる世界で最も歴史のあるベテランカーのランなのである。

自転車サイクリングよりも、スピードの遅いランレースなのである。



さて、ブライトンでは、カルチャーショックを受けるぐらい、いろんな思い出が残っている。

当時の日本は、まだまだ染めた髪や耳に複数のピアスを付けた人は殆ど皆無だった。

そして、日本のビールが、キリン、サッポロ、アサヒという銘柄で選ぶしかない時代であった。

ビールに、ラガーやビター等々、何十種類もあるのを知ったのは、イングランド生活のパブで知ったことだった。

ブライトンは、海に面した高級リゾートの保養地としても富裕層も多いが、ヨーロッパ中から若者が集まる治安の悪い面もあった。

おまけに、同性愛者が多い街でもあった。

はじめて、ブライトンに到着した日、真昼の日中の路上では、男同志が堂々と切ないぐらいキスを交わしながら抱き合っていた。

海辺に行けば、世界初の海水浴場として有名なビーチでは、オールヌーディストの老若男女の裸体が寝転がっていた。

鶏冠のような真っ赤な髪型に顔中にピアスを付けた・・ギョとするようないでたちの若者が闊歩していた。

それでも、ブライトンは、リッチで、優雅で、おしゃれな街だった。

ブライトンには、夏季の1~2ケ月間だけの滞在予定で、その後、ケンブリッジに移動する予定だったが、そのままブライトンに居ついてしまった。



人生の大きな曲がり角だった。

写真は、クラシックカーが、次々にブライトンに到着した後の光景である。



このレースランに、参加できる連中は、とんでもない財力の持ち主ではないかと思う。



思い出すのに・・フロックコート姿の日本人の方が参加しており、「お疲れ様でした。優雅な生活ですね」と声をかけたことがある。

その御仁「アハハ・・ありがとう。君は、ここで何をしているんだ?」

「ブライトンで遊んで暮しています」と答えると、「君こそ優雅な生活ではないか・・アハハ」と上機嫌に笑った。

会話が長くなりそうになったが、夕方に約束事があったので、その場を去った。

今思うと、あの御仁は、ホンダの本田宗一郎さんではなかったのではないかと考えるのである。

若い頃に、野蛮気質と紳士気質が同居するイングランドに暮らして、本当によかったという想いがある。

それは、人を卑しくする「妬みや羨望」という意識が薄まって、マイペースで自分なりに生きてゆける自信を備えたことである。

あの頃は、日本に戻る気持ちなど毛頭無かったが・・

今になれば、自分の命が、あと一年、あるいは一ヶ月ならば、残り僅かの人生をどのように過ごすのか?・・と考えるこの頃なのである。