ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

亀山宮。

2019年02月21日 | 空木宝剣

早鞆や 歴史の潮目 和布刈かな

亀山天皇 (1249~1305)の時代に、蒙古来襲「元寇」があった。

文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)二度に渡って、北九州が戦場となった。

亀山宮は、それより約100年前に起こった壇之浦の戦い(1185年)の関門海峡を見守っている。

 

唐戸市場界隈が埋め立てられた頃、少年野球で打ったボールが、たまたま亀山宮の鳥居の山という字の、左隅に挟まってから何十年。

山の左隅に挟まっているのが、見えます。

「触らぬ神に祟りなし」ってことで、そのままとの事。

今では、野球少年がお詣りにくる神様でもあるそうな。

ナショナルの商標が、懐かしい。

災い転じて福をなす場所かも知れない。

壇之浦と元寇、ジンギスハンになった義経とフビライハンまで思いを巡らす場所でもある。



岡本かの子忌 (1889年3月1日~1939年2月18日)

2019年02月21日 | 空木宝剣

雨水にて ふと立ちえくす 六十九

平成最後の年2月8日に、「団塊世代」の名付け親、堺屋太一さん(1935~2019)が亡くなった。

享年83歳。

団塊が20才の頃、1970年の大阪万博があった。

岡本太郎(1911年~1996年)が59歳の時、千里が丘に太陽の塔がそびえ立つ。

昭和45年の事である。

それから3年後の1973年、第一次石油危機。

堺屋氏38歳時に刊行されたのが「油断」。

それからさらに3年後の1976年に「団塊世代」。

「あれから、40年」

「一山行き尽くせば一山青し」

青年はあっという間に、老人となりにけり。

2025年の大阪万博は、団塊世代が後期高齢者となる、2025年問題の年でもある。

「団塊よ元気か?」と言ってもらいたい生みの親は、もういない。