早鞆や 歴史の潮目 和布刈かな
亀山天皇 (1249~1305)の時代に、蒙古来襲「元寇」があった。
文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)二度に渡って、北九州が戦場となった。
亀山宮は、それより約100年前に起こった壇之浦の戦い(1185年)の関門海峡を見守っている。
唐戸市場界隈が埋め立てられた頃、少年野球で打ったボールが、たまたま亀山宮の鳥居の山という字の、左隅に挟まってから何十年。
山の左隅に挟まっているのが、見えます。
「触らぬ神に祟りなし」ってことで、そのままとの事。
今では、野球少年がお詣りにくる神様でもあるそうな。
ナショナルの商標が、懐かしい。
災い転じて福をなす場所かも知れない。
壇之浦と元寇、ジンギスハンになった義経とフビライハンまで思いを巡らす場所でもある。