ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島ブランド。

2021年09月28日 | 百伝。

反逆の教育者という長崎太郎・・この方の履歴を読んでいると興味深い人物と遭遇しました。

土佐の国、今の高知県安芸市生まれ育ち、その四国の片田舎から、旧制第一高(東大)に進学、合格者全体のトップ、一番成績での入学だったとの事。

同期には、芥川龍之介、倉田百三、久米正雄、菊池寛等、留年組を加えると、山本有三等々の逸材を輩出しています。

長崎太郎氏、同郷四国出身の菊池寛が退学の際には、学校側に何事か物申したという記録もあります。

その長崎太郎氏が若りし頃、東京に出て行く前、高知の安芸という田舎で学んだ恩師というのが、日本基督教会から派遣されて来た若き牧師の百島操(百島冷泉)なる人物。

百島という姓に惹かれて、百島冷泉なる人物を調べると、トルストイの翻訳、ワシントン言行録等を著しています。

ワシントンが子供の頃に桜の木を切ったと、激怒した父親に、正直に告白したエピソードを思い出しました。

余談になりますが、百島という姓、苗字は、江戸時代瀬戸内海の百島から北前船の船乗りなった先人が、寄港していた日本海側、とりわけ越中富山、蝦夷北海道に移り住んで、郷里の百島を、姓に選んだと考えています。

さらに、百島の源流は、鎌倉時代から室町時代の変遷期に、桃(島)と百々(島)が合体簡略して、百島になったと、個人的な推測です。

話を戻すと、明治の文豪森鴎外の作品の中に、尾道や百島の名をさらりと挿入している作品がありました。

百島冷泉という人物のバックグランドは分かりませんが、忘れえぬ人々の国木田独歩とも交流があったようです。

東京に出掛けて国会図書館で調べたい事案ですが、今はもう、百島での草刈り、樹木伐採の時間の方が、より大きな楽しみかなぁ。

若い人が「百島」というブランド名に、いつか興味、志向を抱いたならばと、ご参考までに書き記しました。